第133話 賢者は英雄の侵攻を耳にする
翌日以降、魔王領のごく一部の者の間では、緊迫した空気が漂っていた。
理由は簡単である。
世界樹で出会った"亜神"の男について、私が伝えたからだった。
これに関しては、黙っておくという手もあった。
情報を広げすぎると無用な混乱が生じる。
だが、信頼できる者には教えておくべきだろう。
私は一人で抱え込まないと決めたのだ。
精神的に成長しなくてはいけない。
それからは各国の暗部を密偵に探らせることで、亜神について徹底的に調査していった。
亜神は超絶的な空間魔術の使い手だ。
その分野に限って言えば、私ですら力が及ばない。
空間魔術を扱えるということは、どこにでも出現が可能ということだ。
さらに防御できない攻撃を繰り出してくる。
相当な強敵と言えよう。
そのため無策で戦うのは避けたい。
亜神は私に決闘を申し出ると言っていた。
おそらくあれは嘘や誤魔化し等ではない。
いずれ向こうから接触があるはずだ。
その前に調査を進めて、彼の弱点を洗い出したかった。
亜神は常軌を逸した能力を秘めている。
あれは努力で到達できる領域ではなかった。
きっと何らかの特殊な手段を用いているに違いない。
そうでなければ説明が付かなかった。
私はその手段を知りたい。
端的に言うならば、力の根源だ。
私なら死者の谷が該当する。
どういった過程を踏んで強くなったのかが判明すれば、こちらも対処ができる。
場合によっては、能力の弱体化や無効化も望めるだろう。
とは言え、さすがに向こうもそれは警戒している。
仮に可能だとしても、容易には行えない。
それでも調べておく価値はあった。
(亜神か……)
私は謁見の間の玉座に座りながら考える。
随分と大層な名だが、あの男は紛れもなく人間だった。
超然とした雰囲気と能力を見ると疑いそうになるが、それだけは間違いない。
死者の谷の権能が囁くのだ。
あの男は神の類ではなく、この手で殺すことができる、と。
だから、その点については心配していなかった。
直接対決になった場合、現状でも勝利の見込みは十二分にある。
戦いにおいて、相手が自分より優れていることなど珍しくない。
その差を埋めて乗り越えるのが私の本領だった。
あとは、如何に犠牲を抑えて倒せるかという段階だった。
無論、油断や慢心は禁物である。
慎重に事を進めていくつもりだ。
勝利を確信した時ほど危険な瞬間はない。
私自身、そうして気を抜いた魔族を何度も討伐してきた。
己が怪物退治の対象にならないようにしなければ。
亜神には、確固たる目的意識があるように見えた。
あれは私利私欲ではない。
使命を背負う者の姿であった。
しかし、それは私も同じことだ。
世界の誰よりも敗北が許されない身である。
ここで滅びると、今までの苦労が水泡に帰す。
私が殺してきた人々の命も無駄となってしまう。
それは絶対にあってはならないことだ。
亜神は魔王軍の解体を目論んでいる。
すなわち世界から巨悪を無くしたいということに等しい。
聞こえはいいが、それでは駄目なのだ。
私達が試して、既に失敗していた。
世界には不滅の悪が必要である。
立ちはだかるのが亜神だろうと関係ない。
魔王の手で始末するまでだ。
その時、謁見の間の扉が開いた。
恭しく入室したのはグロムだ。
彼は私の前で一礼する。
「失礼致します。魔王様、報告ですぞ」
「どうした」
「鋼騎士率いる魔巧軍が、南部から侵攻を始めたようです」
グロムの発したその内容に、驚きは少なかった。
この頃、奪還された共和国の領土は安定し始めていた。
そろそろ仕掛けてくるのではと思っていたのだ。
「特に指示がなければ弓兵に任せますが、如何致しますかな」
「ふむ……」
