第114話 賢者は推論を閉ざす
深夜、私は引き続き事務作業を進めていた。
この時間帯にもなると、さすがに新たな書類も届かない。
ひたすら消化していくのみとなる。
室内には、私とグロムとルシアナしかいなかった。
他の者達は別室にて休んでいる。
私が命じたのだ。
そうでもしないと無理をするためである。
彼らは自分達だけが先に休むことに躊躇いを覚えていたが、こういったものは適材適所だ。
常人の体力で、私達と同じ働きをするなど不可能に決まっている。
規則正しい生活を送ってもらい、また明日から頑張ってもらう方が助かるのだ。
三人で黙々と作業をしていると、唐突に扉が開いた。
顔を覗かせたのはローガンだ。
彼はどこか気まずげな表情をしている。
「ドワイト。客だ」
私は彼の言葉に手を止める。
そして、ため息を吐きたい気分になった。
(こんな時間にか……)
私への来客など、心当たりは一人のみだ。
他にいるはずもない。
入室するローガンに続いて現れたのは、私の予想通りの人物――すなわち先代魔王のディエラだった。
彼女は気さくな調子で私達に挨拶をする。
「こんばんはじゃ。今宵も遊びに来たぞ」
室内を闊歩するディエラは、私の手元を覗き込んできた。
彼女はこれ見よがしに唸る。
「何じゃ。お主は相変わらず堅苦しいことをしておるのう。吾が魔王だった時代など、もっと悠々自適に暮らしておったというのに」
「その分の負担が、アタシ達に回ってただけなのよねぇ……」
小声で愚痴るのはルシアナだ。
彼女はじろりとディエラを見やる。
視線に気付いたディエラは、心外だと言わんばかりに抗議する。
「ルシアナよ、お主も吾を怠け者と申すか! 断じて違うぞ。あれは魔王の威厳を保つためであり……」
「はいはい、言い訳はいいから。暇なら手伝ってくれる? 人手が足りないのよ」
数枚の書類を持ったルシアナは、それをディエラに差し出す。
ディエラは、即座に首を振って拒絶した。
「嫌じゃ。吾は机仕事を好かん」
そう言って彼女は私の背後に回ると、手を添えて囁いてくる。
「のう、魔王や。そのようなつまらぬ作業は放っておいて、吾と戦おうではないか。新たに開発した技を披露しよう」
「模擬戦闘を希望するのなら、ヘンリーを誘ったらどうだ」
「あの弓兵にも声をかけたが、軍の訓練があると言って断られてしまった。あの男め、粗暴に見えて律儀なのじゃよなぁ」
ディエラは不満そうに言う。
ヘンリーは、この時間帯も軍の訓練を実施しているらしい。
戦いに関しては本当に真摯な姿勢である。
魔王軍が他国でも勝ち続けられるのは、彼による徹底した指導があるからだろう。
「もうお主しかいないのじゃよ。どうか吾の願いを聞いてくれぬか?」
「仕事を途中で投げ出すわけにはいかない。他を当たれ」
「やれやれ、堅物じゃのう……」
ディエラは口を尖らせる。
まだ納得できていないようだった。
その時、グロムが席を立った。
彼は大股でこちらへ歩いてくると、ディエラを見下ろす形で相対する。
「先代よ。魔王様を困らせるでない。これ以上は我が黙っておらんぞ」
「ふむ、ではどうするつもりじゃ?」
「むっ……」
グロムはディエラの返しに言葉を詰まらせる。
その先を考えていなかったのだろう。
対するディエラは、意地の悪い笑みを湛えている。
この半年で、互いの性格は把握しているはずだ。
彼女はわざとグロムを困らせているに違いなかった。
暫しの思考を挟んだグロムは、眼窩の炎を噴出させる。
彼は拳を握ってディエラに宣言した。
「……このグロムが、貴様の息の根を止めてみせるっ!」
「良い覚悟じゃ! 受けて立とうではないかっ!」
横でやり取りを見守っていた私は、それを聞いて脱力する。
頭を抱えそうになるのを寸前で耐えた。
(……なぜそうなるのだろう)
グロムの思考が飛躍しすぎだ。
短絡的という表現すら生温かった。
様々な感情がぶつかり合った結果、よく分からない結論に達している。
