第113話 賢者は支配者の悩みを痛感する
王城内にある謁見の間。
私は膨大な量の事務作業に追われていた。
日々、室内の机が増設されている。
舞い込む書類が多すぎて、対処し切れなくなってきたのである。
その結果、作業要員も増やしている。
室内では、幹部以外の人間も書類仕事をこなしていた。
「うおおおおおおおおお! 滾るッ! この作業量は心が滾りますぞォッ!」
声を上げて奮闘するのはグロムだ。
彼は八本の腕を駆使して書類を消化している。
妙に張り切っているのは、私に頼られたことが嬉しいからだろう。
朝からずっとあの調子である。
思い返せば、数日前からあの勢いだった気もする。
とにかくやる気に満ち溢れていた。
グロムの過労が気になってくるも、よく考えると彼は不死者だ。
身体的な疲れとは無縁の存在である。
たとえ致命傷を負っても、魔力と瘴気さえあれば回復可能なほどだった。
いちいち心配することもないだろう。
「ちょっと骨大臣。発声練習なら外でやってくれる?」
迷惑そうに苦情を上げるのはルシアナだ。
彼女は椅子にもたれかかって憂鬱そうにしていた。
あまりの仕事の多さに、さすがに参っているようだ。
一段落着いたら、彼女には休みを与えようと思っている。
苦情を受けたグロムは、立ち上がってルシアナを見た。
彼は筆を掲げながら反論する。
「発声練習ではないわ! 我は魔王様のために作業をしておるのだ!」
「その大声を止めて。耳に響くから」
ルシアナは顔を顰めて言う。
本気で迷惑そうだった。
それを察したグロムは、居心地が悪そうに座る。
「す、すまぬ……」
「分かればいいの。ほら、ちゃっちゃと終わらせるわよ」
そうして二人は黙々と作業に戻った。
室内は筆と紙の音だけで満たされる。
先ほどから不定期に似たようなやり取りが行われていた。
誰もが慣れ切っている様子で、他の配下達も手を止めずに作業を続けている。
私も特に気にしない。
二人の仲が悪くないのは知っている。
頻繁に喧嘩しているのも、心を許せる関係だからだろう。
なんだかんだで上手くやっている。
私としてはありがたい限りだ。
(しかし、いつまで経っても終わらないな……)
私は各机にある書類を見て辟易とする。
このように作業量が激増したのには理由があった。
それは、魔王領の拡大に起因する。
先代魔王ディエラとの戦いから半年が経過した。
魔王領を取り巻く環境は刻一刻と変わりつつある。
まず共和国の領土が、丸ごと魔王領のものになった。
本当はそこまで大胆な侵略はしたくなかった。
領土が拡大しすぎると、現在のように管理作業に忙殺されてしまうからだ。
だが、そうせざるを得なかった状況だった。
元四天王バルクの暗躍により、共和国は魔族と魔獣が跋扈する危険地帯と化した。
あのまま放置しておくと、他国にまで被害が飛び火する恐れがあった。
さすがにそれは見逃せない事態である。
統率の取れない魔族と魔獣の群れが国外に流出すると、各国に多大なる混乱をもたらす。
望ましくない状況だった。
だから私は、先手を打って共和国を丸ごと占領した。
各地の魔獣や魔族を虐殺或いは捕獲し、これによってまだ無事だった人々の安全を確保したのである。
生き残った人々の街には、占領という名目で魔王軍を派遣した。
管理下に置きながらも、復興支援を推し進めている。
近頃は幹部以外でも優秀な部下が多くなってきた。
捕虜出身の者が、思わぬ出世を遂げている場合も珍しくない。
私はその辺りにはほとんど携わっていないが、ルシアナやヘンリーから話を聞いている。
そうした者達は、各地の責任者に抜擢されていた。
いずれ私からも労いの挨拶をしようと思う。
虐殺を繰り返す魔王軍だが、幸運にも要所で人材に恵まれていた。
最近は実施できていないが、支配地の視察も行いたい。
反乱や独立が起きたという話も聞かなくなり、至って平和な日々を送っているようだった。
たまに領主が不正を働く時があるので、その際は警告を発している。
それでも改善しない者は、ルシアナの魅了で支配していた。
心を縛り付けて傀儡としている。
もっとも、今のところはそれも少数派である。
できるだけ自発的な統治をさせたいので、領主達の良心に期待していこうと思う。
ちなみに各地で捕獲した魔獣と魔族の処遇だが、こちらも私が独断で決定した。
