第123話 賢者は偽りの敗戦を展開する
数日後、周辺諸国が共和国の奪還に動き出した。
複数の国家が一斉に進軍を始めたのだ。
水面下で話を付けて、時期を合わせたに違いない。
概ね予想通りの動きであった。
密偵が情報を手に入れていたので、おおよその計画は事前に把握している。
そのための指示も事前に発している。
共和国内に駐在する魔王軍は、迫る奪還軍に対して防戦で応じた。
彼らは籠城を決め込みつつ、大量のアンデッドをけしかける。
そうすることで、生者の損害を抑えながら時間稼ぎをするのが目的だ。
アンデッドが犠牲となる間に、私が配下達を転送して戦線から離脱させていく。
戦場に残した一部のアンデッドは、奪還軍によって討伐されていた。
指揮もせずにただ突貫させるだけのアンデッドなど、相手からすれば的に過ぎない。
加えて向こうは聖魔術の準備も行っている。
多少の損害を与えながらも、アンデッド達は各戦場で殲滅されていった。
奪還軍は順調に勝利を収めている。
此度の連敗により、魔王軍はそれなりの数のアンデッドを消耗した。
とは言え、大した損害ではない。
今や保有するアンデッドの数は膨大だ。
最近では、奴隷自治区から死体の提供もある。
その気になれば、様々な種類のアンデッドを生成可能だった。
たとえ死体が枯渇しようと、ほぼ無尽蔵に使い捨ての戦力を増やせる状態である。
今回の消耗など、言ってしまえば誤差の範囲に等しい。
あまり気にする問題でもなかった。
一方、共和国ではない領土――元来の魔王領に侵攻してくる軍に関しては、問答無用で反撃している。
ヘンリーの主導で次々と撃破しており、ただの一度も敗北していないという話だ。
ちなみに今回は魔族も参戦している。
前線で素晴らしい活躍をしたと耳にしている。
魔族の大半は、バルクの策略で望まず変異した者達だ。
現在ではその肉体を肯定的に捉えて、上手く使っているらしい。
とても良い傾向である。
何事も前向きに考えていかなくてはならない。
私はそういったことが苦手だった。
その点は配下達の方がよほど優秀と言えよう。
徐々に見習うべきだと思っている。
余談だが、戦場にディエラが紛れ込んでいたという情報が入っていた。
彼女は鱗と甲殻の鎧を纏い、超絶的な槍術で敵軍を蹂躙したそうだ。
無数の光の鎖が、荒波のように舞っていたという証言もある。
魔王軍が霞みかねない勢いで無双していたらしい。
それに関しては黙認している。
私には彼女の行動を止める権限がない。
こちらの邪魔をしているわけでもなく、援軍と称していいのかは微妙である。
ただ、頼もしいことに違いはない。
配下の間でも、彼女の戦う姿に見惚れたという話も聞いていた。
なかなかの人気ぶりであった。
さすがは先代魔王だ。
今も尚、他者を惹き付ける才を持っているらしい。
昨今の戦況はそういった具合だった。
各所にて展開された戦場では、計画的な撤退と快進撃が行われている。
特に前者は今まで無かった結果である。
他国から見れば、魔王領は同時戦争に対応できず、占領したばかりの共和国を奪われているような状態に見えるだろう。
ほとんど常勝だった魔王軍に対し、ようやく勝利を収められた形と言える。
人々はさぞ喜んでいることだろう。
確かな希望を掴んだに違いない。
おそらく彼らにとっては大きな進歩であった。
(この調子で上手くやらねばいけないな)
私は報告書から顔を上げる。
現状、私の仕事は少ない。
防戦を行う配下達を安全地帯へ転送するくらいだろうか。
重大な役割ではあるものの、魔王らしさに乏しい。
これだけでいいのかと思ってしまう。
もっとも、派手な部分は他の者に任せればいい。
私は別に目立ちたいわけではなかった。
魔王である以上、ある程度の注目を集めなければならないが、必要最低限の役目を果たすのが重要なのだ。
余計なことに手を伸ばしたところで、碌な結果にはならない。
それを肝に銘じておかねば。
色々と考えを巡らせていると、謁見の間の扉が開いた。
現れたのはルシアナだ。
彼女は書類を振りながら私のもとへやってくる。
「魔王サマー、ちょっとしたお知らせよ」
「どうした」
「人間の軍に英雄がいたみたい」
「何」
私は彼女の言葉に反応する。
聞き捨てならない内容だ。
報告書を置いた私は、ルシアナに話の続きを促す。
共和国における奪還戦の中で、飛び抜けて強い者が二名ほどいたらしい。
その者達こそ、聖杖国に属する"戦乙女"と、魔巧国に属する"鋼騎士"である。
旧魔族領の北部を横断した彼らは、共和国に駆け付けて戦ったそうだ。
現在は、奪還した領土にて待機しているという。
「どちらの英雄も、国内ではそれなりに有名らしいわ。よほど共和国を救いたかったのかしら」
「なるほどな……」
「それで、どうするの。いきなり殺しに行っちゃう?」
「いや、しばらくは様子を見ておく。こちらからは手出ししない」
英雄は要注意人物だが、今のところは泳がせておきたい。
人々にとって英雄は必要な存在だ。
希望そのものである。
あまりに殺し過ぎると、彼らが絶望に瀕してしまう。
無論、英雄の行動が看過できない段階にまで至れば、抹殺するつもりだ。
世界の意思が関わっているかも不明であるため、どのみち積極的に倒したくはなかった。
以前までの私なら、即座に始末していただろう。
しかし、今は状況が違う。
常に勝ち続けるだけでは駄目なのだ。
負けを演じることも必要となりつつある。
私の方針を察したルシアナは、軽く笑って肩をすくめた。
「魔王サマったら、相変わらず優しいわねぇ。ディエラ様の時なら即座に殺しちゃう案件よ?」
「優しいのではない。先代とは目的が異なるだけだ」
この辺りの調節はとても難しい。
賢者だった時代には、考えなくてもよかったことである。
あの時は、ただ魔族達を倒し続けるだけだった。
力加減などするだけの余裕がなかった。
もし私が世界を本気で滅ぼしたい場合も同様だろう。
ただ全力で侵攻を繰り返せばいい。
禁呪の連打も有効だ。
とにかく破壊を振り撒くだけで、世界は勝手に衰退していく。
しかし、現実の私が目指すのは、魔王という巨悪に対する人類の団結と、それによる世界平和の維持であった。
考えもなく戦い続けることは許されない。
たとえ英雄が現れたとしても、真意を隠して対処しなければいけなかった。
「じゃあ二人の英雄は、こっちで監視しておくわ。妨害工作くらいはしておきたいけど、アタシの判断でやってもいいかしら」
「ああ、任せる」
張り切りながら退室するルシアナに、私は信頼を寄せる。
そういった方面において、ルシアナの手腕は他の追随を許さない。
彼女なら英雄が相手だろうと狡猾な立ち回りを見せてくれるだろう。
自由奔放な性格とは裏腹に、彼女は常に真面目な働きをする。
とても頼り甲斐のある幹部であった。
私は玉座に背を預けた。
頬杖をつきながら、手元の書類に目を落とす。
(ここからが正念場だな……)
魔王領は飛躍的に強化しつつある。
一方で諸国は、私の討伐を掲げて手を組み始めていた。
英雄と呼ぶに足る強者まで参戦し始めている。
これまで以上に様々な選択を迫られるだろう。
私の一存で世界の行方が大きく変動する。
気を引き締めて立ち向かわなければならない。