結局、グロムとディエラは謁見の間を飛び出していった。
これから二人で戦うのだろう。
まんまとディエラの口車に乗せられた形である。
一部始終を眺めていたルシアナは、大袈裟にため息を洩らした。
頬杖をついた彼女は私に尋ねる。
「魔王サマ、大丈夫? もしよかったら、連れ戻してくるけど」
「いや、いい。今のうちに仕上げるぞ」
「はーい」
私達は事務作業を再開した。
残されたローガンは部屋の外へと向かう。
「一応、様子を見てくる。何かあれば連絡する」
「すまない」
ローガンがいれば、厄介な事態には陥らないだろう。
彼なら場を沈静化できる。
相手が先代魔王だろうと、遠慮なく叱ることのできる男だ。
実際、そういった場面を何度も目撃していた。
彼の胆力には尊敬の念を覚える。
それからルシアナと二人きりで作業をしていると、今度は近くの窓が開かれた。
室内に入ってきたのは、専用機ゴーレムに憑依したユゥラだ。
彼女は私の前で静止する。
「マスターに密告――個体名グロムと個体名ディエラが業務放棄及び業務妨害を行っています。二名の対処を進言します」
「……監視を命じる。彼らを見張っておいてくれ」
「マスターの指令を受諾――追跡を開始します」
ユゥラは窓の外へ跳躍すると、足裏から炎を出して飛行した。
そのまま夜空へと消えていく。
結局、窓から入室した理由は不明だった。
(ユゥラの性格から考えるに、最短距離で効率的な道を選んだのだろう)
些か常識が欠落している気がする。
まだまだ教育することは多そうだった。
そんなことを考えていると、ルシアナがくすりと笑った。
彼女は伸びをして息を吐く。
「魔王軍もにぎやかになったわねぇ」
「そうだな」
私は同意する。
深夜でも落ち着いて事務作業ができない程度には大所帯になっていた。
「アナタの望む形にはなってきているの?」
「こうなるとは思っていなかったが、悪くはない。魔王軍は上手く機能している」
私は正直に意見を述べる。
色々と予想外な者が参入しているものの、別に不都合はなかった。
むしろ助かっているくらいだ。
ルシアナは天井を仰ぎながらしみじみと呟く。
「先代魔王サマ――ディエラ様も感心していると思うわ。昔の魔王軍では考えられない光景だから」
「そうなのか?」
「ええ。魔王軍と言っても、当時の構造なんてお粗末なものよ。有力な魔族が自己判断で好き勝手に戦ってる状態だったわ。命令系統が徹底されてたのなんて、直属の組織くらいだったんじゃないかしら。アナタならよく知ってるでしょ?」
自嘲交じりの問いかけに、私は頷く。
脳裏では十年以上も前の日々が思い起こされた。
私がまだ人間だった頃で、世界のために魔族と戦っていた時代である。
(確かに統率は取れていなかったな)
私は当時を振り返る。
もし魔族が優れた連携力を有していたら、人類はとても敵わなかっただろう。
そういった側面があったからこそ、私達は隙を突くことができた。
「先代がそんな調子だったのに、短期間でここまでの軍と領地を手に入れるなんて、魔王の才能があるんじゃない? 当時、アナタが寝返っていたら、結末は変わったかもしれないわね」
「……どうだろうな」
私は曖昧な返しをする。
もし私が魔族側にいたとしても、きっと最終的な結果は変わらなかった。
なぜなら勇者――あの人が行く手を阻むからだ。
彼女なら私の裏切りなど関係なく世界を守り続けるだろう。
そういった人物であるのはよく知っている。
もし戦いになったとしても、私では彼女に勝てない。
(――今でも、そうなのだろうか)
私はふと疑問を覚えた。
答えを考えかけて、止める。
あまり想像したくないことだった。
結果を推し量ることさえ、恐ろしいことのように思えた。
「…………」
私は鈍い頭痛を感じて視線をずらす。
その先には、台座に載った水晶があった。
水晶の中に浮かぶ遺骨は、今も変わらずそこに存在していた。