第158話 賢者は異変を察知する
私は拘束された諜報員達を観察する。
その細部までを入念に調べ上げていった。
魔術的な観点での確認も忘れない。
それなりの時間を費やして注視した末、私は顎を撫でる。
(術による干渉は見られない……)
諜報員達には、特筆しておかしな点が見られなかった。
強いて挙げるなら魔力の乱れくらいだが、それは拘束に使われる魔道具によるものだ。
彼ら自身の問題ではない。
しかし、何か異常があるはずなのだ。
ルシアナが私を呼び出したほどの状態である。
実際、彼女の魅了も通じていない。
常人の精神力で耐えるのは、まず不可能だった。
まれに相性の問題で効かない人間がいるそうだが、それも多くて一人か二人だろう。
二十人前後の者が揃って効かないのはありえない。
やはり何らかの原因が潜んでいる。
(私でも感知できない術を施されているのだろうか)
可能性は低いものの、頭から否定できることでもない。
魔術は常に進歩している。
小さな閃きから、術の効力が飛躍することもあった。
不遇扱いされていた系統が、それまでの評価を覆すことだって珍しくないのだ。
故に私の目を欺くほどの術が開発されたとしても不思議ではなかった。
各国は魔王対策に明け暮れている。
亜神以降は目立った出来事もなく、表向きは平穏な日々が続いていた。
今回、その状況に暗雲が漂い始めた形である。
私はルシアナに尋ねる。
「この者達の所属は判明しているのか」
「それが微妙なところなのよね。だいたい目星は付いているけど、本人達がこの調子だから確証はないの」
ルシアナは嘆息した。
仕方のないことだ。
魔王領は様々な国から諜報員を送り込まれている。
最近では、大陸の外から諜報員がやってくる場合もあるらしい。
敵の候補が多すぎて絞れない。
私達が話す間、諜報員達はただ激しく動揺していた。
彼らは多量の汗を流し、口からは涎を垂らす。
誰もが揃って怯えていた。
(……異様な光景だ)
魔王領の中心地に送り込まれるほどの諜報員なら、肝は据わっている。
専門の訓練を受けているため、このように恐怖し続ける姿には違和感があった。
私に対する怯えにしても、大袈裟すぎるのではないか。
彼らは、正体が暴かれて拘束される展開さえも承知している。
様々な覚悟がなければ、諜報員などやっていられない。
そういった事情を加味した上で、やはりおかしい。
彼らはまるで別の何かに怯えているようだった。
「……ふむ」
私は諜報員の一人の前に立つと、おもむろに目隠しを外した。
自殺防止に噛ませていた猿轡も抜き取る。
諜報員の男は、汗と涙に濡れた顔をしていた。
虚空を凝視しており、半開きの口は微かな呻き声を洩らしている。
私は男の顎を掴んだ。
そのまま視線を無理やり合わせようとする。
「私の顔を見ろ」
「ああ、あああああ……っ」
男は喚き、首を振って抵抗する。
拘束された四肢を揺らして暴れ出した。
「静かにしろ。何もしない」
「嫌だ――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
男は一心不乱に同じ言葉を繰り返す。
鼻から血液が流れ出していた。
興奮のしすぎなのか、或いは何らかの術の作用なのか。
解析を試みるも、やはり異常な点は見られない。
「やってしまったこんなはずじゃあの時に断っておけば畜生死にたくない」
「深呼吸をしろ。私の話を聞け」
「ううう、ううううううぅぅ……!」
男は奇声を上げ続ける。
意味のある言葉も支離滅裂だった。
辛うじて伝わってきたのは、激しい後悔と恐怖くらいである。
肝心の会話はまったく成り立たない。
「落ち着け」
私は男の髪を掴み、力任せに顔を上げさせた。
男は口から大量の血を吐く。
どうやら舌を噛み切ったらしい。
私は魔術で即座に治癒した。
男は咳き込んで血を吐き出す。
ひとまず自殺は阻止できたようだ。
私は男の目に注目する。
朦朧とした眼差しは、相変わらずこちらを見ていない。
青い虹彩は震え、黒い瞳孔は収縮していた。
「ん?」
私はそこで違和感を察知する。
男の瞳の奥で、何かが蠢いた気がした。
動揺による反応ではない。
はっきりと何かが動いた。
関心を引かれた私は凝視する。
そして、一つの事実に気付いた。
覗き込んでいるのは、私ではない。
これはむしろ、向こうから覗き込まれているような――。
「…………っ」
次の瞬間、私は反射的に手を動かす。
男は瘴気を浴びて腐り落ちて、一瞬でグールへと変貌した。
もう喚くこともなく、ただ項垂れるだけの存在となる。
左右の眼球は、黒い粘液になって眼窩を流れ落ちた。
「魔王サマ? 大丈夫……?」
ルシアナが後ろから声をかけてくる。
振り向くと彼女は、心配そうな顔をしていた。
(今のは何だ……)
私はグールとなった諜報員を見る。
男が仕掛けた術ではない。
彼は演技ではなく本気で怯えていた。
術を発動できる精神状態ではなかった。
そもそも男の魔力は、最期まで乱れたままだった。
第三者が諜報員の身体を経由して攻撃を試みたとしても、まず失敗していただろう。
しかし、私は間違いなく何者かの干渉を受けた。
既存の魔術とはまるで異なる能力だ。
得体の知れない感覚があった。
ともすれば、精神を根底から覆されそうな不安を押し付けられた。
これを人間の身で常に受けているのだとすれば、諜報員達が正気を失っているのも納得だ。
もし不死者でなかったら、今頃は心臓が破裂寸前にまで鼓動していたに違いない。
私は残る諜報員を禁呪で厳重に隔離した。
彼らの目を直視しないように意識する。
間もなく諜報員達は、色付きの結界で包囲された。
結界は何重にも及んでおり、たとえ攻撃特化の大魔術でも破壊できない。
術の発動を終えた私はルシアナに命じる。
「この者達は私が管理する。引き続き諜報員の処理を続けてくれ」
「魔王サマはどうするの?」
「問題解決に動く。これは急務だ」
それだけ答えると、私は諜報員達を連れて転移した。