第149話 賢者は亜神に刃を向ける
亜神が驚きと共に硬直する。
切断されたのは彼の右腕だった。
断面から血が噴出し、地上を濡らしていく。
亜神がもう一方の手を添えると、出血は止まった。
能力で押さえているのだろう。
続いて彼は落下する自身の腕を凝視する。
片腕は消失し、亜神のもとに引き寄せられた。
彼は無事な手で片腕を掴むと、断面同士を押し付ける。
間も無く腕は接合された。
亜神は指を開閉する。
特に違和感はなさそうだ。
神経まで正確に繋がっているらしい。
恐るべき修復力である。
亜神は地上に降り立った。
そばにはグロムの残骸が転がっている。
瘴気を漂わせるのみで、動き出す気配はない。
「最期の一撃は、見事だった」
そう言って亜神が手をかざす。
グロムは上から空間的な圧縮を受け、僅かに残っていた部位まで粉々にされた。
徹底的な破壊により、完全に行動不能となる。
「…………」
私は平常心を意識する。
魔力さえ補充できれば、グロムは復活が可能だ。
そう簡単に滅びはしない。
不死性に関しては、アンデッドの中でも随一であった。
だから、ここで冷静さを欠いてはいけない。
亜神は粉々になったグロムを一瞥する。
次いで私を見やった。
「やはり大したことがなかった。この力の前では、脆弱な存在に過ぎない」
「彼は役目を果たした。十分すぎる働きだ」
私は亜神に反論する。
亜神は息を吐くと、片腕を動かしてみせた。
濁った双眸には、呆れと侮蔑が窺える。
「腕を切断したことか。或いは能力の一端を使わせたことか。どちらにしても些末なことだ。勝敗には影響しない」
亜神は冷え冷えとした調子で述べる。
グロムの奮闘は、彼にとって無意味なものなのだ。
私は何も言い返さない。
この場には口論をしに来たのではない。
もし言い負かせたとしても、こちらに得があるわけでもなかった。
私がすべきは、グロムの貢献を結果に反映することだろう。
それ以外になく、感情を余計に昂らせるべきではない。
私は鞘から剣を引き抜き、慣れた動作で構える。
かつての魔王を斬った剣技だ。
昨今においても、様々な英雄を屠ってきた。
剣そのものが、拭いようのない因果を抱えている。
そして今宵、そこに新たな歴史が追加される。
亜神は私の姿を見て怪訝そうな顔をした。
彼は私に問いかける。
「ただの剣か。そのようなもので戦うつもりとは、慢心しているのか」
「慢心ではない。その証拠をこれから見せる」
私は前へと踏み出す。
剣を構えた状態で、亜神へと静かに接近していく。
焦らず、一定の間隔で脚を動かし続けた。
亜神の戦い方は、概ね把握している。
能力の使い方にも察しが付く。
その上で向こうの出方を窺うのだ。
決して消極的になっているわけではない。
あの人の剣技は、反撃に優れている。
基礎から発展した防御術が主体となっていた。
彼女は、とにかく怪我を負わないことを念頭に置いてきた。
魔族との戦いにおいて、些細な傷が結果を左右しかねないためだ。
勇者稼業の上で、必須の技術と言えよう。
結果、彼女の剣はそれに適した型へと昇華された。
「…………」
亜神はこちらを観察している。
平静を装っているが、端々の動作に落ち着きがない。
予想外の出方に戸惑っているようだ。
私が一目散に突進するとでも思っていたのだろう。
どうやら亜神は、戦い慣れていない。
絶対的な経験が不足していた。
先ほどまでの動きを考えるに、それなりの訓練は積んでいるようだが、それも付け焼き刃に過ぎない。
すべてが能力に頼った戦い方だった。
もっとも、それは弱点とは言い難い。
大抵の相手は、能力頼りでも倒せてしまうからだ。
それほどまでに亜神の能力は反則的であった。
あらゆる不利を覆し、勝利をもぎ取るだけの強さを秘めている。
(ただし、それは同格以上には通じない)
亜神が腕を動かそうとする。
私はさらに意識を集中させて、彼の挙動と変化に注目した。
伸ばされた指が、先端から薄れて消失していく。
離れた空間を繋げて、一部だけを別の場所に転送しているのだ。
そこからの不意打ちを繰り出すつもりなのだろう。
グロムの背中を抉った手順であった。
私は直感に従って剣を一閃させる。
上体を反らしながら放った斬撃は、死角から迫る亜神の手を切断した。
さらに連続して剣を振るう。
虚空から伸びる亜神の手が、指から手首にかけて解体されていく。
「……っ」
亜神が手を引っ込める。
押さえられた手は、血塗れになっていた。
切断箇所は既に接合されている。
(治療が速いな。かなり手慣れている)
ただ空間魔術が使えるだけでは、あれだけ器用な真似はできない。
おそらくは、死なないように鍛練したのだろう。
その努力が窺える。
「なぜ剣が無事なんだ。今の接触で破壊できたはずだった」
亜神は形見の剣を見ながら言う。
私は付着した血を振り払って答えた。
「空間魔術の干渉を受けない速度で斬った。何も難しいことはしていない」
亜神に接触すると、空間が捩れる。
そして問答無用で破壊される。
私の出力を以てしても、抗うのは難しいだろう。
一見すると無敵のように感じられるが、その状態は常に維持されているわけではない。
亜神が意識的に発動しているのだ。
グロムが瘴気の糸を使った時のように、発動していない時なら攻撃が通じる。
加えて亜神の空間魔術には、発動までに時間差が生じる欠点があった。
先ほどの戦いを見て気付いたのだ。
強力な術ほど溜めが大きくなる。
ほんの僅かな時間だが、発動までに腕一本を切断できるだけの猶予は存在していた。
剣速を上げることで、亜神の空間魔術には対処可能だった。
「馬鹿な……」
「これで証明できたか? 私は慢心していない。全力でお前を排除するつもりだ」
私は切っ先を向けながら宣言する。
形見の剣は、月明かりを受けて青白い光を反射させた。
そこを一筋の血が伝って、滴り落ちる。
亜神は斬れた腕を気にしながらぼやいた。
「魔術師と思っていたが、勘違いだったらしい。まさか剣士のリッチとはな」
「怖気づいたか」
「意外だと思っただけだ。魔王討伐に陰りはない」
亜神の眼差しは、戦気を漲らせていた。
己の能力を対策されながらも、未だに勝利を諦めていない。
私を殺すために全力を尽くすつもりのようだ。
その姿は、正しく英雄のそれであろう。
「――行くぞ」
身構えた亜神は、四方八方に歪みを生成する。
それらを以て攻撃を仕掛けてきた。