第151話 賢者は亜神の本懐を知る
「勇者は死んだ、か……」
私は亜神の言葉を反芻する。
胸に響く言葉だ。
正直、あまり聞きたいものではなかった。
痛みに近い疼きを覚える。
「自らの手で葬った者すら忘れたのか。聖剣の勇者は、魔王に殺されたと聞いている。そして王国は滅亡した」
「忘れるはずもない――勇者は、私が殺した」
亜神の追及を受けて、私は呟く。
私は実質的に二人の勇者を死に追いやった。
どちらも選択の果てに訪れた末路である。
私の行動次第では、未然に防げた事態だった。
いつの時代も、私は真なる正義を貶めてきた。
(しかし、それが魔王を担う私の宿命だ)
正義すら糧にして、前へと進まねばならない。
止まることは許されない。
二の足を踏むには、私はあまりにも多くの命を犠牲にしすぎた。
開き直りと言われればそれまでだろう。
だが、あらゆる批難や怨嗟、憎悪を背負い切る覚悟で魔王になった。
そこに嘘偽りはない。
私は形見の剣を構えて宣告する。
「私は悪の頂点に君臨し続ける。未来永劫、この地位を崩すつもりはない。亜神、お前にも死んでもらう」
「この状況でも大口を叩けるとは、大した自信だな」
「それくらいの心持ちでなければ、魔王などやっていられない」
私は剣を手に歩き出す。
亜空間に引きずり込まれた以上、魔術の無駄遣いは厳禁だ。
元より魔術の効果は薄い。
根本的にやることは変わらなかった。
ひたすら間合いを詰めて、叩き斬るだけである。
私の接近を前に、亜神は嘆息した。
彼は皮肉っぽい表情で愚痴る。
「……聖杖国の者達には文句を言いたいところだな。奴らは今代魔王の力量を見誤っている」
「どういうことだ」
私が問うと、亜神は片頬を引き攣らせる。
どうやら苦笑したようだった。
「彼らから伝えられた情報だ。今代の魔王は規格外の不死者であり、聖女の神聖魔術すら効かない。その点に間違いはないようだが、白兵戦は不得手だと聞いていた」
「ほう」
「典型的な魔術師である魔王は、自らが前線に出ようとはせず、配下に任せきりにしている。だから、間合いさえ詰められれば有利に持ち込める。そう聞いて格闘術まで学んだが、とんだ恥を晒してしまった」
亜神の話を聞いて、私は何とも言えない気持ちになる。
それは初耳だった。
各国は私の能力を勘違いしているらしい。
確かに私は、頻繁に剣を使わない。
戦場にもあまり顔を出さず、王城で事務作業に追われる毎日だった。
いざ参戦しても、アンデッドを指揮するだけだ。
リッチという種族もあり、術者としての印象が一人歩きしているようだった。
結果として、剣技については周知されていない。
亜神は偏った情報だけを頼りに対策を取ったらしい。
それは不憫と言えよう。
彼が愚痴を吐きたくなるのも分かる。
息を洩らした亜神だが、直後に鋭い眼差しを向けてきた。
重い疲労は鳴りを潜めている。
「だが、私は決して諦めない。すべてを捨てた今、この身に残された使命は世界平和のみ。それを完璧に遂行するまでだ」
「私を殺し、魔王軍を解体した後はどうする。如何なる手段で世界平和を維持するんだ」
「潔く死ぬ。平和を維持するのは、残された人々の役目だ。亜神などという存在は、本来は生きてはいけない。争いの原因にしかならず、後の世に迷惑をかける。私自身、兵器として利用されたくない」
亜神は昏い声音で語る。
そこには彼の人間としての本音が見え隠れしていた。
彼はまるで独白のように言葉を続ける。
「亜神の役目は、魔王軍の解体に他ならない。それ以上の介入はしない。新たな亜神が出現しないように、儀式魔術の痕跡は残らず破壊した。これで非人道的な禁術は永久に再現できない」
地下の魔術工房は、徹底的に証拠隠滅が図られていた。
あれが亜神が弱点を残したくないためと思っていたが、実際は儀式魔術の犠牲者を増やさないためだったようだ。
少し意外ではあるものの、真っ当な動機だろう。
亜神とまでは行かずとも、英雄を意図的に生み出せる術は危険だ。
世界に大いなる混乱を招く。
新たな差別に繋がる可能性もあった。
少なくとも平和とは対極に位置する流れへと向かってしまう。
その可能性を潰すという意味で、亜神の行為には共感ができた。
私は一定の距離まで近付いたところで足を止める。
そして、身構える亜神に話しかけた。
「お前の考えと主張はよく分かった。その上で言いたいことがある」
「何だ」
亜神は警戒しながら応じる。
私は形見の剣を上げると、冷え切った声音で告げた。
「――お前に世界平和は任せられない。今後も私の使命だ」