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第129話 賢者は世界樹を目撃する

 私の視界を占めるのは、一面の光だった。

 結晶状の花は、遥か先まで覆い尽くしている。

 日光を浴びて、七色の光を反射させていた。


 結晶の花畑の中央には、白い樹木がそびえている。

 あれが世界樹だ。

 雲を突き破らんばかりの高さで銀色の葉と木の実を蓄えていた。


 吹き抜けるそよ風が、世界樹の葉々を揺らす。

 澄んだ音が鳴って結晶の花びらが舞い、幻想的な光景に彩りを加えていた。

 ルシアナは、うっとりとした顔で息を洩らす。


「わっ、すごいわね……」


「壮観じゃのう」


 ディエラが小声で応える。

 珍しく大人しい。

 立ち尽くす彼女は、花畑と世界樹に目を奪われていた。


 しばらくして落ち着いたディエラは、私に意見を求めてくる。


「どうじゃ、ドワイト。お主も感動しておるか」


「そうだな。これほど美しいものも珍しい」


 私は素直に述べる。

 この世のものとは思えない絶景だ。

 ディエラは納得したように何度も深く頷いた。


「顔が朽ちゆくほどじゃもんな。お主の気持ちは伝わっておるよ」


 ディエラに言われて自身の頬に触れる。

 大部分がごっそりと削れていた。

 確認に使った指も、第二関節から折れる。

 瘴気で補完したばかりの箇所だった。


 この地は、世界樹の力を最大限にまで発揮している。

 森全体の聖気が、ここから発生しているのだ。

 下手な聖魔術よりも、よほど強烈である。

 中位のアンデッドだろうが問答無用で浄化するだろう。


 こうして対面してみると、予想以上の聖気だった。

 精霊の力も半ば飽和している。


 情勢的に不可能だったが、生前にこの場所を訪れたかったと強く思う。

 ここの花や枝を触媒にすれば、魔族を相手にもっと楽な戦いができたはずだ。

 当時の魔王だったディエラに対しても、圧倒的な優位を取れたはずである。


 もっとも、それは仮定の話だ。

 既に過ぎ去ったことであり、ここで考えすぎるのは無粋でしかないだろう。


 屈み込んだディエラが、結晶の花に触れた。

 花びらが光の粒を散らす。

 ディエラはゆっくりと目を細めた。


「ううむ。吾が手にできなかったのも納得じゃな。まさに世界樹の名に相応しい」


「悔しさはないのか」


「今まではそういった気持ちもあったが、今はない。魔王をやめて、心境が変化したのかもしれんの」


 ディエラはしみじみとした顔で言う。

 その目は、魔王時代を思い描いていた。

 ルシアナは物珍しそうに尋ねる。


「意外だわ。ディエラ様も成長するのね。嬉しくて涙が出そうよ」


「なんじゃ。まさか煽っておるのか。吾の拳が炸裂するぞ?」


 眉を寄せたディエラは、構えを取ってルシアナを殴るふりをする。

 ルシアナは泣き真似で応戦した。

 それを何度か繰り返した後、やり取りに飽きたらしいディエラが咳払いをする。


「誰であろうと心の成長はあるものじゃ。お主もそう思うじゃろう、ドワイト?」


「……なぜ私に訊いたんだ」


「賢者から魔王になったお主なら、様々な発見があったのではないかと思っての。ほれ、吾らに話してみよ。他の者に言い広めぬから安心するのじゃ」


 ディエラが私のことを肘で突いてくる。

 痛くはないが、妙に鬱陶しい。

 そのやり取りを見ていたルシアナが、にんまりと笑みを湛える。


「ディエラ様、秘密を守るのとか苦手だったわよね? すぐに口を滑らせる印象しかないけど」


「ル、ルシアナっ! それをお主が言うと、ドワイトが渋るではないか!」


 ディエラは慌てたようにルシアナの口を塞ごうとした。

 自らの失態を隠そうとしているようだが、その辺りについてはよく知っている。

 今更、誤魔化そうとしても無意味だろう。


 緩んだ空気の中、私は話の続きを切り出す。


「心境の変化は、ある。成長と言えるかは分からないが」


「ほうほう、どんな変化じゃ?」


 動きを止めたディエラが、興味津々といった様子で目を向けてくる。


「自分の醜さや愚かさを直視することができた。人間だった頃の私はそこから目を背け、受け入れようとしなかった」


「己の醜さか……」


「そうだ。私は自らの行為を決して肯定しない。だが、必要だとも考えている。未来永劫、悪の魔王を貫くつもりだ」


 私の宣言を受けたディエラは、腕組みをして難しい顔をした。


「いつ聞いても修羅の道じゃのう……まあ、お主が妥協しないことは知っている。吾から言うことはないが、これを渡しておこう」


 ディエラが私の前に手を差し出す。

 そこに力が収束していく。

 間も無く手のひらから滲み出てきたのは、一枚の鱗だった。

 表面が瑠璃色の光沢を放っている。


「吾の力を込めた鱗じゃ。お主が命の危機に陥った時、一度だけ守ることができる。よく憶えておくとよい」


「感謝する」


 私は鱗を受け取る。

 その横で、ルシアナが頬を膨らませていた。

 彼女は不満を訴える。


「ねぇ、ディエラ様だけずるいわ。魔王サマの心を奪うつもり?」


「クハハ、将来有望な後輩に贈り物をしただけじゃよ」


 ディエラは勝ち誇った顔で胸を張った。

 彼女は続けてこちらを向く。

 その時には、真面目な顔つきを浮かべていた。


「ドワイトよ」


「何だ」


「吾は頼り甲斐のある先輩じゃからな。何でも存分に相談するとよいぞ」


 ディエラは生暖かい笑顔になると、私の肩に手を置いた。

 ぴたりと目が合ったので、私は視線を逸らす。


「……本当に困った時だけ相談する」


「なるほど、秘密兵器というわけじゃなっ! うむうむ、実に良い響きじゃ」


 ディエラは上機嫌に頷く。

 詳細は不明だが、私の答えに満足したらしい。


 そのそばで、ルシアナが私に耳打ちをする。


「魔王サマってば、ディエラ様の扱いが上手になってるわね。勉強でもしたのかしら」


「日々の安穏のために学んだだけだ」


 ディエラに哀れみの視線を送りながら、私は事務的に答えた。

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