第160話 賢者は大陸情勢を見つめ直す
「ところで、例の治療は順調か」
「はい! 追加の魔術師を動員しつつ、休息を挟みながら進めております」
「そうか」
望ましい回答を聞いて私は頷く。
例の治療とは、ここで研究されている事項の一つだ。
かつて元四天王バルクの陰謀により、共和国の人々は魔族に変貌した。
最終的に私は彼らを王都にて保護することになった。
現在、魔族達は軍人もしくは一般人として暮らしている。
元の姿に戻す方法が見つからず、彼らには我慢を強いてきた。
しかし先日、ついに治療法が見つかったのである。
もっとも、完全に元通りにできるわけではない。
魔族への変貌は不可逆だ。
どれだけ手を尽くしても、人間には戻せない。
これは初期の段階で判明しており、あらゆる手段を以てしても反証が得られなかった。
そこで考案したのが魔術による整形である。
魔族特有の部位を切除し、代わりとなる部位を接合するのだ。
合わせて肌や目の色も変更する。
こうすることで、見かけだけは人間に近付けることに成功したのであった。
無論、中身は魔族のままだが、魔力感知が可能な術者でなければまず分からない。
外見のみでの判別は不可能に近かった。
少なくとも、他の種族に混ざって不自由なく生活はできるようになった。
この方法を確立するまでには、それなりの苦労がかかっていた。
完成した手順自体にも様々な魔術を用いるため、複数人で取りかかる必要がある。
現在は、魔王軍の術者に整形手順を伝授している最中だ。
信頼の置ける魔術師のみを募り、希望する魔族から整形を進めている。
数が多いため一気に解決できるわけではないが、着実に試みは成功していた。
前々から気になっていた種族間の摩擦は軽減されるはずだ。
手術を受けた魔族達も喜んでいた。
新たな容姿は概ね好評で、気楽に生活できるようになったと聞いている。
私も時間がある時は手術に参加し、少しでも魔族達の悩みを解決しようと尽力していた。
すべての希望者に処置が行き届くまで、そう時間はかからないだろう。
「問題があればすぐに報せてほしい。私が対応する」
「かしこまりました! 定期報告で進捗もお伝えしますね」
「ああ、頼む」
そういった会話をしつつ、私は所長と共に研究所の開発物の確認をしていった。
ここで生み出された技術の一部は、魔王領の各地へと提供される。
街や村で採用されて、日々の生活を豊かにするのだ。
惜しみない生活補助が功を奏したのか、領民からは感謝の品がよく届いている。
一方で兵器開発も好調だった。
所長が特に乗り気であるのが主な要因だろう。
都合上、軍で採用できないような武器も次々と発明されている。
ほぼすべての分野を担当する所長だが、兵器関連を特に気に入っているらしい。
あまりに量が増えすぎて、そろそろ管理に困り始めるほどであった。
兵器なので迂闊に廃棄もできず、領内の別所に流すわけにもいかない。
専用の保管庫を設けてほしい、と所員からも密かに依頼をされる始末だ。
そこで考えたのが、王都の空いた区画や地下を研究所専用に改造するという策である。
何も所長のためだけではない。
研究所の敷地が広がるということは、それだけ彼女の活動範囲が拡張されるということだ。
従って所長を王都の防衛設備として換算できる。
彼女の能力は、基本的に研究所にのみ影響を及ぼす。
逆に言えば、研究所ならば自由に力を振るえる。
所長一人がいるだけで、王都の防衛はとても強固なものになるだろう。
たとえ私が不在だろうが、まず陥落しないと断言してもいい。
不測の事態は常に起こり得る。
いくつもの防衛策は用意しているが、備えは多すぎて困るものでもなかった。
具体的な計画が決まり次第、所長に相談してみるつもりだ。
彼女なら二つ返事で了承するだろう。
防衛自体はそれほど乗り気ではないだろうが、研究所が広くなるためである。
広くなるということは、それだけ同時進行できる研究項目が増える。
