第11話 賢者は囚人と邂逅する
「英雄に匹敵する囚人、か……」
私はルシアナの言葉を反芻する。
今の時点まで忘れていたが、該当する人物を一人だけ知っていた。
生前の記憶を振り返っていると、ルシアナが私の顔を覗き込む。
「もしかして、誰か心当たりがあるの?」
「十年前だから確証が持てない。とりあえず見に行こう」
「そうね。早く援護に行かないと突破されちゃう」
私とルシアナは飛行して監獄へ向かう。
一直線なので時間はかからない。
そうして移動すること暫し。
私達は首都の端にある監獄に到着した。
黒を貴重とした無骨な建造物で、綻びて機能を失った結界が張られている。
敷地を囲う金網は倒れており、あちこちをアンデッドが彷徨っていた。
「ここか」
「件の囚人を除けば、ほとんど制圧が完了しているわ」
私達は敷地内に降り立ち、破損した入口から監獄内へと入った。
中もアンデッドで溢れかえっており、囚人や看守らしき服装の個体が過半数を占める。
彼らは命令待ちの状態だ。
何をするということもなく、無気力に室内を徘徊している。
私はルシアナの先導で監獄内を移動する。
「この先よ」
ほぼ同時に喧騒が聞こえてくる。
曲がり角を抜けると、そこには仕切りのない広い空間があった。
散乱する食器や料理を見るに、ここはどうやら食堂らしい。
「オラァッ!」
威勢のいい声がした。
一人の男が、長机を振り回してアンデッドを蹴散らしている。
よれた囚人服に麦色の蓬髪。
髭も剃られておらず、人相が分かりにくい。
ただ、獰猛な笑みを浮かべているのは、私の位置からでもはっきりと視認できた。
辺りには損壊して機能不全に陥ったアンデッドが散らばっている。
ざっと数えても百を超えるだろう。
それだけの数を男は打ち倒してきたのだ。
私は少し離れた地点から男を観察する。
「あの男か……」
「さっきより被害が広まっているわね。本当、どうなっているのかしら」
ルシアナは若干呆れている。
この光景を目にすれば、そういった心境になるのも頷ける。
「ところであの囚人は知り合いだったの?」
「知り合いというほどではないがな。まだ監獄に収容されているとは思わなかった」
私の曖昧な答えに、ルシアナはますます難しい顔をした。
彼女は腕組みをして唸る。
「ドワイト君の知り合いで英雄並みの実力者……? そんな人間がいれば、魔王軍でも把握していたと思うのだけれど……」
「知らないのも無理はない。あの男は、魔王軍との戦いが激化する前に投獄された」
「何をやらかしたの?」
「自由奔放すぎる性格が災いして規律を守れず、それどころか平然と罪を犯した。言うなれば荒くれ者に近い」
男と直接の面識はないが、素行の悪さについてはよく聞いていた。
元々は傭兵崩れだった彼を、小国が兵として雇ったのである。
その実力は言うに及ばず、一度は魔王討伐の候補として挙がったほどだ。
直後に男が投獄されていなければ、私達と共に魔王討伐の旅に出ていただろう。
結果的に死者の谷で処刑されたことを考えると、あの時に仲間にならなくて良かったと思う。
そんな男が囚人を務めているのは、彼なりのこだわりによるものと思われる。
彼はたまに妙なところで律儀だったと聞く。
案外、囚人の生活に興味を抱き、実際に気に入ったのかもしれない。
或いは単なる気まぐれか。
私が知り得る中には、男は気分屋という情報もあった。
どちらにしても、彼ほどの男を収容するのは困難だ。
小国も常に肝を冷やしていたのではないだろうか。
気まぐれで脱獄を目論む恐れもある。
「処刑されていないのは、その実力を惜しまれたからだろう。まさか十年後も囚人だとは思ってもみなかったが」
「アナタを死者の谷に突き落とした王国とは大違いね」
「……まったくだ」
そうこうしている間にも、男は膨大な数のアンデッドを破壊していた。
血塗れの長机を駆使し、室内を縦横無尽に動き回る。
アンデッドの残骸は組み替えれば再利用できるので別に構わないが、あまり放置しすぎるのも危険だろう。
そう思って踏み出そうとしたその時、男がこちらを向いた。
「なぁ、そこの黒いスケルトンのあんた! そう、あんただ!」
