第138話 賢者は英雄と交渉する
薄暗い密室には、椅子に縛られた男がいた。
短めの頭髪で、顔のほとんどが鉄板に覆われている。
片目は無く、眼球の代わりに白い宝石が嵌め込まれていた。
男は四肢が欠損していた。
顔だけでなく、身体の半分以上が金属で構成されている。
魔術知識のある者が見れば、それがゴーレムだと分かるだろう。
この男こそ、鋼騎士だった。
二つ名の由来である鎧を外した姿である。
鋼騎士はゆっくりと顔を上げた。
彼は暗闇に溶け込む私の姿に気付くと、警戒心を露わにする。
私は気にせず声をかけた。
「目覚めたようだな」
「そうか……俺は、捕まったのか」
鋼騎士は掠れた声で言う。
状況を把握した割には冷静だった。
気を失う前、こうなることを予想していたのだろう。
こちらとしても落ち着かせる手間が省けるのでありがたい。
鋼騎士は軽く身動ぎした。
四肢を失った状態では何もできない。
加えて自爆装置を始め、彼に内蔵された兵器類はすべて取り出してあった。
鋼騎士の体内には、最低限の機能しか残されていない。
こうして生きているのが精一杯といった有様である。
取り出した部品に関しては、今頃は所長が嬉々として解体しているだろう。
私はさっそく話を切り出す。
「悲観しているところ悪いが、お前には情報提供をしてもらいたい」
「素直に従うと思うか。魔王を相手に口を割るほど愚かではない」
鋼騎士は毅然とした口調で応じる。
当然の反応であった。
私達は敵同士だ。
自国の機密情報を簡単に吐くわけがない。
ここですんなりと出てくるような情報は、むしろ信用できないと言えよう。
だから私は、追加の脅し文句を投げかける。
「お前が頑固な態度を取り続ければ、祖国が滅びることになる」
「構わん。所詮、金で雇われる身だ。忠誠心など微塵もない」
鋼騎士はやはり即答する。
発せられた言葉は虚勢ではない。
彼は本当にそう考えていた。
鋼騎士は傭兵出身だと聞いている。
その活躍から国属の騎士に成り上がったのだ。
事前情報でも、忠誠心に乏しい印象だった。
こういった返答になるのは想定の範囲内である。
だから私は、彼に響くであろう言葉を使う。
「しかし、家族愛はあるのではないか」
「――何?」
鋼騎士が鋭い視線を向けてくる。
研ぎ澄まされた殺気。
それだけで、気の弱い者なら卒倒しそうな気迫があった。
私は事務的な口調で続きを話す。
「魔巧国の北部に位置する寒村。そこに暮らす二人親子。金髪の母と娘だ」
「…………」
鋼騎士は黙り込む。
平静を装っているが、そこには確かな焦りと恐怖が滲んでいた。
自身の家族が危険に晒されていると理解したのだ。
鋼騎士という英雄の持つ、唯一絶対の弱点である。
「お前の言動次第では、彼女達の安全も約束できない」
「……なぜ、知っている」
「魔王軍の情報網は広い。甘く見ないことだ」
ルシアナ直属の密偵には、優秀な者が揃っている。
秘匿情報である鋼騎士の家族についても、すぐに判明した。
この事実は、世間一般には知られていない。
それでも本腰を入れて調査すれば、意外と分かってしまうものなのだ。
「私の命令一つで、ここからでも命を奪うことができる。それはお前にとって望ましくない展開だろう」
「――外道の不死者め。何の罪もない人間を殺して、心が痛まないのか!」
「戦争はどこまでも非情だ。心の痛みなど、とっくに忘れた」
鋼騎士の罵倒に対し、私は冷徹に返す。
戦いの本質など、彼の方がよほど熟知している。
わざわざ説教するまでもない。
しかし、鋼騎士は糾弾せざるを得なかった。
それほどまでに怒りと憎悪を覚えたのだろう。
「私はあまり気が長くない。退屈させる前に、白状してしまうことだ。結果によっては、親子を保護してもいい」
「嘘をつくな。そのようなことをするはずがない。お前は醜い不死の魔王だ」
「信じられないのならば証拠を見せよう」
私は鋼騎士の肩に手を置いて、転移魔術を発動する。
途端、周囲が急に明るくなった。
日光の降り注ぐ中、私達は遥か上空にいた。
力場を床にして高度を維持する。
眼下には、王都の街並みが広がっていた。
鋼騎士は、地上を見下ろしながら呆然と呟く。
「これは……」
「魔王領の主都だ。もう一年以上、私が統治している」
鋼騎士の疑問に説明を返す。
思えば随分と発展したものだ。
当初は私が全滅させたことで、アンデッドしかいない廃墟と化していた。
そこから自然と人が集まり、ここまでの再成長を遂げた。
暫しの展望を挟み、私は鋼騎士に提案する。
「お前の妻と子を、この地で生活させてやろう。働き口に困ることはなく、それなりに豊かな暮らしを送ることができる。無論、お前の態度によるが」
そこで言葉を切り、様子を見守る。
鋼騎士は俯いたまま震えていた。
彼の首筋を汗が伝い落ちる。
きっと脳裏では激しい葛藤が満ちているのだろう。
判断を下せず、心が揺れ動いている。
長い沈黙を経て、鋼騎士は掻き消されそうな声で私に問う。
「……本当、なんだな。本当に、妻と娘は助かるのだな?」
「信頼してほしい」
私は深々と頷く。
すると、鋼騎士の顔付きに変化が生じた。
彼は息を吐いて脱力する。
そして呻くようにして答えを口にした。
「……分かった。知っていることは、すべて話す。だから」
「妻子は保護する」
私は重ねるようにして宣言する。
これは絶対に守るつもりであった。
英雄が自らのすべてを捨てて家族を守ろうとしているのだ。
その誇りを穢すほど、私は腐っていない。
念話で現地の密偵に指示を送っていると、鋼騎士が私を注視してきた。
憎悪はもう既に感じられない。
それにしても妙な視線だ。
なんとなしに眺めているといった雰囲気でもない。
気になった私は、その意図を尋ねてみることにした。
「何だ」
「心の内に、苦悩が見える。不死の魔王にも感情はあるのだな」
「…………」
見透かされていたらしい。
否定できなかった。
私はいつだって苦悩している。
すべきことは定まっているが、その中で自問自答する時があった。
もっとも、今に始まったことではない。
今更、指摘されたところで傷付くようなものでもなかった。
自らが愚かしく、決断できない性格であるのは知っている。
「まあ、それは別にいいが……」
呟いた鋼騎士は、再び王都を見下ろす。
吹き抜ける風を浴びながら、彼は私に告げる。
「家族の安穏が約束されるのなら、もう悔いはない。ようやく生を終えることができる」
その顔は、存外に穏やかだった。
使命を遂げた者のそれである。
「魔王よ。お前の到来を待っている」
「未来永劫、滅ぶつもりはない」
「そうか。ならば、二度と出会わないことを祈っておこう」
鋼騎士は、金属混じりの顔を歪めて微笑した。