第14話 賢者は黒き矢を放つ
ヘンリーを配下に加えた私は、半壊した監獄から移動した。
次の目的地は、首都内にある王城である。
これはヘンリーの希望で、なんでも城内に取り返したいものがあるらしい。
わざわざ却下する理由もないため、私が同行して向かうことになった。
途中、損壊した今の身体を捨てて、無事なアンデッドの身体に切り替える。
ヘンリーとの戦いで受けた損傷は大きい。
両腕は完全に消失し、背骨も割れていた。
あのままでは色々と不便を強いられる。
自在に身体を変える私を見ても、ヘンリーは平然としていた。
彼曰く「今更、そんなことで驚きやしない」とのことだ。
私との一騎打ちで負けたことの方がよほど衝撃的だったらしい。
ヘンリーにとっては新鮮な経験だったのだろう。
私はヘンリーを連れて転移魔術で移動する。
城内がアンデッドの大群に占拠されたことは知っていた。
ヘンリーを除くと、小国内に大した実力者はいなかったようだ。
これが正常な結果なのだ。
ヘンリーが規格外なだけである。
アンデッドの軍勢をそう易々と崩壊させられては堪ったものではない。
私達は城内の広間へと飛ぶ。
赤い絨毯の敷かれた室内では、傷だらけのグールが徘徊していた。
鎧姿の兵士や、高級服を纏う貴族、使用人らしき者もいる。
誰もが等しくアンデッドに成り果てていた。
「すげぇな。本当に襲ってこないじゃないか」
ヘンリーは近くのアンデッドを突いたり、顔を覗き込んだりして感心する。
いくら安全と聞いていても、そこまでやれる図太い神経には敬意を評したくなる。
好奇心が諸々の配慮を上回ってしまったようだ。
「ところで、取り返したい物とやらはどこにあるんだ」
「たぶん宝物庫だな。この城の上階にある。俺の愛用していた武器なんだ。投獄された時に没収されたが、まだ残っているはずだ。そう簡単に手放される代物じゃない」
ヘンリーは少し得意げに語る。
それを聞いた私は、同時にあることを思い出す。
ヘンリーが勇者候補に挙がった当時、私は資料経由で彼の戦い方を知った。
そこで得た情報を踏まえると、確かに武器は必須だった。
今のヘンリーは、その戦闘能力を十全に発揮できていないということになる。
これで不完全というのだから驚愕する他あるまい。
宝物庫に続く階段を上っていると、馴染みのある気配が近付いてきた。
ひょこりと顔を見せたのはルシアナである。
「やっほー、魔王サマ。やっぱり無事だったのね」
「当然だ。ここで滅びるわけにはいかない」
彼女の背後には、複数の人間がいた。
まだアンデッド化していない。
彼らは焦点の合っていない独特の目をしていた。
表情も緩んでおり、何らかの異常状態にあるのは確かである。
私の視線に気付いたルシアナがすぐに説明を挟む。
「この子達は小国の首脳陣ね。魂の髄まで魅了してやったわ。これで絶対に逆らわない傀儡の完成ね」
「ほう、悪くないな」
「でしょでしょ!」
ルシアナはしきりに同意を求めてくる。
従順な人間の手駒が増えるのは歓迎だ。
色々と使いどころがある。
サキュバスという種族特性を活かした形での収穫だった。
彼らの持つ情報を容易に引き出せるのも大きい。
小国をけしかけた第三国を突き止めるのに役立つだろう。
その時、ルシアナがヘンリーを一瞥した。
彼女は顎に指を当てて観察する。
「その人間も仲間にしたのね。うん、いい判断だと思うわ」
「よろしくな!」
「あっ、そう」
ヘンリーの元気な挨拶に、ルシアナは淡々と応じる。
あまり興味がないのかもしれない。
彼女の場合、異性を区分する基準は強さの一言に尽きる。
私という頂点以外はどうでもいいのだ。
実際、先代魔王に匹敵する実力のグロムにも似たような態度を取っていた。
この辺りに関しては、徐々に仲良くなってほしいと思っている。
協力者同士が険悪だと、様々な作戦に支障が出かねない。
なんとか時が解決してくれるのを祈るばかりだ。
せっかく合流できたので、私達はルシアナも連れて宝物庫へ赴いた。
厳重に施された防犯用の魔術を破壊し、扉を開いて内部を確認する。
そこには小国の蓄える金銀財宝が保管されていた。
一国家の資金だ。
総額はかなりのものである。
もっとも、今の私はあまり魅力を感じられなかった。
金に価値を見い出せない存在となってしまった。
いや、生前から大して執着は無かったか。
アンデッド化はあまり関係ないのかもしれない。
「あっはぁ! すごいじゃない! 小国の割には貯め込んでいるわぁっ」
一方、ルシアナは目を輝かせて財宝に跳び込んだ。
彼女は宝石を掻き集めて歓喜し、しまいには豪華な首飾りに頬ずりし始める。
上機嫌なのは明らかであった。