私は顎を撫でつつ思案する。
相手は英雄だが、ヘンリーなら対応可能だろう。
これまでの戦闘記録を見るに、ヘンリーと鋼騎士の相性は悪くない。
彼はきっと戦いたがるだろう。
ユゥラ辺りを同行させれば、さらに確実性が増す。
魔王軍の敗北はまずありえない。
そこまで考えたところで、私はふと閃いた。
内容を整理してからグロムに指示をする。
「戦車部隊と鉄砲部隊を使うように言ってくれ。実戦での有効性を調べておきたい」
「はっ! かしこまりました」
グロムは背筋を伸ばして応答する。
最新式の兵器がどこまで通用するのか、そろそろ本格的に知りたかった。
戦力的にも余裕があり、試すにはちょうどいい。
長い目で見た場合、様々な戦法を活用していきたかった。
魔王軍は最強の座を維持しなくてはならない。
そのためにも新兵器は積極的に導入していく。
所長からもたびたび感想の催促があった。
総評をまとめて送れば、彼女も喜ぶだろう。
話が終わりかかった途端、背後の窓を叩く音がした。
外側に張り付いているのはディエラだ。
彼女は手慣れた動きで解錠すると、平然と不法侵入を果たす。
ディエラは神妙な面持ちで私達に話しかける。
「待て。何か忘れておらぬか」
「心当たりはないが」
私は即答する。
特に忘れていることなどないはずだ。
そもそも、不法侵入については触れない方がいいのだろうか。
グロムも何か言いたげだが、一応は黙っている。
こちらの反応が悪かったのか、ディエラは己を指差して叫んだ。
「吾のことじゃよっ! 亜神とやらが出現したのであろう! 今か今かと待っておったのに、なぜ呼ばぬのじゃ!」
「……お前が私の配下ではないからだ。隣人ではあるが、部外者だろう」
「ぬぅ、確かにそうじゃが……」
私の指摘を前に、ディエラは口ごもる。
挑発的な言動が多い割には、彼女はよく言い負かされている印象があった。
直感的な発言ばかりで、相手の反論を考慮していないからだろう。
暫し口を閉ざすディエラであったが、唐突に顔を輝かせた。
彼女は名案とばかりに提案する。
「それならば吾を雇うとよいぞ! お主とは知らない仲でもない。特別料金で請け負ってやろう」
「金を請求するのか」
「慈善事業ではないのでな。小遣いが底を突いておるのじゃ……」
ディエラは再び暗い顔をする。
よほど困窮しているらしい。
限度を考えずに飲み食いしているからだと思うが、説教したところで意味がない。
私はため息を吐きたい気分に陥る。
それを押し殺して、彼女に回答を告げた。
「要求額を一括で払おう。力を貸してほしい」
「……!」
ディエラは顔を上げて驚愕する。
潤んだ双眸で私のことを見つめてきた。
彼女は腰に手を当てて元気に頷く。
「うむうむ、素直じゃの! これは吾も頑張らねばいかぬなぁ!」
ディエラは窓によじ登ると、そのまま屋外へと身を乗り出した。
振り返った彼女は、爽やかな顔で私達に告げる。
「準備をして魔王軍に合流してくる! 吾の多大なる戦果を期待して待つとよいっ!」
そのままディエラは窓の外へと消えた。
直後、地上から凄まじい衝撃音が聞こえてくる。
どうやらディエラが豪快な着地を決めたようだった。
まるで嵐のような入退室であった。
何とも言えない空気の中、グロムが咳払いをする。
彼は控えめな調子で私に確認をした。
「よろしいのですか?」
「微々たる出費に過ぎない。それでディエラを使い放題なら安いものだ」
「確かにそうですな」
ディエラには、支払う金以上の働きをしてもらう。
彼女が味方となるのは、単純に良いことだ。
残念な言動ばかりが目立つが、あれでも先代魔王である。
窓を閉めた私は、組み立てていた迎撃計画に微修正を加えていった。




