第140話 賢者は儀式場を訪れる
数日後、私はローガンと共に聖杖国へと赴いた。
儀式魔術の行われた場所を密偵が発見したのである。
そこの破壊と情報収集が目的だった。
さすがに密偵にそこまでは任せられない。
今回の場所の特定も、かなりの危険を承知で探ってもらったのだ。
ここからは私の役目だろう。
転移先は聖杖国の辺境で、森の中にひっそりと隠された洞窟である。
近くに街や村はない。
よほどの偶然でもなければ、無関係な人間が迷い込まない場所だった。
私達は隠密魔術を使った状態で洞窟の前に立つ。
手始めに感知魔術で洞窟内部を探ってみた。
途中、ローガンが私に問いかける。
「どうだ?」
「何の生命反応も感じられない」
私は首を振って応じる。
何度か確かめても同じだった。
隠密系統の術で隠れているようでもない。
ローガンは訝しそうに洞窟を睨む。
「密偵の情報が誤りだったのか?」
「いや、それはないだろう。代わりに無数の屍がある」
「何」
ローガンの目付きが鋭くなる。
魔術で解析した結果、その事実を知ることができた。
内部に複数の死体があるのは間違いない。
目視で調べれば、細かい状態が分かるだろう。
「状況が見えないが、用心した方がいい」
私は必要な魔術を順に発動する。
いつ何が起こっても対処するためだ。
洞窟内へと進みながら、ローガンに指示を送る。
「私が先行する。後方は任せる」
「分かった」
私達は洞窟へと踏み込んだ。
内部は薄暗く、一見すると自然のままといった印象を受ける。
しかし、あちこちに各種魔術が張り巡らされていた。
かなり厳重な守りだ。
何も知らない者が入れば、たちまち命を落とすほどである。
私はそれらを解除しつつ進んでいった。
大して難しい作業ではない。
手本のような術ばかりで、飽きるほど見てきた系統であった。
仮に発動させてしまったところで、私とローガンなら問題ないだろう。
そうして進んでいくと、やがて洞窟の最奥に辿り着いた。
突き当たりは岩の壁だ。
天井がぽつぽつと水滴を落としている。
ローガンが壁の一角に触れ、辺りを見回しながら呟く。
「隠し通路か。典型的な構造だ」
彼は壁の一ヶ所に手を置き、ゆっくりと押し込んだ。
その部分の岩だけが沈み、内側から何かが作動する音がした。
少し移動したローガンは、別の一ヶ所を押す。
彼はそれを淀みなく十回ほど繰り返した。
すると、突き当たりの岩壁がせり上がり、さらに奥へと続く通路が出現する。
そこから先は、人工的な造りとなっていた。
一部始終を見ていた私はローガンを称賛する。
「流石だ。探索の勘は衰えていないのだな」
今の仕掛けは、順序が大切だった。
それを一度でも誤ると、罠が発動するようになっていた。
ローガンは少し調べただけで構造を看破したのだ。
熟練者でも彼ほどの手際は望めないだろう。
しかし、ローガンは眉を寄せていた。
彼は少し不機嫌そうに言う。
「年寄り扱いするな。エルフでの換算ならば、まだ若造もいいところだ」
「……すまない」
ローガンは年齢を気にしていたらしい。
少し意外だった。
そういった部分に頓着していないと思っていた。
今のは深く考えずに発言した私に非があるだろう。
これからは気を付けようと思う。
その後、私達は通路を進む。
洞窟の奥に建設されたそこは、広大な魔術工房だった。
私達は警戒しながら進んでいく。
「随分と入念な造りだ。よほど熱心だったらしい。精霊の死んだ気配もある。ここでは様々な禁術が扱われていたのだろう」
ローガンが意見を述べる。
彼に同行を頼んだ理由がこれだった。
精霊関連で、私とは異なる観点から考察してほしかったのである。
特に伝えていたわけではないが、ローガンは自らの役割を把握しているようだ。
工房内のあちこちには、死体が散乱していた。
一部が大きく欠損していたり、捻じ切られている。
武器による殺傷では、このようにはならない。
あまり見ない殺され方だった。
加えて各部屋は、どこもかしこも執拗に破壊されていた。
保管されていたと思しき資料類も、端から抹消されている。
儀式魔術が実施されたであろう広場も見つけたが、手がかりとなるものは残っていない。
優れた設備があったろうに、いずれも破壊されて機能していなかった。
ここには何かがあった。
それを匂わせるばかりで、肝心の証拠が見つからない。
何とも歯痒い探索が続く。
一通り巡回したところで、私はローガンに尋ねる。
「精霊魔術の系統でも、何か不審な点は探れそうにないか?」
「ふむ……」
ローガンは意識を集中させる。
少々の沈黙を経て、彼は首を振った。
「駄目だ。すべてが抹消されている。ここまで証拠が残らないのは逆に不自然だ。これをやった者は、何か詮索されたくないことがあったらしい」
私もローガンと同じ見解だった。
死体の状態から考えるに、工房内での殺戮から一日と経っていない。
犯人は、私達の来訪を察知して破壊したのではないだろうか。
「ドワイト。お前は何か分かったのか」
「一つだけ、明らかなことがある」
私は床の一角を指差す。
そこには大きな穴が開いていた。
本来なら何らかの術式が刻まれていた位置だが、現在は丸ごと削られている。
よく見るとその穴には、端々に不自然な捩れが残っていた。
工房内の他の場所にもあった捩れだ。
数え始めるときりがないほどに多い。
私はそれを指摘しながら述べる。
「空間に干渉した痕跡だ。この場所を破壊した者は、空間魔術の使い手なのだろう。それもかなり強力な使い手に違いない」
「つまり犯人は……」
「亜神だ。私達がここを訪れる前に、すべての証拠を隠滅したのだ」
私は断言する。
これはほとんど間違いないだろう。
厳重な警備の張られた魔術工房に侵入し、内部の人間を皆殺しにして全資料を抹消するなど、とても常人に可能な行為ではない。
そもそも洞窟の隠し通路が作動していなかった。
転移を使える亜神だからこそ、あの通路を経由せずに侵入できたのだ。
「おそらく亜神は、儀式魔術で生み出された英雄なのだろう。関係者でなければ、この地を訪れる意味がない」
或いは第三者として明確な目的があったのかもしれないが、まだ判別は付かない。
工房内の惨状とは裏腹に、何もかもが漠然としていた。
亜神の目論見は不透明なままである。
一つ言えることは、これ以上の情報は集められないということだろう。
無駄足ではなかったが、思ったよりも有益な情報は得られなかった。
こちらの行動が一足遅く、亜神の方が僅かに上手だったということである。
その時、頭の中に念話の声が響いてきた。
『魔王サマ、聞こえてる?』
ルシアナだ。
彼女は少し切羽詰まったような口調をしている。
嫌な予感を覚えつつも私は応じる。
「聞こえている。どうした」
『戦乙女の率いる軍隊が動き出したわ……方角からして死者の谷を狙っているみたいよ』