第12話 賢者は囚人に交渉を持ちかける
「あの男が"魔王殺し"ねぇ……」
ルシアナは何とも言えない表情でヘンリーを一瞥する。
そこには複雑な心情が内在していた。
元四天王の幹部という立場で、思うところがあるのかもしれない。
「納得できるか?」
「そこそこね」
ルシアナは頷く。
一連の戦闘を目撃した彼女は、それを認めざるを得ないようだ。
ヘンリー・ブラーキンは、誇張を抜きに小国の最終兵器である。
彼の最たる武器は、天性の肉体と戦闘勘だ。
これといった特殊能力は持たず、魔術も使えない。
それにも関わらず、ヘンリーは尋常でない強さを誇る。
彼の戦法は実に単純なものだ。
並外れた頑強さで敵の攻撃を受け止め、極限まで鍛え上げた怪力で捻じ伏せる。
不意を突くような攻撃でも、直感で対応してみせる。
弱点らしい弱点がない男であった。
気分屋で粗暴なヘンリーは、規律に背くことを楽しんでいる節がある。
人格的には間違いなく危険人物だろう。
反社会的と評してもいい。
しかし、かつての王国が魔王討伐の際に協力を要請しようとしたのも納得できる。
魔王討伐にヘンリーが加わっていれば、戦況はもっと有利に運べたはずだ。
当時、投獄の報を聞いた時は驚いた。
今でもこうして思い出せるほど印象に残っている。
「退いてくれ。向こうが待ち切れなくなったようだ」
ヘンリーが接近の挙動を見せたので、私は風でルシアナを押し退ける。
突然の強風に、ルシアナはつんのめりながら飛行した。
「わわわっ」
ルシアナが視界から外れたのと同時に、私は風の刃を射出した。
切断力を底上げした三連射だ。
金属だろうが難なく真っ二つにできるだけの威力がある。
「おっと」
不可視の攻撃に対し、ヘンリーは当然のように突進する。
彼はひょいとひょいと身軽な動きで風の刃を躱していった。
空気の僅かな揺れを察知しているのだろうか。
呆れるほど精密な感覚である。
「ハハハ、俺を殺すなら数が足りねぇなァッ!」
ヘンリーは笑いながら距離を詰めると、そのまま跳び蹴りを放ってくる。
私は屈んで回避を試みる。
直後、暴風のような勢いで脚が通過した。
「……っ」
頭頂部から破壊音が響く。
どうやら爪先が掠めたらしい。
頭蓋が削られた感覚がある。
ただ、この身体が行動不能に陥るほどではない。
すなわち大した損傷ではない。
私は自らの手を魔力で強化し、指を揃えて貫手の形にした。
床を割りながら踏み込み、最短距離で突き込む。
「おおっ!」
嬉しそうな声を発したヘンリーは、私の手首を掴んで阻止した。
凄まじい反応速度だ。
まるで分かっていたかのように対処してみせた。
ヘンリーはこちらの力を利用して私を投げ飛ばす。
(通常の魔術では埒が明かないか……)
私は空中に力場を生成すると、それを蹴ることで跳ね返る。
ヘンリーに接近しながら、瘴気を混ぜた黒い火球を連射していった。
彼は両腕を交差して火球を防ぎ、隙を見て後退する。
袖は一瞬で燃えたが、腕に大きな傷はない。
今の火球でも威力不足らしい。
「……ったく、空気が悪ぃな。淀みすぎじゃねぇか?」
ヘンリーは咳き込みながら文句を垂れる。
辺りに漂う瘴気が気に入らないらしい。
ただ、アンデッド化する気配がない。
少し鬱陶しがるばかりである。
常人ならとっくにグールに変貌している頃だ。
私の権能が不調というわけではない。
おそらくは、彼の肉体の生命力が浸蝕を阻害しているのだろう。
時間経過による瘴気の汚染を期待していたのだが、厄介な体質である。
ただの人間とは思えないほど規格外だ。
「…………」
私は冷静になってヘンリーを観察する。
本気になれば彼を殺すことができる。
無尽蔵に近い魔力に任せて、地形を変えるような大規模魔術を連発すればいい。
首都ごと消滅させる勢いで攻撃すれば、さすがのヘンリーでも無事では済むまい。
今の私にはそれが可能であった。
そもそも、ヘンリーは私を殺害する手段を持たない。
どれだけ物理攻撃が得意だろうと、私を消滅させるには至らないのだ。
仮にこの身体を破壊されたとしても、配下のアンデッドを素体にして蘇るだけである。
長期戦に持ち込めば、必然的に私が勝利する。
しかし、私はヘンリーという人間に興味を覚え始めていた。
ここで殺すには惜しい人材に違いない。
幸いにも彼は極度の気分屋だ。
基本的には悪党に近い性格のため、交渉次第で魔王軍に加入させられる予感がする。
そう考えた私は、身構える彼に提案してみることにした。
「ヘンリー・ブラーキン。私と賭けをしないか」
「……何だって?」
ヘンリーは構えを解いて訝しげな顔をする。
さすがに予想外だったらしい。
少なくとも関心は抱いているようだ。
隙だらけの私に攻撃しない点を見るに、悪くない反応である。
彼はひとまず話を聞こうとする姿勢を取っていた。
「一騎打ちの勝者に賞品を付けるんだ。私が勝利すれば、魔王軍に加わってほしい。もし私が負ければ、君の望みを可能な範囲で叶えよう」
「ちょ、ちょっと魔王様!?」
今度はルシアナが驚く。
彼女が私に駆け寄ろうとしたので、視線でそれを留める。
大事な局面だ。
気持ちは分かるが、邪魔されては困る。
ルシアナは神妙な面持ちで頷くと、静観の立場に戻った。
ひとまず私を信じてくれたようだ。
本当に危ないと判断すれば、彼女なら無理にでも話を止めに入っただろう。
一方、ヘンリーは考え込んでいた。
私の提案を真剣に検討している。
しばらく悩んだ後、彼は獰猛な笑みを見せた。
「――俺があんたに勝った暁には、魔王軍そのものをくれよ。囚人生活も終わったことだし、次は何をするか迷っていたんだ。世界を相手取って戦争をするのも楽しそうだ」
「…………」
私はヘンリーの言葉に硬直する。
想定していなかった答えだ。
反社会的で気分屋とは知っていたが、まさかこれほどとは。
激情を抑える私は、淡々とした口調を意識してヘンリーに告げる。
「……魔王という役割は、生半可な覚悟で為せることではない。お前に務まるとは思えないが」
「あんたにはその覚悟があるってのかい?」
「無論だ」
私は即答する。
死者の谷の底で、すべてを背負うと決めた。
私の代わりになれる者は存在しない。
決して軽々しく始められる役目でないのは確かであった。
「…………」
ヘンリーはじっと私のことを凝視する。
果たして何を考えているのか。
今のところは分からない。
気分屋の彼にしては珍しく、真顔が続いている。
「賭けに乗るか否か。答えを聞かせてくれ」
「ふむ……」
私が促すと、ヘンリーは腕組みしてさらに思案する。
その双眸には、先ほどまでとは異なる感情の色が覗いていた。
敵意や戦意とは違う何かだ。
むしろ親しみすら感じるようなものである。
その正体を察する前に、ヘンリーは答えを口にした。
「乗るに決まっているさ。これだけ愉快な展開をみすみす逃すはずがない。さっさと勝敗を決めようじゃないか」
嬉々として述べるヘンリーは、拳を構えて笑った。
そして、こちらへ向けて疾走する。