理性を残す魔族のうち、戦いを好まない者は王都の住民として暮らすことになった。
他種族との衝突を避けるため、専用の区画で生活させている。
ただし、これは一時的な措置の予定だ。
いずれ種族を問わず暮らせるようにしていきたい。
現在の王都は、人間と魔物が共同生活を送っていた。
最初は距離があったが、急速な発展の中で抵抗感も曖昧になったらしい。
同じ要領で魔族達も、いずれ馴染めるだろうと考えている。
自我を失った個体や悪性の高い者は、まとめて研究所送りにした。
彼らには魔獣や魔族を人間に戻す実験に協力してもらう。
魔族の中には、元の姿を求める者が多いのだ。
彼らはバルクの陰謀の被害者であり、私も是非とも願いを叶えたいと考えている。
一方で何割かの魔族は魔王軍に所属している。
志願者のみを傘下に加えた形である。
これに関して他の者からの反発は皆無だった。
私が決めたことだから反論が上がりにくいというのもあるだろうが、一番は魔王軍の原形が理由に違いない。
元々、魔王軍の大半は魔物とアンデッドで構成されていた。
そこに魔族が加わったところで大きな差はない。
むしろ優れた戦闘能力を持つ者達は歓迎される。
魔王軍は実力主義の縦構造だ。
増員に伴って指揮系統や部隊の細分化が行われたものの、根本の部分は変わらない。
この辺りは軍の頂点に立つヘンリーとグロムの気質だった。
有能な者は、出自を問わず成り上がれる。
こういった事情もあり、魔王領の戦力はさらなる増大を果たしていた。
その名に劣らない内訳となっている。
とても喜ばしいことだ。
他国も脅威を感じて、こちらに敵意を集中させていた。
共和国が魔王の手によって変貌したと思われているのが大きいだろう。
バルクも実は私の手先で、彼を派遣して共和国を滅亡させたと噂が流れているらしい。
もちろん事実とは些か異なる。
ただ、領土を奪って支配したのは間違っていない。
第三者から見れば、そう解釈するのが自然だと思われた。
私はその誤った情報を黙認している。
魔王に相応しい悪行だ。
私の目的とも合致しており、都合が良い。
他国の重鎮は、戦々恐々としている頃合いだ。
依然として対魔王の策を講じている。
その証拠として、国家間の戦争はめっきり聞かなくなった。
あちこちで同盟が結ばれているらしい。
この半年は、大陸全体が静寂に包まれていた。
魔王討伐のため、人類は着々と爪を研いでいるのだ。
現状はほとんど理想の状態であった。
課題点は散見されるものの、魔王の君臨で人々の争いを抑止できている。
ただし、油断はできない。
これは波乱の前触れでもあるのだ。
いずれ各国は動き出す。
その際、私は適度に迎撃していかねばならない。
大きな問題が発生した場合は、迅速に対処して解決する。
これまでと変わらない方針であった。
他に国外で変わったことと言えば、奴隷自治区の一部が魔王領に降伏したことだろうか。
魔王軍の侵攻を受けた都市が、再び攻め込まれる前に白旗を上げたのだ。
自治区のおよそ一割弱が実質的な支配地となった。
これは嬉しい誤算である。
統治者からは、いつでも良質な人材を提供できると豪語された。
なんとも手のひら返しが上手い。
元から自治区は国の形態を取っていないため、裏切りという感覚も薄いのだろう。
魔王領は、大陸に存在する国々の中でも最大の面積となった。
これによって業務が大幅に増え、慢性的な人材不足に陥っている。
戦力面では困っていないが、細々とした部分でもどかしい場面が多いのだ。
いずれ奴隷の提供を受けることになるかもしれない。
そういった出来事を挟みながらも、魔王領は今日まで継続していた。
何度となく厄介な案件に巻き込まれているが、なんとか解決に持ち込むことができている。
今後も恒久的な世界平和に向けて尽力するつもりだ。
その時、謁見の間の扉が開いた。
現れたのはユゥラだ。
彼女の片手には、山積みの書類が載せられていた。
軽く見積もっても数百枚はある。
彼女は、それを軽々と持ち運んできた。
「マスターに報告――書類を預かってきました。内容確認と署名をお願いします」
「……分かった」
私は静かに頷く。
午後は休むつもりだったが、それも叶わない。
今日も徹夜で励むしかないだろう。
勤勉なグロムを見習って、不死者の特性を活かしていこうと思う。
配下達から同情の視線を受けつつ、私は肩の骨を鳴らした。