第111話 賢者は先代魔王を超える
倒れたままの魔王は、肉体が朽ち始めている。
触媒である角を失ったためだ。
世界に居残るための杭を失って、死者に戻ろうとしている。
魔王は自らの異変を察すると、自嘲気味に笑った。
「また……吾、は……負ける、のか……恥ずべきこと、よな……」
私は一定の距離で歩みを止めた。
そして、彼女に向けて問いを投げる。
「もし私を殺せた場合、その先の世界で何を為すつもりだったんだ」
「……魔族の、復権じゃ。十年前も、そうだった……吾らは、虐げられてきた……支配種として君臨する人間共は、災いをもたらす。だから吾が、排除しなければ……」
「災いをもたらす種族、か」
私はその言葉を呟き、心の内で反芻する。
魔王の主張は正しかった。
人々の選択の果てに今の私が誕生している。
彼らに責任を押し付ける気はないが、要因であるのは確かだった。
「人間が愚かな、のは……歴史が証明、しておる……吾は、人類史を白紙に戻して、以降に魔族の歴史を、刻んでいくつもりじゃった……」
魔王は真意を吐露する。
そういった考えを持っているとは知らなかった。
生前はここまで話すことができないまま戦ったのだ。
魔王は虚ろな眼差しを私に定めた。
血を垂らす口が言葉を繋ぐ。
「今代魔王よ……吾を、殺せ。それが勝者の特権……吾の屍を、越えてゆくのじゃ」
「……ああ。分かった」
頷いた私は剣を掲げる。
この形見の剣は、魔王にとって致命的な弱点だ。
先代魔王、今代勇者、そして聖女。
彼らには共通点がある。
それは、全員がこの剣によって死を迎えているという点だ。
三者の要素を含んで存在する魔王は、この剣による攻撃を苦手とする。
言うなれば概念的な弱点に近い。
傷を受けても容易には再生できず、脳や心臓を破壊されれば死に至る。
どれだけの生命力を備えていようと関係ない。
触媒を失った魔王は、放っておいても消滅するだろう。
しかし、その間に何をするか分からない。
ここで止めを刺すべきである。
「お主が紡ぐ世界、か……」
魔王がうわ言を洩らす。
彼女の視線は、空を見上げていた。
そこに私は映っていない。
「唐突に何だ」
「いや……その行く末を見てみたい、と思ってしまってのう……いかんな、この期に及んで、悔いが残ってしまう。情けない、限りじゃ……」
魔王は困ったように笑う。
今までの彼女からは想像できないほど弱々しい姿であった。
死に際になって吹っ切れたのかもしれない。
(これが本来の性格なのだろうか)
魔王とは、己の弱さを見せることができない。
本音すらも胸中に押し隠して、時には非情に振る舞わねばならない存在だ。
日々、私が痛感していることである。
「賢者ドワイト、だったな……冥府の底から、吾は応援しておる、よ……」
そう言って魔王は目を閉じる。
穏やかな表情だった。
「――先代よ。安らかに眠れ」
私は静かに告げると、真っ直ぐに剣を落とす。
刃が心臓を貫き、魔王の身体は全体が陶器のように硬質化した。
そして、端から崩れていく。
残されたのは、山積みになった灰だった。
魔王の面影はない。
灰の山は、吹き抜けた風に攫われて散った。
私はそこから剣を引き抜く。
その時、少し遠くから呻き声が聞こえてきた。
私はそちらを向く。
「ぐぉお……あががっ……ぎいぃぃ……」
そこでは、バルクが奇声を上げながら立ち上がろうとしていた。
血塗れの彼は、荒い呼吸を繰り返している。
(生きていたのか)
てっきり死んだと思ったのだが、なんとか耐えていたらしい。
魔王の槍に刺された傷は、修復して血が止まっていた。
何らかの再生能力を持っているようだ。
私は剣を携えて近付いていく。
「ぐぅ……ッ!」
バルクが凄まじい形相でこちらを見る。
彼は慌てて懐を漁ると、ガラスの小瓶を取り出した。
中は紫色の液体で満たされている。
(あれは魔獣薬か……?)