男はよく通る声を発する。
明らかに私のことを指しているようだ。
私はルシアナと顔を見合わせる。
彼女は肩をすくめて首を振った。
お手上げということらしい。
私は配下のアンデッドを左右に分かれさせて、男への道を作って進む。
男は半壊した長机を下ろすと、気楽な調子で話しかけてきた。
「ここのアンデッドの親玉だろう? 少し話があるんだ」
「何だ」
「雑魚の相手をするのも飽きた。一騎打ちをしようぜ」
男は獣を彷彿とさせる笑みで提案する。
冗談を言っている雰囲気ではない。
どうやら向こうは本気らしい。
私は足を止め、少々の距離を取った状態で返答する。
「一騎打ちだと。私はお前に構っている暇など――」
「ヒャッホウッ」
私の言葉を遮るように、男が動き出した。
床を這うような低さで疾走してくる。
彼は一瞬で私の眼前に到達すると、刈り取るような動きで回し蹴りを放ってきた。
私は咄嗟に上体を逸らす。
「む」
顎下に強烈な衝撃が走り、骨の破片が飛んだ。
蹴りが掠めて砕かれたのだ。
人間の頃なら脳が揺れて動けなくなるだろうが、現在の私は骨だけの不死者である。
この程度は大した損傷ではなかった。
「脆いなオイ! もっと楽しませてくれよッ」
挑発する男は、鋭い軌道で拳を繰り出す。
私は寸前で防御魔術を発動する。
男の拳は防御魔術にめり込んで軋ませ、さらには亀裂を生じさせながら粉砕する。
しかし、僅かながらも攻撃速度が緩まった。
その隙に私は飛び退いて距離を取る。
(……とんでもない破壊力だな)
私は素直に感心する。
男は魔術を使った形跡が無かった。
純粋な格闘攻撃だけで、私の防御を貫通してみせたのだ。
いくら手加減しているとはいえ、そう簡単に壊せるものではないはずなのだが、実際に披露されたのだから否定もできない。
何にしても、接近戦は分が悪い。
私は死者の谷で様々な戦闘技能を習得しており、その中には近接攻撃に秀でたものもあるものの、目の前の男を相手にするには些か力不足であった。
唯一、あの人の剣術なら対抗できるが、わざわざ相手の得意分野で戦う必要もない。
生前の私は賢者だった。
遠距離からの搦め手を得意とする。
不死者としての能力も、魔術師向きのそれであった。
私は周囲のアンデッドを操作し、一斉に男へと跳びかからせた。
先ほどまでの半自動的な攻撃とは異なり、私が明確に命令を出している。
連携の取れた動きは、対処が各段に難しくなっていた。
「おぉっ?」
男は目を丸くして驚く。
彼は素早く長机を掴み上げると、全身を使って振り回した。
轟音と共にアンデッドが四散する。
アンデッド達の攻撃は届かない。
男はたった一撃でやり過ごしてみせた。
(今のやり方でも駄目なのか)
もっとも、戦闘においてはたった一撃に使う時間が致命的だ。
私は両手を揃えて突き出し、そこから特大の火球を放った。
床を焼き焦がす火球は、男を呑み込む軌道で進んでいく。
回避し損ねた男の姿が見えなくなる。
火球はそのまま室内の壁に衝突し、大爆発を起こした。
壁や床が大きく抉れ、濛々と白煙が舞い上がる。
「…………」
私は油断せずに爆発地点を凝視する。
しばらくすると、白煙の中から人影が現れた。
「痛ぇな。もう少しで焼肉になるところだったぜ」
男は破れた囚人服の汚れを払い落としながらぼやく。
出血は僅かで、よく見ると手のひらを火傷していた。
信じられないが、あの火球を素手で押し止めたのだろう。
防御魔術を施した城壁でも、容易く粉砕できる威力だというのによくやるものである。
男の様子を観察しているとルシアナが駆け付けてきた。
「魔王サマっ、大丈夫?」
「ああ、問題ない」
欠けた顎骨を触ろうとするルシアナを留める。
損傷は肉体を切り替えれば解決する。
たとえ木端微塵にされても平気だった。
一方でルシアナは、気味が悪そうに男を一瞥する。
「彼、本当に何者? 英雄に匹敵どころじゃない。並の英雄を凌駕しているわ。信じられない……」
気になるのも無理はない。
私は次の魔術を用意しつつ、彼女の疑問に答える。
「ヘンリー・ブラーキン。常勝無敗の戦士であり、"魔王殺し"に最も近いと言われた男だ」