第112話 賢者は思わぬ再会を果たす
王都から離れた草原にて、私は岩に腰かけていた。
前方には二つの背中が見える。
エルフの族長ローガンと、大精霊の分体ことユゥラだ。
耳を澄ますと、両者の会話が聞こえてくる。
「流れは概ねこのような形になる。分かったか」
「指導内容を理解――実践に移行します」
頷いたユゥラが魔力を操作する。
地面を割るようにして木が生えてきた。
木はあっという間に成長し、大樹と呼べるほどの高さに至る。
(術式も安定している。見事だな)
ユゥラが行使したのは精霊魔術だ。
ちょうどローガンから教わったばかりの術だった。
彼女は大精霊の分体であるため、精霊魔術との相性はこの上なく良好と言える。
適性に関していえば、エルフをも超えるだろう。
そこでローガンが提案し、精霊魔術を学ばせることになったのだ。
ユゥラ自身も乗り気だったので、さっそく決行したのである。
本人によると、できることが増えるのが嬉しいらしい。
朝からあのような調子で様々な術を習得している。
真面目で出来のいい生徒のため、ローガンも妙に張り切っていた。
(平和な光景だな……)
先代魔王との対決から早三日。
魔王領は平穏を取り戻していた。
派遣した配下達の活躍により、各地で暴れていた魔族や魔獣も無力化されている。
現在は復興作業の真っ最中だった。
当時の状況を配下達に聞いたところ、特に危ない場面はなかったらしい。
理性面での懸念があったデュラハンのドルダも、街の人々を守るために奮闘していたそうだ。
戦闘中は正気を維持していたのだという。
もっとも、帰還した途端にいつもの調子へと戻ったそうだが。
その生態はよく分からないものの、ドルダなりに頑張ってくれたようである。
私は手元のグラスに目を落とす。
果実酒に聖気を施したもので、不死者が飲食を楽しむための実験作の一つだった。
飲料に関しては、未だに成功していない。
これが足掛かりになればいいと思っている。
私はグラスを口に運ぼうとする。
その時、背後に妙な気配が出現した。
私はそのままの姿勢で振り返る。
そこには、黒いワンピースを着る長身の女が立っていた。
灰色の肌に濃紺の長い髪。
側頭部にある二本の角のうち、片方は何かで切断されたように欠けている。
若々しい容姿とは対照的に、金色の双眸は老獪な輝きを帯びていた。
面白そうにこちらを見つめている。
先代魔王だった。
幻覚などではない。
殺したはずの彼女が、目の前に立っている。
私が困惑する一方、魔王は手を上げて挨拶をしてきた。
「やあ、三日ぶりじゃのう」
「…………」
私は返答できずに硬直する。
いつの間にか、グラスの酒をこぼしていた。
足元が濡れているも、気にするだけの余裕はない。
異変に気付いたローガンとユゥラがこちらを見ていた。
特にローガンは、信じられないとでも言いたげな顔をしている。
彼は無言で戦闘体勢に入っていた。
私は彼らを視線で制する。
下手に動くと危険だ。
魔王の意識は私に向いている。
ここは刺激しないのが賢明だろう。
私は当然の疑問を魔王に投げる。
「なぜ生きている」
「それが吾にも分からなくてのう。気が付いたら蘇生していたのじゃよ」
困ったように言う魔王は、現在に至るまでの経緯を話し始める。
私との戦いで死んだはずの彼女は、半日ほど前に旧魔族領で目覚めた。
灰になった肉体は元通りとなり、記憶の欠落等もないらしい。
事態の掴めない魔王は、無人の大地を徘徊し続けた末、私の位置を察知して会いに来たのだという。
「お主は賢者じゃろう。蘇生の原因を解き明かせるのではないか?」
「そう言われてもな……」
私は魔術的な観点で魔王の状態に注目する。
三日前からさらに変異を遂げているようだった。
強大な魔力を有しているようだが、それが自然体で抑えられている。
今までの魔王なら即座に察知できただろう。
何らかの変化があったのは間違いない。
「ほれほれ、吾の宿敵たる頭脳を見せるがよい」
「言われなくとも考えている」
なぜか楽しそうに茶化す魔王をよそに、私は考察を積み重ねていく。
そして、一つの推論を紡ぎ上げた。
(……もしかすると、私の行動が原因なのか?)
