第110話 賢者は死闘を制する
魔王が果敢に攻め立ててくる。
超絶的な槍捌きだ。
甲殻と鱗の鎧を纏いながらも、素早い動きを維持している。
こちらの剣技を封じるような立ち回りであった。
加えて槍の威力も破格だ。
聖剣の力が付与されているので、掠めるだけで身体を浄化してくる。
それを魔王の卓越した槍術で繰り出すのだから厄介極まりない。
間を縫うようにして放たれるのは、光の鎖の群れだ。
鎖は四方八方から襲いかかってくる。
しかも聖女の時とは異なり、自動追尾ではない。
魔王が自らの意思で操作しているため、変幻自在の動きを織り交ぜてきた。
一連の攻撃は既に何度も命中していた。
おかげで全身各所が損傷し、瘴気で補強していなければ四肢が分離しかねない状態である。
生身ならとっくに死んでいるだろう。
(皮肉だな。あの頃とは立場が逆だ)
目の前に立つ魔王は、聖なる力を駆使して追い詰めてくる。
対する私が、邪悪な瘴気で対抗していた。
この状況には、どこか運命じみたものを感じてしまう。
それにしても魔王の戦闘能力は、十年前と比べて格段に向上していた。
聖剣の力や光の鎖を抜きにしても、生前の彼女を明らかに凌駕している。
あの時と同じなら、とっくに私が倒しているはずだ。
(おそらくは蘇りに用いられた術が原因だろう)
私はここまでの戦いからそう判断する。
今の魔王には、バルクによって新たな存在意義が植え込まれていた。
それは"魔王を倒す者"という要素である。
遺灰が内包していたもので、今代勇者や聖女の使命を引き継いだ形に近い。
過去の魔王でありながら、英雄の側面を有している。
結果、彼女の力は私に合わせて大幅に引き上げられていた。
ただの魔王では決して超えられない領域だった。
「どうしたッ? お主の力はこんなものではなかろう!」
魔王は止まることのない連撃を繰り返す。
縦横無尽に振られる槍。
死角から飛んできた光の鎖を、私は魔術で弾いていく。
意識を全方位に向けておかなければ、あっという間に殺されるだろう。
それほどまでに苛烈な攻撃だった。
極限まで集中力を高め、ひたすら形見の剣を動かし続ける。
そうして数百回と打ち合う中、唐突に魔王が嘆息した。
彼女は小声で呟く。
「……今のお主を見たら、勇者はどう思うのじゃろうな」
「――――ッ」
彼女の呟きは、私にとって聞き捨てならない言葉だった。
あまり深く考えないようにしていた部分だ。
すぐに思考から追い出そうとするも、手元がほんの僅かに狂う。
そのような揺らぎを、魔王が見逃すはずがない。
「隙ありじゃ」
右の眼窩を穿つように槍が叩き込まれた。
視界の半分が闇に染まる。
頭の奥を焼く猛烈な痛みが迸った。
殺到する光の鎖が巻き付き、私の四肢を固定する。
触れた箇所から白煙が上がった。
浄化の苦痛が手足を蝕み始めている。
私を捕えた魔王は、槍で肩を叩いてこちらを見た。
彼女は大きなため息を吐く。
「甘いのう。不死者になりながらも、心の弱さは克服できておらんようじゃな」
「…………」
反論できない。
私は己の心の弱さを自覚していた。
迷いはないはずなのに、肝心な時に動きが鈍る。
それがどうしようもなく恨めしい。
「終わりじゃ。魔王の名は吾に返してもらおう」
そう言って魔王が槍を構える。
私の魂を貫こうとしていた。
きっと苦しみもなく、一瞬で滅び去ることになるだろう。
(――だが、それは困る)
私は体内の瘴気を抑制する。
光の鎖による浄化が加速し、拘束箇所が一気に朽ち果てていった。
手足が崩れたことで、私は拘束を脱する。
視界の端を形見の剣が落下する。
私自身も地面に向かって倒れていく。
