第116話 賢者は先代魔王の戦車と対峙する
『クハハハハッ! 魔王よ、お主に真の恐怖を教えてやろうッ!』
遠くからディエラの声が反響してくる。
かなり上機嫌で、今にも踊り出しそうな調子だった。
この状況を楽しんでいるのが伝わる。
高笑いを耳にした私は、小さく首を振った。
ため息を吐けないのがもどかしい。
(まったく、どちらが魔王か分かったものではないな)
胸中で嘆きながらも、周囲の警戒は怠らない。
隠密魔術も発動したままにしておく。
ここは訓練場だ。
ただし辺りには、建造物を模した物体が乱立している。
先ほどまで無かったそれらは、色付きの結界である。
適切な配置で並べることで、疑似的な市街地を再現していた。
私はそのような場所を徘徊する。
手には鉄砲を持ち、戦車の襲来を警戒し続ける。
なぜこんなことをしているのかと言うと、現在の私はディエラと戦闘を行っていた。
具体的には、彼女とヘンリーの乗り込んだ戦車を倒すために立ち回っている。
当初は私も戦車に乗っていた。
複数人で操縦するところを、魔術干渉によって単独で稼働させていたのである。
ただし、公平性を欠くため性能面は弄っていなかった。
今回は戦車の性能確認も兼ねているからだ。
故に通常運用を心掛けていた。
ところがディエラは、序盤から先代魔王の力を遺憾なく発揮してきた。
開始早々に光の鎖を飛ばすと、こちらの戦車を拘束し、砲の光線を撃ち放ったのである。
結果、私の戦車は大破した。
紙一重で脱出した私は、こうして徒歩を強いられている。
私と違って、ディエラは楽しむのが目的だった。
能力を使ってはいけないという決まりもなかったので、自重せずに仕掛けてきたのだろう。
限度を弁えてほしいと思うが、彼女にそれを言って伝わるかは怪しいところである。
同乗しているはずのヘンリーも止める気配がなかった。
彼も彼でこの状況を満喫しているのだろう。
困った二人組であった。
(迷惑な話だ……)
観戦だけするつもりだったというのに、思わぬ展開になってしまった。
ただ、棄権する気はない。
途中で投げ出せば、向こうの二人から不満が飛んでくる。
私自身、そういったことをしたくないという気持ちもあった。
どうせ戦うのなら、勝ってみせよう。
市街地の外では、配下達も見守っている。
あまり無様な姿は晒せない。
(そろそろ仕掛けるべきか)
私は片手の鉄砲を意識する。
この型は三連射式で、一発の威力が高い。
再装填も簡単にできる仕組みだ。
その代わりに通常型より射程が短めとなっている。
使用する場合は、相手に接近する必要があった。
私はもう一方の手に魔力剣を生み出す。
非常に脆く、耐久性で言えばガラスと同等だろう。
ただし切れ味は申し分ない。
たとえ壊れたとしても再発動するだけだ。
総合的な使い勝手は抜群だった。
今回、あまり強力な術を使うつもりはない。
常識の範疇に抑えておく。
そこを無視すると、ただの魔術合戦となってしまう。
兵器の性能確認も何もない。
武装を整えた私は、建物の陰から出て通りへ移動した。
間を置かず、遥か前方に一台の戦車が出てくる。
そこからディエラの声が聞こえてきた。
『ほほう。堂々と現れるとは感心じゃな。観念したのか?』
「奇襲ばかり繰り返しても面白くないだろう。短期決戦で勝利しようと思っただけだ」
私は魔術で拡声して返答する。
するとディエラは、さも嬉しそうに声を上げた。
『おお! 分かっておるではないか! さすがは今代魔王じゃ』
戦車の砲身が旋回し、こちらに狙いを定める。
左右を建造物に挟まれており、一直線な上に遮蔽物は無い。
砲撃に適した地形だった。