敷地に合わせて、自らの数も増やして働くはずだ。
所長は本当に規格外の能力を発現してしまった。
正直、私の配下でなければ即座に抹殺しに行くほどである。
彼女の力は危険すぎる。
少し攻撃性に傾くだけで、大陸の国々を滅ぼしかねない。
上手く手綱を握りつつ、これからも有用な発明や研究をしてもらおうと思う。
「この前の鉄砲は如何でしたか?」
「連射式のものだな。ゴーレムの膂力なら十分に扱えた。ただ、再装填に手間取っていた印象がある」
「ほほう! 参考になる意見をありがとうございます。改良版の設計を見直しましょうっ」
今までに生み出された兵器は、戦場で猛威を振るっていた。
亜神が死んでからも、大陸では争いが絶えない。
周辺諸国は、相変わらず魔王領への攻撃を行っている。
ただし、それらの動きはやや消極的だ。
魔王領に深く攻め込んでくることはなく、部分的な領土奪取を想定した作戦ばかりであった。
突出した戦力を持たない国々は、強気になれないらしい。
この半年間、英雄が出現したという情報もなかった。
秘匿している可能性もあるので、密偵に探らせている。
儀式魔術を模倣した試み等が見つかっているものの、ほとんどが失敗していた。
常人を英雄に引き上げる術は、不確かな噂という形で広まっている。
ただ、肝心の手法は不明のままだった。
亜神が証拠を残らず抹消したためである。
彼が努力した甲斐はあったようだ。
たまに成功しかける術に関しては、その場合のみ私が赴いて破壊していた。
世界の意思によるものか、よく分からない理屈で術が成立しそうになるのだ。
まったく油断できたものではない。
人工的に英雄を生み出す技法など存在してはならなかった。
必ず世界に混乱を招く。
新たな種族差別にも発展しかねない。
各国の力関係を調整するのも私の役目だ。
任意で英雄を増やせる状況は、その力関係を大きく覆す。
だから抑止する必要があった。
幸いにも各国の動きが過激化する予兆はない。
一連の戦争で甚大な被害を受けて、戦力が枯渇して疲弊し始めているのだ。
当分は戦力補充や国力の安定に専念するものと思われた。
戦争を続けるというのは、大変な労力を要する。
これといった戦果も上げられずに継続するのは困難極まりなかった。
民に負担を強いることになるため、彼らの不満も増大していく。
不信感が高まり過ぎれば、国家の存続が危うくなる。
全体を通して各国が勝ち取った物と言えば、共和国の領土くらいだった。
それも魔王軍が意図的に敗北して押し付けたような形である。
共和国の領土は、一時は各国で分割して管理されていた。
ただし、飛び地という位置や戦争の混乱で統治が疎かとなり、現在は半ば放置された状態となっている。
結果として、そこに暮らす人々が独自に自治体系を形成しつつあった。
ルシアナの見立てでは、いずれ新たな国家に生まれ変わるそうだ。
余談だが、儀式魔術を実施した聖杖国と魔巧国は滅亡した。
魔王領との戦争によって大きく損耗し、さらには民衆からの不満や圧力によって瓦解したのである。
責任のなすり付けによる戦争にもつれ込んだ末、両国にて革命が発生した。
そうして事実上の滅亡を経て、新たな一国となった。
これらの出来事が僅か半年で起きたのだから、相当に激動である。
魔王領の変化など微々たるものだろう。
泥沼になって長期問題になると考えていたので、建国された当時は驚いたものだ。
おかげで私が介入する手間が省けたのは良かった。
このように大陸各地では様々なことが発生していた。
ただ、視野を広げて捉えれば、悪くない情勢と言えよう。
多少の犠牲はあるものの、国家間の敵対感情は薄れている。
より一層、魔王討伐の方針を固めていた。
この調子で維持していきたい。
目下の問題は、件の諜報員達のみだ。
所長なら数日以内には糸口を掴めるはずである。
私も水面下で捜査しながら、経過報告を待とうと思う。