第152話 賢者は亜神に問い詰める
私の言葉に、亜神は震える。
それは極度の怒りによるものだった。
彼は血走った目を向けてくると、喉奥から声を絞り出す。
「使命……世界平和が、魔王の使命だと? 冗談も大概にしろ。何を言っているのだ」
「お前と私の志に大きな違いはない。思想も似ている。ただ、決定的な違いがある。それは覚悟だ」
私は話を続ける。
亜神は攻撃を仕掛けて来ない。
彼は話の続きに関心があるのだろう。
平和や正義を重んじるからこそ、対極に位置する魔王が何を言うか気になっている。
「魔王軍を解体した後、お前は自死すると言った。自らの存在こそ、新たな混乱を招きかねない、と」
確かにその通りだ。
私も同じような未来を想像している。
亜神は、空間魔術を自在に操る規格外の存在だ。
魔王軍を滅ぼした世界で、彼に対抗できる者はいない。
そうなると、亜神を渦中にして争いが起きる。
どの国々も彼を傘下に加えたいと考える。
目障りだとして、抹殺したいと考える者もいるだろう。
必然的に争いが生まれてしまう。
犠牲に次ぐ犠牲が生まれ、取り返しのつかないことになりかねない。
故にそうした混乱が起きる前に死ぬのは策の一つではある。
根本の原因を取り除くことに繋がる。
大きな問題は避けられるだろう。
「しかし、その後の世界は誰が平和を維持するのだ。人間は同じ過ちを何度でも繰り返す。儀式魔術を隠滅したところで、別の手段で力を得ようとするだろう。そうすれば、やはり争いは勃発する」
「人間は間違いを反省し、そこから成長できる。もし争いが起きても、その時代の者達が解決を――」
「それが甘い」
私は遮るように断言した。
亜神がたじろぐ。
彼の両手は、空間の歪みを保持していた。
気にせず私は指摘する。
「強大な力を持ち、世界を変えたいと志したのなら、それを突き通せ。なぜ死を選んで他人任せにしようとする」
「そ、それは……」
「本当に平和を願うならば、永遠に世界を救い続ければいい。絶対的な正義として、悪を滅ぼし続けるべきだ」
立ち位置が正反対だが、私が魔王になった理由と同一だ。
不倒の正義と化して、絶えない悪を払う。
それも一つの答えだろう。
私は選ばなかったものの、ある程度の共感は示すことができる。
もっとも、亜神の主張や方針とは乖離していた。
真っ向から対立していると評してもいい。
「正義として永遠を生きる覚悟がないのなら、お前の命はここまでだ。魔王の糧となってもらう」
私が歩みを進めて、亜神を剣の間合いに捉える。
あとは踏み込みと同時に斬りかかれば、瞬きの間に殺害が可能だった。
たとえ転移で逃げられようと、人体の一部は切断できるはずだ。
今度は接合される前に切り刻む。
それを繰り返すことで、亜神を殺すことができる。
「…………」
沈黙する亜神は、追い詰められながらも落ち着いていた。
彼は私を凝視する。
その眼差しが別の色を見せたところで、亜神は口を開く。
「……戯れ言は、それで終わりか。私を惑わせたいようだが、考えは変わらない。つまらない説教で動揺するほど、柔な心積もりではないのだ」
突如として亜神が突進してきた。
手のひらに歪みを掴み、それを押し付けるように突き出してきた。
私は空いた手で払う。
手首から先が消失した。
亜神の手のひらも深く裂ける。
血を飛ばしながらも、彼はさらに踏み込んできた。
「自死せずに悪を滅ぼし続けることが最適だと? 不可能だ。個人で為し遂げられる範疇にない。理想論を語ったところで、世界は好転しない」
背後に歪みを察知し、私は宙返りをする。
転移した亜神が通り過ぎるところだった。
彼の手は、やはり歪みを保持している。
手のひらの傷が捩れて血肉を噴出させていた。
亜神の姿は不自然に明滅している。
彼の顔に苦痛が走っていた。
それを歯噛みして耐えると、亜神は跳び上がって追撃を加えてくる。
「そもそも個人による力の支配など、世界の流れに比べれれば些細なものだ。いずれ淘汰されていく。ならば刹那の分岐点に徹して、過干渉を控えるべきではないかっ」
私は飛行する。
亜神は空間を蹴って追従してきた。
さらに高頻度で歪みを射出し、転移も多用してくる。
彼は上下左右から不規則な連撃を仕掛けてきた。
私はひたすら回避し続ける。
厳しい場合は形見の剣で歪みを切断した。
徐々に身を削られながらも、致命的な損傷は免れている。
亜神の猛撃は、止まるどころか勢いを増してくる。
「正義とは、大勢の名のもとに紡がれるものだ! 決して、魔王が、語る、ものでは、ないッ!」
強い叫びと共に、歪みを掴んだ手が正面から私の胴体に触れた。
軋みながらめり込んだそれは、一瞬にして黒い骨を消失させる。
その地点を中心に、私の身体が崩壊し始めた。
亜神の顔が勝利を確信する。
彼はもう一方の手を掲げると、駄目押しにそれを叩き込もうとしてきた。
私は翻るようにして剣を一閃させた。
自らを穿つ手を切断する。
そのまま流れるように亜神の胴体を斜めに断つと、返す刃で彼の顔面を薙いだ。
斬撃が、亜神の右目を割った。
「が、ハ……ッ!?」
仰け反った亜神は、血を吐き出した。
彼は切断された手を接合しようとする。
私はその前に手を切り刻んで阻止した。
自らの肉片を抱えた亜神は、よろめいて墜落していく。
彼は受け身も取れず、地上に激突した。
「――半端だ。何もかもが半端だ」
私は呟く。
頭上から雨が降ってきた。
全身が濡れていく。
その冷たさを知覚しながら、私は地上へと降りていった。