『吾は遠慮せぬぞ。お主も存分に力を振るうがいいっ!』
戦車の砲身に魔力が集束していく。
一切の加減がされていない。
実戦と同じ威力を使おうとしているようだ。
『ゆくぞ!』
直後、戦車が砲撃を行った。
地面を削るようにして光線が迫る。
瞬きの間に消し飛ばされそうだった。
もっとも、来ると分かっていれば対処も可能だ。
私は光線を凝視することで、正確な軌道を見極める。
そして、魔力剣を一閃させた。
切り裂かれた光線が、左右の建造物を穿つ。
術式の破損した結界が火花を立て、端から徐々に消滅していった。
光線を切断した魔力剣は、甲高い音と共に砕け散る。
やはり脆い。
ただ、役目は十分に果たしたと言えよう。
私は新たな魔力剣を生成すると、疾走を開始した。
戦車に向けて一直線に駆けていく。
『相変わらずの剣技じゃな! 常識を置き去りにしておるではないかっ』
ディエラは喜びながら砲撃を連発してくる。
私は次々と撃ち込まれる光線を両断していった。
或いは刃を合わせて受け流す。
そのたびに周囲の建造物が崩壊した。
結界による紛い物でなければ、後始末が面倒だったろう。
(このまま剣の間合いまで接近しよう)
至近距離なら鉄砲も有効だ。
離れていても砲撃を受けるばかりとなる。
双方の機動力を考慮しても、やはり距離を詰めていくべきだろう。
(……ん?)
光線をやり過ごして走る中、私はディエラとは別の気配を察知する。
それは極限まで抑えられた殺気だった。
本来は気付けないほど周囲に溶け込んでいる。
優れた隠密術であった。
(――上か)
私は相手の位置を悟ると同時に魔力剣を振り上げる。
剣の切っ先が、飛来する矢を切り飛ばした。
鏃が私の頭部を掠めていく。
視線をずらすと、建物の上に立つヘンリーを発見した。
彼は大笑いしながら弓を構えている。
「ハッハ! さすがは大将だ! よく気付いたなァッ」
ヘンリーが矢を連射する。
それなりの距離だというのに、恐ろしいほどの精度だ。
私は剣で防御した。
衝撃を流しているにも関わらず、腕が痺れる。
それでも脚は止めず、戦車への接近は止めない。
ここで鉄砲の反撃を試みたところで、大した効果はなかった。
射程から完全に外れている。
ヘンリーが建物から飛び降り、壁を蹴った。
彼は回転しながら私のもとへ跳びかかってくる。
狂喜する顔が間近にまで迫りつつあった。
「オラァッ!」
ヘンリーが弓を振り下ろしてくる。
私は魔力剣で受け止め、さらに弾き返す。
その動きで突きを放つも、ヘンリーはひょいと躱してみせた。
相変わらず人外じみた身体能力を持っている。
「手合わせするのも久々だからな。楽しませてもらうぜ?」
「……勝手にしろ」
私達は言葉を交わしながら打ち合う。
その間も依然として光線は飛んできていた。
ヘンリーへの被害も度外視しており、実に遠慮がない。
こちらが対処する前提の砲撃であった。
私とヘンリーは高速で攻防を繰り返していく。
互いに一歩も引かない戦いだ。
全身に細かい傷が増えていく。
完全に模擬戦闘の領域を越えていた。
「うおっと、危ねぇ」
光線を避けたヘンリーが、僅かに隙を作る。
実際はほとんど隙とも言えないような動作だったが、私はそれを見逃さない。
魔力剣を解除して彼の襟首を掴むと、抵抗される前に投げ飛ばした。
その際、自身の腕を意図的に分離する。
「おいっ、大将――」
抗議の声が一瞬で彼方へと飛ぶ。
建物に衝突したヘンリーは、そのまま貫通して奥の建物も崩壊させていった。
常人なら即死だろうが、ヘンリーは異様に頑丈である。
この程度なら骨も折れていないはずだ。
すぐに復帰してくるに違いない。
