第141話 賢者は死者の谷を守る
ルシアナの報告は、決して軽んじられる内容ではなかった。
考え得る中でも望ましくない部類だ。
嫌な予感は見事に的中したというわけである。
「それは、本当か」
『間違いないわ。真っ直ぐ目指しているようね』
ルシアナは淡々と述べる。
幾分かの緊張が窺えた。
いつもの調子に比べると、明らかに真剣である。
彼女の気持ちも分かる。
人間の軍が死者の谷を狙うことなど、今まで滅多になかった。
ましてや英雄がやってくるのは初めてだろう。
そもそも王都のすぐそばという位置は、容易に侵攻できない。
大抵の場合、到達までにいくつもの村や街を経由していくことになるからだ。
さらに侵攻する意味も薄い。
現在、死者の谷の瘴気濃度は凄まじい。
生半可な浄化は効かず、常人は近付くだけで命を吸い取られかねない魔境と化している。
私が死体を捧げ続けることで、汚染を加速させたのだ。
しかし戦乙女の軍は、死者の谷を目指している。
その目的は考えるまでもない。
死者の谷に干渉し、私の弱体化を図ろうとしているのだ。
魔王領内を進んで死者の谷に到達するとなると、かなりの労力がかかる。
何より機動力が求められる。
戦乙女の軍は少数精鋭で動いているに違いない。
もしかすると、軍とも言えない規模で動いているのかもしれない。
それは悪くない案だ。
十年前、私達も同じことをした。
軍隊規模では不可能な立ち回りができる。
状況によっては最適解となり得る。
無論、個々人の高い実力が要求される。
少数での行動は常に危険が伴う。
一瞬の油断で全滅する恐れがあった。
ただ、今回に関しては正しい判断と言えよう。
軍隊で動く場合、死者の谷に辿り着く前に魔王軍と何度となく衝突することになる。
犠牲が膨らむばかりで、移動速度は劇的に低下してしまう。
少数精鋭ならば、これらの問題を解消できる。
見つかる前に高速移動し、速やかに目的地に辿り着けるためだ。
おそらく経路も含めて入念に計画しているのだろう。
ちょうど鋼騎士が死んだ直後なので、こちらの隙を突くつもりだったのかもしれない。
実際は早期に察知できたとは言え、よく考えている。
『どうするの。さすがに放置はできないでしょ?』
ルシアナが不安そうに言う。
彼女にしては落ち着きがない。
なんとも珍しい状態だった。
「私が処理しよう。見過ごすわけにはいかない」
感情を乗せず、事務的な口調で私は宣言する。
さすがに力の源泉に攻め込まれるとなると、手加減はできない。
徹底的に蹂躙することになる。
さらなる防備も敷いておかねばならなかった。
『魔王サマだけで大丈夫? 戦乙女は例の能力を持ってるけど……』
「問題ない。対策は考えている」
相手については事前情報がそれなりにある。
儀式魔術によって強引に英雄となった一人で、その能力も概ね把握していた。
正直、相性的には最悪に近い。
もっとも、それで困るのは事前情報も無く戦うことになった時くらいだ。
戦乙女がどう戦うかは熟知している。
奥の手の一つや二つは隠しているだろうから、そこだけ注視しておけばいい。
実際の状況は、ルシアナが思うほど深刻ではなかった。
『アナタなら負けないと思うけど……だからと言って、無理はしちゃ駄目よ』
「分かっている」
ルシアナの念押しに私は頷く。
亜神との戦いも近日中に控えている。
ここで消耗するような真似はしないつもりだった。
『じゃあ、結果報告を待ってるわ』
「それほど時間はかからないだろう。すぐに連絡する」
『はーい』
私はルシアナとの念話を終了した。
黙っていたローガンがすぐさま私を問いただす。
「どうした。何があった」
私はルシアナとの会話内容を説明する。
それを聞いたローガンは、神妙な表情になる。
彼は難しそうに唸る。
「死者の谷……お前の力の根源だと知られているのか」
「明言した覚えはないが、秘匿しているわけでもない。関連付けたとしても、何ら不自然ではないだろう」
元は王国の処刑地であった死者の谷は、それなりに有名だ。
古くから罪人を突き落とす場所として知られている。
戦争で帝国の兵士の死体を捨てるためにも用いられてきた。
いつの時代も死に深く結び付いている。
不死の魔王である私は、アンデッドを使役する。
言うなれば死を操る力だ。
あの谷と何らかの関係があると疑われても、別におかしい話ではなかった。
「すまないが調査は終了だ。私は戦乙女の迎撃に向かう」
「俺はどうする」
「城で待機しつつ、精霊魔術の防護を張ってほしい。ユゥラと協力すれば、王都全域でも可能だろう」
「任せろ」
ローガンは頼もしい返事をして頷く。
これで王都の守りはほぼ完璧だ。
あとは亜神に備えて転移阻害を執拗に施しておけばいい。
私達は工房から転移で帰還した。
ローガンは城へ向かい、私は転移阻害の術を使ってから研究所へと赴く。
入口を抜けると、すぐに所長がやってきた。
「これはこれは魔王様! 今日はどういったご用件で――」
「専用機を貸してほしい。修理は済んでいるか」
私は食い気味に話を切り出す。
所長は勢いよく首を縦に振った。
彼女は身振り手振りを加えて語り始める。
「ええ、もちろんですとも! あれから設計を一から見直して、多種多様な改善を実施しました。これによって機体性能は――」
「解説は後で聞く。準備を急いでくれ」
「承知しましたっ!」
所長は空気を察して敬礼する。
彼女に案内された先には、鋼騎士との戦いで使った専用機のゴーレムが置いてあった。
細かな破損は既に修繕されている。
外見は微妙に変化していた。
具体的に挙げるのは難しいほど些細な変化だが、明らかに変わっている。
「全体的に部品の変更を行っています。大きな変更点はなく、基本性能を底上げした形ですね」
所長の話を聞きつつ、私はゴーレムに近付いて観察する。
そして、とあることに気付く。
「この部品は……鋼騎士か?」
「そうですね。非常に有用な部位がいくつかありましたので、今回は流用させていただきました。動作面に問題はないはずです。えーっと……もしかして不味かったです?」
「いや、構わない。よくやってくれた」
少し驚いたが、所長に非はない。
既に鋼騎士は死者だ。
その身体の部品を拝借したところで、文句は言うまい。
ここで使わなければ、捨てるような代物なのだ。
それならば有効活用すべきだろう。
死者の冒涜かもしれないが、それは本当に今更である。
私ほど死者を冒涜し、愚弄する者もいないだろう。
自虐的な思考を挟みつつ、私は専用機と魔術的に接続した。
意識を同調させて、自由に操れるように調整する。
私の本来の身体はこの場で待機だ。
万が一にも専用機が行動不能となった場合、現場に急行する。
願わくば、そのようなことにならないのを祈るばかりであった。
私は感知魔術を行使する。
領内を探っていくと、すぐに戦乙女らしき反応を発見した。
やはり少数で行動している。
そして死者の谷を目指しているような位置にいた。
情報に誤りは無かったようだ。
(わざわざ到着を待つ義理もないな)
彼らの動きから考えるに、今日か明日には死者の谷に到着する。
すぐにでも対処すべきだろう。
「では行ってくる」
「いってらっしゃいませ! また使用感を聞かせていただければ幸いですっ」
大きく手を振る所長に見送られて、私は戦乙女のもとへと転移した。