私は小瓶の中身を察する。
追い詰められたバルクは、最後の秘策を使うつもりらしい。
どこまでもしぶとい男である。
魔王を倒されながらも、まだ私の殺害を諦めていないようだった。
バルクは小瓶の封を開けると、躊躇いなく中身を呷る。
彼は顰め面で嚥下し、空瓶を投げ捨てて私を睨み付けた。
「ドワイトオオオォォォォッ!」
絶叫するバルクの声が低く歪んでいく。
細身だった肉体が肥大化し、肌が緑色に変わり始めた。
体躯に合わなくなった服が破裂する。
背中から翅が生え、背面には尻尾も覗いている。
「ウゴオアアアアアアアアアアッ!」
頭部の皮膚を破って角が突き出した。
大きく開いた口には、びっしりと牙が揃っている。
急速に増大した魔力は、先ほどまでとは比べ物にならない。
人間だったバルクは、瞬く間に変貌した。
魔族とも魔獣とも判別し難い姿となっている。
「貴様だけはァッ! 貴様だけは許さんぞおおおぉぉッ!」
バルクは両腕に魔力を圧縮させた。
左右の拳を構えると、殺気を乗せて叩き込んでくる。
私は形見の剣を往復させて、バルクの両拳を切断した。
ごとり、と地面に拳が落下する。
「グオオオオオオオォォォッ!?」
バルクは血飛沫を撒きながら絶叫する。
大きく仰け反った上体を見て、私は彼の膝を斬り付ける。
翻した刃で太腿と脇腹を裂いた。
腱を断たれたバルクは膝をつく。
それでも諦めず、前のめりになって噛み付こうとしてきた。
私は剣の一閃でバルクの両目を叩き割る。
悶絶する彼をよそに、連撃を畳みかけていった。
そこに慈悲は無い。
徹底的に抵抗力を奪い尽くす。
「ギィィ、グゥウ……」
されるがままのバルクが苦痛に呻く。
彼の腕はだらりと垂れ下がっており、もうほとんど動かない。
翅と尻尾も半ばで断たれていた。
全身から濁った血液が流れ、地面を穢している。
(終わりだな)
魔獣薬も、所詮は悪足掻きに等しかった。
手を煩わされただけで、これ以上の策を隠している様子もない。
このまま斬り殺そうと考えたその時、バルクが叫んだ。
「ま、待っテクれ! 交渉ヲ、シヨうッ!」
「…………」
私は剣を止める。
妙な発音で喋るバルクは、怪物の顔で笑みを浮かべた。
「私ナラ、勇者を蘇らせルコとガでキル! 魔王様すラモ復活さセタノだから、信頼でキルハずだァ……!」
早口で述べられるそれは、命乞いだった。
陳腐だが妥当なやり方である。
勇者という言葉で私に興味を抱かせて、彼はこの場を乗り切ろうとしていた。
(確かに悪くないやり方、だが……)
私は無反応でバルクを眺める。
息を呑んだ彼は、さらに大声で言葉を重ねていった。
「嗚呼、ドワイト! モウ一度、勇者に会いタイトは思ワナイかネ! 私には分カルぞぉ! 貴様は会いタガッテいるッ! 故にココハ賢明ナ判断を」
「断る」
私は形見の剣を振るう。
バルクの首が、胴体を離れて宙を舞った。
回転の末、地面に落ちる。
胴体は赤い噴水を上げると、内包する魔力を霧散しながら崩れた。
返り血を避けた私は剣を下ろす。
周囲に敵性反応はない。
剣に付着した血を振り払い、そっと鞘に収める。
――こうして私は、一連の騒動に終止符を打ったのであった。