意外と現金な性格をしているようだ。
そのそばを通過したヘンリーは、宝物庫内を闊歩する。
彼は無言で目当ての武器を探した。
やがてヘンリーの足がある一点で止まる。
「おっ、あったぜ大将!」
そう言って彼が掲げたのは弓だった。
表面はくすんだ茶色だが、木製ではない。
かと言って金属製とも違う。
不思議な質感を有している。
そう、ヘンリーは弓兵だった。
あれだけの肉弾戦を演じながらも、本職は遠距離攻撃である。
とても信じられないが、感知不能な距離からの狙撃を常套手段とするのだ。
そう聞くと暗殺者のようであった。
「こいつは竜の骨と髭で拵えられた弓でな。世界に二つとない物さ。取り返したくなるのも分かるだろう?」
ヘンリーは弓の弦を弄りながら解説する。
竜の素材で作られた弓ということは、品質は最上級だろう。
特別な工夫が無くとも、高性能な魔術武器となる。
「どうせだから試し撃ちでもするかね。一本か二本あればいいんだが……」
呟くヘンリーは宝物庫を適当に漁り、数本の矢を確保した。
特にこだわりは見られない。
矢は何でもいいらしい。
私達はヘンリーの先導で移動する。
どうやら場所を移して弓の試射を披露してくれるらしい。
案内されたのは、壁の一面がガラスとなった部屋だった。
城下街が一望できる構造になっており、非常に見晴らしが良い。
今はアンデッドに支配された街並みしか見えないが、普段は格別な景色だったのだろう。
「よっと」
ヘンリーはガラスを蹴り破ると、矢を番えて狙いを定める。
洗練された構えだ。
こうして目にするだけで、彼の技量を窺わせる。
「…………」
表情を消したヘンリーは無言になった。
番えた矢の鏃が仄かに発光し始める。
竜素材を使った弓の効果だろう。
高度な魔術武器として機能しているのだ。
それが矢を強化している。
然るべき時を経て、ヘンリーは矢を放った。
矢は光の軌跡を描いて飛ぶ。
その先には兵舎が建っていた。
飛距離を伸ばす矢は、瞬く間に兵舎へと到達した。
石造りの塔部分に命中し、その表面を貫く。
小さな穴の開いた塔は、軋みながら揺れる。
揺れはだんだんと大きくなり、やがて塔は倒壊した。
瓦礫の雨となって兵舎全体を押し潰す。
「ったく、情けねぇな。久々の射撃で腕が鈍ってやがる」
構えを解いたヘンリーはやや不満げだった。
本人はああ言っているが、大した腕である。
あの小さな穴から倒壊に繋げるのは、弓の性能だけでは到底不可能な領域だ。
ヘンリー自身の超絶的な技巧が為せる結果だったろう。
それにしても、とんでもない味方ができた。
彼を魔王軍に取り込めた幸運に感謝せねばいけない。
これだけで小国を侵略した価値があるというものだった。
ヘンリーはいつの間にか酒瓶を握っていた。
城内のどこかで盗んだのだろう。
彼は美味そうに呷り、深々と息を吐いて味わう。
「……ふむ」
その横にいる私は、腕組みをして考え込む。
ちょっとした興味と対抗心が生まれつつあった。
自分がどれだけの力を持つか気になったのだ。
小国を滅ぼすという目的もほぼ完遂された今、少々の戯れは許されるだろう。
私はヘンリーに手を差し出す。
「矢を貸してくれ」
「おっ、大将も狙撃を披露してくれるのかい。そいつは楽しみだ」
ヘンリーは弓ごと矢を渡そうとする。
私は矢だけを掴み取った。
「これだけでいい」
「はぁ……大将が言うなら別に構わないが」
ヘンリーは不思議そうな顔をする。
弓を使わずに矢を放とうとしているのだ。
彼が訝しむのも当然だろう。
一本の矢を持った私は、窓際に立つ。
ちょうどヘンリーが射撃を披露した位置だ。
倒壊した塔のさらに先を見据え、全身に身体強化の魔術を張り巡らせる。
矢自体にも魔術を付与した。
加減を誤ると壊れてしまいそうなので、そこは慎重に行う。
準備ができたところで、私は黒く変色した矢を振りかぶる。
そして、城の外に向かって全力で投擲した。
音を置き去りにした矢は、あっという間に小さくなって見えなくなる。
少々の間を挟んで、首都の外にそびえる山で爆発を起こした。
山頂付近が大きく欠け、森林部が剥げて抉れた土が露出する。
甚大な被害が生じているのは言うまでもない。
「あ、あ……?」
ヘンリーは呆然とする。
傾いたままの瓶から、琥珀色の酒が滴り落ちていた。
しばらくして我に返った彼は、どこか悟った様子で肩をすくめる。
「ははは、こいつは立つ瀬がねぇな。悪い大将だ」
「あーあ。魔王サマってば、そういうところあるから……」
ルシアナが私を一瞥しながらぼやく。
じとりとした眼差しには、若干の批難と呆れが込められている。
私はなんとなく居心地が悪くなり、何も言わずに視線を逸らすしかなかった。




