第130話 賢者は宴に参加する
その日の夜、私はエルフの里にある大きな建物にいた。
普段は会議等で使われるそこは、現在は魔王軍が貸し切りにしている。
族長であるローガンによる計らいであった。
室内に集うのは、魔王軍の幹部とそれに準ずる立場の者達だ。
並べられたテーブル上には、たくさんの料理がある。
いずれも里のエルフとグロムが合同で作ったものだった。
不死者となった弊害で嗅覚が失われているため、私は香りを楽しめない。
しかし美味そうな料理が並ぶ光景は、見ているだけでも心が満たされるようであった。
部屋の端には酒入りの樽がいくつも置かれていた。
室内の人数が十倍になっても、十分に足りる程度の量が用意されている。
「……ふむ」
少し高くなった壇上では、ディエラがグラスを掲げていた。
彼女は私を含む他の者達を見回す。
静寂の中、たっぷりと間を取った彼女は口を開く。
「皆の者、本日はよく集まってくれた。心より感謝する。故に吾は――」
「共和国の被奪還を祝って乾杯!」
割り込んで叫んだのはヘンリーだ。
彼は火酒を片手にしている。
赤ら顔から察するに、もう既に何杯も飲んでいるのだろう。
彼の声を合図に、魔王軍の宴は開始した。
幹部同士で和やかな談笑が行われる。
それにしても、共和国の被奪還を祝うことには引っかかりを覚えてしまう。
普通は勝利を祝うものだろうが、実際は魔王軍の目論見的には正しい。
共和国は、元から明け渡す予定の領土だったのだ。
奪われて悔しいどころか、早く他国に押し付けて別の業務に入りたかったほどである。
私がそのようなことを考える一方、ディエラはヘンリーに文句をぶつけていた。
「弓兵! 音頭は吾が取ると打ち合わせしたではないかっ! さてはお主、謀反か……!?」
「酒の席で細かいことを言うなよ。先代の程度が知れるぜ?」
「ぬぅ、正論を振りかざしおって……」
二人の言い争いは本気ではない。
じゃれあっているようなものに近かった。
先代魔王を相手にしても、ヘンリーはいつもの調子である。
一歩も譲らず、挙句の果てには彼女に対して優位まで取っていた。
(放っておいても大丈夫だな)
そう判断した私はテーブルに目を落とす。
そこにはグラスが置いてあった。
中には半透明の白い液体が入っている。
グラスを揺らすと、少し粘性を帯びているのが分かった。
よく見ると、赤い無数の粒が混ざり込んでいる。
「…………」
私はグラスを口に運ぶ。
そのまま傾けて中身を嚥下した。
無論、骨の身では人間のように飲むのは不可能だ。
液体は顎骨を始めとする各所の骨を容赦なく濡らしていった。
(……ん?)
濡れた箇所が、ちりちりと違和感を発し始める。
その時、ルシアナが私の正面に座った。
「お味はどう?」
「……苦い。辛味もある」
私は液体の感想を述べた。
顎骨の濡れた箇所から、確かに苦味と辛味が伝わってくるのだ。
私には味覚を感じるための舌が無い。
味を感じることができたのは、液体に魔術的な要素が施されているためだろう。
不死者でも飲食を楽しめるように工夫が凝らされている。
ルシアナはグラスを指しながら解説する。
「所長が調合したものを、アタシが調整したものよ。骨大臣に試食させたけど、そこそこの評価だったわね。食事をした気分にはなれそうかしら」
「ああ、これはいい。感謝する」
私のために開発された飲料だ。
生者にとっては無益にも関わらず、相当な手間暇がかけられている。
これは決して美味くはない。
しかし、それはさしたる問題ではなかった。
飲み物で味を感じたことが重要なのだ。
味覚を失った私からすれば、これは大きな前進だった。
嗜好品とはそれだけの価値がある。
人間をやめたことでそれを痛感した。
以前から辛い物や聖魔術を用いた試行錯誤は実施されていた。
研究所は、兵器開発とは別にこういった分野の開発も進めている。
ありがたい話である。
「よかったわ。自分で食べても、不味すぎて確認できないから心配だったのよ」
ルシアナは舌を出して苦笑する。
確かに率先して味見をしたいものではない。
それでも私のために多くの試作品を作ったに違いなかった。
ルシアナは、グロムに負けず劣らず私に尽くしている。
彼女が魔王軍に所属しているのは、私の強さに惚れたかららしい。
私が最強の存在に君臨する限り、裏切らずに従い続けるということだ。
これほど頼もしい配下もいない。
ルシアナと世間話をしながら液体を飲んでいると、後ろで物音がした。
見れば、ドルダが両手にフォークを持って徘徊している。
「首ダァ……首ガ足リナイ……」
ドルダはいつものように呻き声を洩らしていた。
老狼の頭部は、分厚い肉を咀嚼している。
視線は、テーブル上の料理を舐めるように物色していた。
(食べた分は体内に収められているのか……?)
どうでもいい疑問を抱いていると、ドルダの前に立ちはだかる人影が現れた。
それはユゥラだった。
彼女はドルダに指を突き付ける。
「個体名ドルダに警告――今すぐ暴走を中止しなさい。これ以上は制圧行動に移行します」
「駄目ナノダ……首ガ、ナケレバ……」
両者は一歩も譲らない雰囲気を展開する。
もちろんそれは、緊迫したものではなかった。
仲裁するまでもないだろう。
「平和なものだな」
「そうねぇ。微笑ましいわぁ」
二人のやり取りを眺めながら、私とルシアナはそれぞれの飲料を口にした。