第120話 賢者は次なる侵略を目論む
翌日の昼頃、私は城内を移動していた。
今から幹部が集まっての会議がある。
途中、酒瓶を持ったヘンリーと鉢合わせた。
怪しい足取りの彼は、楽しそうに挨拶をしてくる。
「やあ、大将。元気そうじゃないか。引き締まった顔付きだ」
「……骨の顔が引き締まるのか?」
「そういうことじゃあない。心持ちってやつさ。まあ、良い傾向だから安心したよ」
笑うヘンリーが、私の肩や背中を叩いてくる。
思わず前のめりになりかけた。
衝撃で骨が砕けそうだ。
飲酒によって力加減ができていない。
ヘンリーは生粋の人間である。
魔術的な能力も皆無だ。
それにも関わらず、常軌を逸した戦闘能力を持っている。
魔王軍の中でも随一の実力者であった。
今でも厳しい鍛練を積み重ねており、人外の中でも飛び抜けた力をさらに極めていた。
だから私の身体など小枝のように折られかねない。
それにしても、ヘンリーは私の心理的な変容に気付いている。
昨夜、あの場に彼はいなかったはずだ。
おそらく直感的に気付いたのだろう。
ヘンリーは何気に察しの良い男である。
戦闘狂に見せかけて、繊細な部分があることも私は知っていた。
私とヘンリーは共に移動して、城内の会議室へと向かう。
道中、瓶を空にしたヘンリーは話題を切り出した。
「朝から呼び出しってことだが、今日はどうしたんだい?」
「今後の侵略計画について話し合う。そろそろ動き出すべきだろう」
私がそう言うと、ヘンリーは指を鳴らして歓喜した。
獰猛な笑みを浮かべながら手を打つ。
「そいつはいい! ずっと待ってたんだ。訓練ばかりじゃ、気の抜ける奴らもいるからなぁ」
ヘンリーはよほど戦いたいらしい。
それがありありと伝わってきた。
最近は各地の復興作業や発展に注力しており、他国との戦闘も控えめな時期が続いていた。
戦いを求めて傘下に属するヘンリーとしては、実に退屈だったようだ。
間もなく私達は会議室に到着した。
扉を開けると、既にグロムとルシアナが待っていた。
「魔王様! おはようございます。ご機嫌いかがですかな」
「ああ、問題ない。心配させたな」
「いえいえ! 滅相もございませぬ。魔王様の心身の健康こそ、我の幸せですぞ!」
グロムは八本の腕を総動員して喜びを表現してみせた。
大袈裟な反応にも見えるが、これが彼の本音である。
まさに忠臣そのもので、私のことを心底から崇拝しているようだった。
同時にこちらを気遣っている。
席を立ったルシアナが私の前にやってきた。
彼女は下から覗き込むようにして、私の顔を観察する。
何事かと思っていると、ルシアナは微笑みながら頷いた。
「……うんうん、大丈夫そうね。よかったわぁ」
どうやら私の心境を推し量っていたらしい。
昨晩、あのような出来事があったのだ。
気にするなと言う方が難しい。
だから私は彼女に告げる。
「自分なりに心の整理が付いた。もう迷惑はかけない」
「迷惑はかけていくものよ。お互いにね?」
ルシアナは指で私の額を突いた。
演技だが、少し怒った風を装っている。
私はただただ頷くしかなかった。
「……分かった」
やり取りを終えたところで、私達はそれぞれ席に座る。
円卓を囲んで会議を開始した。
話し始めるのは私である。
「魔王領は順調に支配地を拡大している。今や大陸一の強国だ」
これは間違いない。
どの国にもほとんど常勝し、戦力も大幅に増強させてきた。
もはや私の力が無くとも、大陸全土の侵略も可能な領域に達している。
世界の意思による妨害さえなければ、確実に成功するはずだ。
そこまで述べた私は、予め考えていた宣言を続ける。
「今後の方針についてだが、まず共和国は捨てる」
「な、ななっ、何ですとォ!?」
真っ先に反応したのはグロムだ。
彼は椅子を倒しながら仰天すると、円卓に勢いよく手をついた。
「せっかく支配したというのに、みすみす手放すというのですかっ!」
私は平然と頷いた。
「そうだ。ルシアナ、説明してくれ」
「はーい」
話を振られたルシアナは、手持ちの書類をグロムのもとへ滑らせた。
