第147話 賢者は亜神と再会する
その日の夜、私とグロムは旧魔族領へと赴いた。
何もない清涼とした荒野だった。
頭上には夜空が広がっており、星々と満月が浮かんでいる。
ここが指定された決闘の場所なのだ。
本来はディエラの住まいだが、亜神はそれを無視していた。
ディエラ本人がこのことを知っているかは不明である。
おそらくはここが最も第三者に迷惑のかからない場所だから選んだのだろう。
これだけ広大かつ無人の地帯は珍しい。
戦闘が激化したところで、余波の及ぶものがない。
そういった意味では、決闘に最適な場所であった。
私としてもありがたい条件には違いない。
ここならば全力を出したところで二次被害は起こり得ない。
グロムは辺りを見回す。
彼は強い警戒心を露わにしていた。
「本当に現れるのでしょうか……」
「必ずやってくる。約束は違えないはずだ」
私は断言する。
これに関しては確信していた。
グロムは怪訝そうに問う。
「何か根拠があるのですか?」
「あの男――亜神と話した印象だ。確固たる信念を持っていた。彼は自他の欺瞞を赦さない」
亜神の正義は一貫している。
世界樹の前で会った際も、森やエルフへの被害を考慮していた。
私に攻撃することなく立ち去ったのも、なるべく犠牲を出したくないからだった。
亜神は、自身の力を振るうことに躊躇いを覚えている。
少なくとも悪人ではない。
彼は損得勘定を抜きにして、私を殺そうとしていた。
魔王軍の解体が目的ということは、悪を排除して世界を平和にしたいようだ。
その理念は肯定できるものだ。
実現の果てに何があるかはともかく、平和を望む心は良いものである。
私は腰に吊るした形見の剣を意識する。
今回はしっかりと持参してきた。
亜神はこの剣を使うに足る相手だ。
確実に仕留めねばならない。
逃がさずに殺すのならば、形見の剣で斬るのが最適だった。
その時、私は空気の変質を感知する。
それはほんの僅かな変化だった。
ともすれば気のせいかと思ってしまうほどである。
しかし、確かに変わった。
何度確かめても同じだった。
私はグロムに忠告する。
「そろそろ来るはずだ。気を引き締めておけ」
「はっ! 承知しました」
グロムは素早い動きで身構えた。
彼はいつでも対応できるようにしている。
私も剣の柄に手をかけた。
各種魔術で身体強化を施し、意識を研ぎ澄ませる。
亜神の出方次第では、すぐさま引き抜くことになるだろう。
やがて前方に空間の歪みが生まれた。
そこから現れたのは亜神である。
褐色の肌に白い蓬髪。
全身に刻まれた青い術式も、以前に会った時と同じだった。
亜神はこちらを見て口を開く。
「待たせたか」
「気にしなくていい。私達も来たばかりだ」
「そうか」
亜神は冷淡に応じる。
落ち着いた様子は、まるで自然体だった。
これから決闘を行う者のようには見えなかった。
ただし、覚悟がないわけではない。
蓬髪の隙間に覗く彼の目は、芯の通った眼差しで私を凝視している
使命を帯びた者の瞳だ。
目的のために自らの命を賭す覚悟を持っている。
しばらく固まって動かない亜神だったが、唐突にグロムを指差した。
彼は私に問いかける。
「なぜ側近を同行させた。決闘には不要だろう」
「配下の参戦は禁じられていない。協力してお前を始末するつもりだ」
私が答えると、亜神は微かに顔を顰める
何かが不服らしい。
彼はこちらを訝しげに見ながら言う。
「……本気かね。確かにその不死者は尋常でない力を持つ。しかし、この戦いに踏み込める領域ではない。それは分かっているはずだ」
「それを決めるのはお前ではない」
私はグロムに目配せ。
グロムは頷き、前に進み出た。
これは事前に決めていたことだった。
彼たっての希望で、グロムが先に戦うのだ。
そうして亜神の力を少しでも私に見せるのが目的であった。
グロムは一定の距離で足を止めて、亜神と対峙する。
彼は堂々とした態度で話を切り出した。
「我は力不足である。そう言ったのか?」
「間違いない。そう言った」
亜神は即答する。
挑発のように思えるが、そうではない。
彼はただ事実だけを端的に述べているのだ。
一方でグロムは、八本の腕に瘴気を送り込んだ。
それらが蠢いて武器の形に変貌し、加えて黒い炎が灯された。
八種の武器を回転させながら、グロムは地鳴りのような声で宣告する。
「――よかろう。その誤った認識を正さねばならぬ」
「…………」
亜神は未だに自然体で佇んでいる。
特に気負うこともなく、静かにグロムを観察していた。
その最中、彼は私に視線をずらす。
「側近に任せて高みの見物か。大層な身分なのだな」
「魔王なのだから、大層な身分だろう」
私は若干の嫌味と挑発を踏まえて言葉を返す。
これで少しでも亜神の注意を削げるのならば儲けものだ。
亜神は視線をグロムに戻した。
彼の体内で魔力が高まっていく。
全身の術式が仄かに発光し始めた。
「薄情なものだ。そうして配下が滅ぶ様を眺めているがいい」
言い終えた瞬間、亜神の姿が消えた。