瘴気で義腕を作った私は、光線を捌きながら疾走を再開する。
『ええい、吾らの連携をも突破するか! なんたる強さじゃ!』
ディエラの声には、驚きが含まれていた。
今の局面で私を倒し切るつもりだったらしい。
確かに二人の攻撃は熾烈だったが、予測できた作戦である。
窮地に陥るほどではなかった。
そんなことを考えていると、戦車の表面から光の鎖が生えた。
計三十本ほどが、一斉に射出される。
すべてが私を狙っていた。
(さすがにやり過ぎだろう……)
ディエラの意地に呆れつつ、私は剣速を上げて対応する。
弾いた光の鎖が建物に衝突して、大穴を開けた。
周囲の建物がどんどん崩壊していく。
その時、戦車がおかしな魔力反応を示す。
表面に鱗と甲殻の混合物が滲み出し、それらが鎧のように戦車を覆っていく。
間違いなくディエラの能力であった。
自らの魔力で戦車に干渉したのだろう。
ディエラは魔術知識を持たない。
あの現象も、直感的な操作で実現したものと思われる。
やはり天才であった。
先代魔王の名は伊達ではない。
『今代魔王よ! お主もこれで終わりじゃ! 吾が最終兵器の力を受けるがいい……ッ!』
勝ち誇るディエラの声に合わせて、砲撃が放たれる。
私は魔力剣で受け流そうとして、中断する。
光線には先ほどの数十倍の破壊力が秘められていた。
魔力剣でどうにかするには少々心許ない。
私は身体強化を発動し、這うような姿勢で加速した。
光線に頭部を削られながらも、全身への直撃を免れる。
即死さえしなければいい。
不死者は滅多なことでは致命傷を負うことがない。
その勢いで私は砲身の下に潜り込んだ。
これで戦車の攻撃を受けることはなくなった。
私は戦車の側面に回り込むと、魔力剣による斬撃を浴びせる。
一瞬にして鱗と甲殻が剥がれ落ちた。
そこに鉄砲を押し付け、魔力を流しながら二連射する。
すると戦車は煙を上げて停止した。
動力機関が破損し、機能不全を起こしたのだ。
私は内部構造を把握している。
だからどこを破壊すればいいかも知っている。
戦車はもう稼働できない。
その時、戦車の上部の蓋が開いた。
そこから飛び出したのはディエラだ。
彼女は私に向けて飛び蹴りを繰り出してくる。
「しぇああああああぁッ!」
私は魔力剣を投擲する。
柄がディエラの額に直撃した。
空中で姿勢を崩した彼女は、私の頭上を越えた末、勢いよく地面に激突する。
よほどの激痛だったのか、ディエラは額を押さえながら転げ回る。
私はそこに歩み寄ると、鉄砲を突きつけた。
そして彼女に尋ねる。
「これで十分か?」
「降参じゃ……」
動きを止めたディエラは悲しげに認める。
後方を見れば、ヘンリーも両手を上げていた。
彼はとても悔しそうな顔をしている。
先ほどの戦いが消化不良だったのだろう。
一方、ディエラは立ち上がって伸びをする。
彼女は晴れやかな顔で踵を返した。
「ううむ。実に惜しいが、そろそろ帰るとするかの。今度は必ず吾が勝つからな。ではさらばじゃ」
「待て」
帰ろうとするディエラを引き留める。
振り返った彼女は、期待を込めて私を見た。
「何じゃ。もしや二戦目か?」
「違う」
私はディエラの乗っていた戦車を指差す。
それは無残にも鱗と甲殻に覆われていた。
内部の破損も著しい。
過剰供給された魔力で故障したのだ。
私が機能停止させた箇所など微々たるものである。
修理で直せる状態ではなかった。
「訓練場の整地と武器の手入れだ。大破させた戦車の分は働いてもらう。異論はあるか」
「……無い」
ディエラは肩を落として反省する。
そこに先代魔王の威厳は微塵も感じられなかった。