「な……ッ」
魔王は驚愕するも、攻撃を止めない。
槍は眼前まで迫りつつあった。
私は瘴気を解放すると、失った四肢の断面から黒煙として噴出させた。
それらを疑似的な手足とする。
非常に脆いが、この一瞬だけ持てばいい。
私は片手で剣を掴み取って地面を蹴る。
魔王の刺突に合わせて、上体を捩じって反らした。
聖なる力を宿した穂先が、私の上顎から下顎にかけてを粉砕する。
さらに頸椎、鎖骨を順に削っていった。
肋骨が次々と突き割られて、衝撃で無手の片腕と腰骨が外れて宙を舞う。
しかし、そこまでだった。
寸前の回避により、刺突は私を仕留めきれなかったのだ。
槍の一撃を凌いだ私は、残る力を振り絞って魔王に仕掛ける。
前傾姿勢での踏み込みから、形見の剣を振り上げる。
進む先は魔王の首筋であった。
「こ、の……ッ!?」
魔王は鱗と甲殻の盾で防御する。
そこに食らい付いた刃は、火花を散らして盾の表面を削ぐ。
途中で切っ先が跳ね上がった。
盾に軌道を曲げられたのだ。
形見の剣は大きく逸れ、兜から伸びる角の一本を切断した。
魔王の首には当たらない。
その後は何も斬ることなく振り抜かれた。
限界を迎えた瘴気の手足が消滅し、私は前のめりに倒れる。
切断した角が、音を立てて地面を転がった。
間もなく亀裂に覆われて砕け散る。
それが決死の攻撃の成果だった。
視線を上げると、魔王が槍を掲げていた。
彼女は仁王立ちになって私を見下ろす。
「惜しかったのう。今のは肝を冷やしたぞ。さすがは世界を救った賢者よな」
勝利を確信した魔王は、私に向けて槍を突き落とそうとする。
その直後、彼女は突如として痙攣した。
腕が震えたことで、槍は私のそばの地面に突き立つ。
「ぐ、ゥ……!?」
魔王の纏う鱗と甲殻が、剥がれ落ちて蒸発していく。
苦痛に歪む素顔が露わになった。
槍も同様に崩れて形を失う。
「…………」
私は無詠唱で風魔術を使い、突風で魔王を突き飛ばした。
魔王は受け身も取れずに地面を転がっていく。
起き上がろうとした彼女は、堪らず咳き込んだ。
口から粘質な黒い液体が吐き出される。
魔王が苦悶する一方、私は瘴気の手足を再生成した。
今度はもう少し強靭にしておく。
見かけ上は、骨の部分と大差ない具合になった。
その脚で私は立ち上がる。
少し動くたびに、どこかが破損して折れた。
言うまでもなく満身創痍だ。
この身体は長くは持たないだろう。
私は倒れたままの魔王を見る。
彼女は昏い眼差しを返してきた。
「お主……何を、した……?」
「構造上の弱点を突いただけだ」
私は隠さずに答える。
顎が壊れているが、発声にそこまでの影響はないようだった。
間もなく魔王は、何かに気付いた表情をする。
「ま、さか……っ!」
「私の切断した角は、蘇りの触媒となった部分だ。そこを失ったのだから、必然的に術は破綻する。生前には無かった弱点だな」
渾身の斬撃は、魔王に防御されると確信していた。
それほどの相手だ。
いくら不意を突いても、思うように攻撃は通らない。
だから私は、斬撃がずらされることを見越して仕掛けた。
魔王はその期待を裏切らず、自らの弱点へと刃を誘導したのであった。
(ただ、私の力だけでは為せない離れ業だった)
魔王はあの人の剣術を知っている。
しかし、それはこちらも同じことだ。
私の中には、あの人の戦闘経験が宿っていた。
故に魔王がどのように槍を扱うかも直感的に分かる。
私は形見の剣を拾うと、柄をしっかりと握り込んだ。
まだそれだけの余力は残っている。
死闘を制したのは私だ。
あとは幕引きを済ませるのみである。
形見の剣を手に、私は魔王へと歩み寄っていく。