グロムはそれを掴んで読み始める。
彼が目を通す間、ルシアナはつらつらと語っていく。
「今の魔王領にとって、共和国の領土は手に余るわ。管理も無理をして行き届かせている状態なの。正直、これだけ領土を拡大する旨みも無いわ」
これに関しては、前々から懸念していた部分であった。
魔王領は急速に発展し、侵略に伴って支配地も拡大している。
今までは良かったが、現段階ではこれが弊害と化していた。
目の届かない範囲で問題が発生するようになったのだ。
その都度、密偵達が報告しているものの、未然に防ぐことが困難となっている。
現状、致命的な問題は起きていない。
各地に優秀な人材を派遣して管理を任せているためだ。
しかし、それもいつ破綻するか分からない。
かなり無理をさせている状態だった。
領地を縮小することで、これらの問題を排し、魔王領の安定を図ることができる。
(当初の目的も達している。成果としては十分だろう)
共和国を占領したのは、魔族と魔獣が跋扈していたからだった。
現在では残らず魔王領に回収し、損害を受けた都市も復興作業を進めている。
取り上げられたところで悪いことはない。
「各国は魔王討伐のための計画を始動している。その計画の中には、共和国の奪還も含まれている。手放す機会としては、ちょうどいいってわけね」
「ぬぬ、確かにそうだが……」
書類から顔を上げたグロムは、まだ納得できない様子である。
彼も理屈ではそうするべきだと理解している。
感情的に敗北が許せないのだろう。
私は彼に向けて説得の言葉を続けた。
「人類に勝利を与えるのも魔王の務めだ。こちらばかりが勝ち続けていると、彼らを絶望させてしまう。反撃の気力を削ぎすぎるのは良くない」
上手く負けることが重要なのだ。
これは大局を見た敗北である。
長い目で見て有益なら、そういった結果も許容していかねばならない。
むしろ率先して取り入れていくべきだろう。
追い詰め過ぎると、人々は禁忌に手を染める。
それは世界の意志が干渉できる余地となりかねない。
なるべく避けたい展開であった。
グロムは再び円卓を叩いた。
表面に亀裂が走る。
それすら厭わず、彼は反論を口にする。
「では、共和国にいる配下達を見捨てるおつもりなのですか……?」
「無論そのようなことはしない。侵攻してきた軍に合わせて、王都へと転送するつもりだ」
アンデッドを囮にすれば、実質的な損害を出さずに余計な領土を明け渡せる。
そういった防戦を偽装することは容易だ。
魔術を使うことでいくらでも実現ができる。
ひとまず納得できたのか、グロムは幾分か落ち着いた様子で着席した。
彼は手元の書類を揃えながら咳払いをする。
「ふむ……つまり当面は、見せかけの敗北を繰り返すということですかな?」
「共和国内に関してはな。他の地域では、今までのように侵略を行っていく」
無論、過度に領土を奪わないようにする。
共和国の繰り返しとなっては面倒なだけだ。
ついでに支配地域の引き締めもしておきたい。
共和国が奪還されれば、それに続こうとする都市が現れるに違いない。
そこに釘を刺すのだ。
「具体的な調整はお前達に任せる。自由に立案してくれ。もし私の能力が必要であれば、遠慮なく言ってほしい」
三名に告げたところで、私は会議を終了させた。
部屋から出る際、ふとルシアナに尋ねる。
「ところでディエラがどこにいるか知らないか」
「彼女に何か用があるの?」
「色々と打ち合わせをする予定だ」
彼女にも意見を聞いておきたい。
腐っても先代魔王を務めた傑物だ。
魔王軍に所属しているわけではないが、相談はしておくべきだろう。
何らかの妙案を得られる可能性があるもしれない。
その時、ヘンリーが思い出したように声を上げた。
苦笑いをする彼は、有力な情報を私に提供する。
「先代の姐さんなら、朝から訓練場にいたぜ。半泣きで武器の手入れをしていたな」
「…………」
戦車を故障させた罰だ。
彼女に課していたのをすっかり忘れていた。
まだ終わっていなかったらしい。
なんとなく気まずい空気の中、私は訓練場へと転移した。