第146話 賢者は忠臣の願いを聞き入れる
「ついに来たのね。どうする? 無視しちゃう?」
「もちろん承諾する。断れば、何をされるか分かったものではない」
私は読み終えた手紙をルシアナに渡す。
亜神は空間魔術という反則じみた能力を所持している。
今の私を凌駕するほどとなると、大陸すら吹き飛ばすほどの力だろう。
それをしないのは、彼が殺戮を好まないからだ。
あくまでも魔王軍の解体だけを目的としている。
無意味に挑発するような行為は控えるべきだ。
それに加えて、亜神の居場所は不明だった。
向こうから姿を現すのならば、これほど都合の良いことはない。
相手を倒したいのは私も同じだった。
この機会を逃す気は無かった。
「相手は強いけど、魔王軍で立ち向かうつもりなの?」
「特に指定はないが、私一人で行くつもりだ」
亜神はおそらく単独で行動している。
こちらが大勢で向かっても、的を増やしてしまうだけだ。
空間魔術を用いれば、一網打尽にすることも容易だろう。
相当に厄介な強さである。
同行者がいても、守り切れるか怪しいところだった。
手紙の内容に目を通したルシアナは、それを折り畳んで仕舞う。
彼女は事務机に腰かけながら私に忠告する。
「魔王サマなら大丈夫だろうけど、気を付けてね。気を抜いて逃がしちゃダメよ」
「分かっている。容赦はしない」
英雄は底力を持っており、思わぬ場面で限界を超えてくる。
最近では戦乙女などが良い例だろう。
死の間際ほど、こちらの想定を上回るのだ。
彼らはその信念に従って力を発揮してくる。
「なるべく被害が出ないように努めるが、防衛だけは徹底してくれ。万が一の時は逃げてもいい」
「はいはい、分かってるわよ。自分の身は自分で守れるから、安心してね」
ルシアナはひらひらと手を振って応じる。
彼女はいつも気楽な調子だった。
私のことを信頼しているが故の態度だろう。
期待に応えなければと思う。
その時、出入り口の扉が開いた。
現れたのはグロムだ。
「失礼致します」
一礼したグロムは、静かな足取りで私のもとへと赴く。
神妙な雰囲気だった。
若干、緊張しているように見える。
「ふーん……」
何かを察したルシアナは、入れ替わるようにして退室した。
静寂の中、私はグロムに問いかける。
「どうした」
「魔王様。亜神との決闘におきまして、我の同行を認めていただけないでしょうか」
グロムは私の前に跪いて懇願した。
思わぬ要望で、その意図が読めない。
亜神から連絡が来たことも知っていたらしい。
密偵経由で聞いたのだろうか。
彼の権限なら、手紙のことを知っていてもおかしくない。
「お前には魔王領の守護を任せるつもりだったのだが」
「それは先代魔王のディエラに依頼しました」
グロムは即座に答える。
根回しも既に済んでいるとは、妙に準備がいい。
おそらくは前々から計画しており、今回はそれを実行に移したのだろう。
そこまで周到に考えているとは思わなかった。
彼がそこまでして亜神と戦いたいのか不明である。
だから私はグロムに尋ねた。
「なぜ同行を希望する」
「肝心な時、我は魔王様のお役に立てていないと思うのです。聖女マキアとの戦闘では、役立たずどころか足手まといでした。以降の戦闘でも露払いが精々で、英雄の相手は魔王様にお任せしてきました」
グロムは語る。
それは初めて聞くことばかりだった。
彼の本音には、並々ならぬ想いが込められている。
「適材適所だ。グロム、お前の働きは十二分の価値がある。卑下することはない」
「それでも、魔王様のお隣で戦いたいと思うのです。身勝手な考えであるのは重々承知しております。どうか亜神との戦いに加えていただけないでしょうか」
グロムは床に額を押し付けて懇願を重ねる。
その大柄な身体を精一杯に小さくして、自身の望みを口にした。
沈黙を経て、私は頷く。
「分かった。許可しよう」
「嗚呼、感謝します。我は貴方様のために、力の限りを尽くして善を滅しましょう」
顔を上げたグロムは感極まった声音で宣言する。
私は彼の言葉に違和感を覚える。
「……そこは"悪を滅する"と言うものではないのか」
「我々は正義を抱いて行動しておりますが、悪には違いありませんからな。人々のために悪を打倒する亜神は、自ずと善になりますぞ」
グロムは含みを持たせた言い方をする。
それは、不滅の悪になるという私の目的を踏まえた表現だった。
「確かにな。その通りだ」
私達は絶対的な悪である。
結果として世界の安寧を目指しているが、その過程で数え切れないほどの善を殺してきた。
これからも虐殺を繰り返していくだろう。
グロムの言葉は、私の心に深く沁み渡った。