私は蘇りの触媒である角を破壊した。
それは魔王殺害の上で必須行為であり、彼女を世界に繋ぎ止める術の安定性を崩した。
この時の魔王の肉体は、失った触媒を求めている状態だ。
例えるなら、水中に沈む人間が呼吸をしようとするのに近い。
そうしなければ死ぬという窮地である。
ここに本人の意思は介在せず、肉体は本能的に生存の道を模索する。
私はそのような状態の魔王に形見の剣を刺した。
結果としてこれが不味かった。
形見の剣は、魔王にとって縁深い武器である。
止めを刺したあの瞬間、おそらくは失われた触媒として作用してしまったのだろう。
魔王は二度目の死を迎えるも、術式自体は復活し、彼女は時間差で蘇生したものと思われる。
「――以上が私の推論だ。満足したか?」
「ふぅむ。小難しい魔術はよく分からんが、お主が言うなら概ね合っているのじゃろう」
魔王は眉間に皺を寄せて唸る。
あまり理解していない顔だった。
(そういえば、魔術知識に疎いのだったな)
彼女が無詠唱で使える術は、すべて感覚で行使されている。
完全に天性の才能であった。
蘇生後に習得した光の鎖や聖剣の力も、体系化された魔術とは異なる。
むしろ固有能力に等しく、魔王はやはり感覚で使っていたのだろう。
そんな彼女には、今の推論が伝わらなかったようだ。
(ふむ……)
私は魔王を注視する。
現在、形見の剣と魔王の間には、何の繋がりも感じられない。
触媒の機能は失われている。
今回の蘇生は、一回限りの奇蹟だったようだ。
すなわち今の魔王は、触媒無しで生命活動を行っている。
再び不安定になって自壊しそうなものだが、魔力の流れを見る限りは問題ない。
本来、灰になった時点で、蘇りの術は破綻するはずだった。
ところが形見の剣を触媒にした際、仕込まれた術式が再構築されている。
そうして魔王は、触媒を必要としない完璧な蘇生を成し遂げた。
信じられないことだが、目の前の現実を否定するわけにもいかない。
いずれの工程も狙ってできることではなく、偶然の積み重ねが招いた現象だろう。
同じことを何千回と再現しても、同じ結果になるとは思えなかった。
(……これも世界の意思の仕業か?)
もはや恒例となりつつあるが、此度も疑わざるを得ない。
魔王には、今代勇者と聖女の遺灰が含まれている。
彼らは世界の意思に選ばれた英雄だ。
奇蹟によって力を手にした者達である。
死亡時、魔王にもその力が働いたのかもしれない。
彼女は死に際に後悔の念を抱いていた。
あれも蘇生を後押しする要因になったのだろう。
そういったことが起きても、何らおかしくなかった。
魔王がこの場にいることは、ひとまず納得できた。
ただし、彼女には訊いておかねばならないことがある。
私はそれを確認する。
「こうして会いに来たということは、また私と殺し合うつもりか」
「まさか。借り物の力を使いながらも、吾はお主に敗北した。これで諦めないほど、往生際の悪い性格はしとらん」
魔王は首を横に振る。
それは薄々分かっていた。
彼女からは一切の敵意を感じられず、言動がとても穏やかだった。
本当に魔王なのかと疑ってしまうほどだ。
「吾も魔王を引退した身じゃ。お主と戦う気も、世界征服を再開するつもりもない」
「そうか……」
魔王が断言したことで、私は胸を撫で下ろす。
これで騒動が再燃すると、事態がまたややこしくなる。
他にも様々な案件を片付けねばならないのだ。
此度の出来事は、そろそろ終わりにしたかった。
その時、魔王が意味深な笑みを浮かべる。
彼女は私を指差した。
「そんなことよりお主の未来に興味がある」
「――何?」
「吾と異なる志の後輩が、どのような道を歩んでいくのか。それを見届けたいのじゃよ」
魔王はそんなことを得意げに述べた。
嘘や冗談を言っている様子ではない。
彼女は、私に対して本気で興味関心を抱いている。
「綺麗に死んだつもりが、生き返ってしまったからのう。気恥ずかしくもあるが、ここは開き直っていくつもりじゃ。第二……否、第三の人生を謳歌するぞ」
「……待て。さすがにそれは」
「住まいは既に決めてある。かつて吾が支配した領地を使わせてもらうぞ。これからは隣人じゃな」
魔王は既に乗り気だった。
私の抗議も遮ると、親しげな態度で接してくる。
正直、かなり迷惑な話なのだが、彼女の中では決定事項らしい。
そこでふと笑みを止めた魔王は、神秘的な瞳で私の眼窩を覗き込んできた。
彼女は、かつてを連想させる雰囲気で囁く。
「――ただし、お主が腑抜けるようなことがあれば、吾は遠慮なく魔王軍を乗っ取るぞ。それをゆめゆめ忘れるな」
「魔王、お前は……」
私は再び反論の言葉を口にしかける。
すると彼女は、指で下顎を押し上げてきた。
そうすることで私の発言を阻止する。
「魔王はお主じゃろう。吾のことはディエラと呼べ。遥か昔に捨てた名じゃが、何者でもなくなった身にはちょうどいい」
先代魔王――ディエラはそう言うと、私から指を離して腕組みをした。
彼女は片頬を上げて笑みを作る。
「今代魔王よ、改めてよろしく頼むぞ」
「……こちらこそ」
私は渋々ながら応じる。
残念ながら、口論で負かせる気がしなかった。
加えてディエラは、本当に世界征服をするつもりがないようだ。
それならば、わざわざ殺す必要もない。
彼女の話を聞くに、味方に近い中立的な関係と考えてもいいだろう。
まだ信頼できないものの、ひとまずは様子見したい。
(先代魔王と和解、か……)
心の中で反芻するも、未だに信じられない。
だが、目の前の光景は現実である。
個人的な感情を述べるなら、此度の決着は決して悪いものではなかった。
互いの因縁を、三日前の戦いで清算したような感覚があった。
無論、ディエラの過去の悪行を肯定するわけではない。
その上で、新たな隣人を受け入れようとする自分がいる。
精神的な面で何かが前進したような気がした。
きっと思い違いではないだろう。
奇妙な締めくくりだが、私の中では腑に落ちている。
(……世界とは、思うようにいかないものだな)
振り返ればいつもそうだった。
常に苦難と対峙している記憶がある。
そういった星の下に生まれてきたのかもしれない。
つくづくと考える私は、ディエラを見て肩をすくめた。