第106話 賢者は王都を防衛する
大量の隕石が豪雨のような密度で落下してくる。
一つひとつに魔術的な保護がかけられており、容易に破壊できないようにされていた。
まず間違いなくバルクの仕業だろうが、彼の行使した術ではない。
呪術が専門であるバルクは、攻撃魔術の全般を不得手としていた。
隕石群を炸裂させるような大魔術は、まず使えないはずだ。
(……これは禁呪の領域に達しているな)
誰が魔術を使ったかは既に把握していた。
首都にいた際、私が感知した魔力反応が術者だろう。
本当はそちらの対処に向かいたいが、まずは隕石群をどうにかしなければならない。
このままだと王都は一瞬で崩壊する。
さすがにそれは避けるべき事態であった。
私は隕石群を凝視し、刹那の間に解析を完了させる。
魔力の流れや系統を確認した。
これで少しは術も効きやすくなる。
私は上方向への重力波を放ち、隕石群の勢いを弱めた。
落下速度が心なしか低下する。
しかし、それも僅かな差に過ぎない。
隕石に施された魔術耐性のせいで、重力の影響を与えにくくなっていた。
(本気で王都を潰そうとしているようだ)
重力波を維持しながら、私は次の魔術を行使する。
片手を振るのに合わせて、前方に瘴気の槍を展開させた。
その数は三万本。
すべてが下手な城砦を消し飛ばすだけの威力を秘めている。
対人ではなく、対軍用の術であった。
一面に並べた瘴気の槍を撃ち出す。
槍は重力波の加速を受けながら隕石群に迫り、轟音を立てて命中していった。
突き立った穂先が隕石の表面に亀裂を走らせて、後続の槍が割り込むように炸裂する。
そうして隕石を穿ち、次々と砕いていった。
いくら耐性があるとはいえ、これだけの破壊力は想定していなかったのだろう。
間もなく隕石のほとんどが粉砕されて、細かな岩石の雨と化した。
(これで被害は軽減されたが、まだ不十分だ)
私は畳みかけるように術を追加する。
宙を舞う瘴気の槍が形を失って拡散し、不定形の蔦となった。
それらが砕けた隕石を絡め取ってまとめていく。
蔦に触れた箇所から、隕石の破片が融解するのが見えた。
仕上げに炎の禁呪を十連発で行使する。
荒れ狂う漆黒の業火が空を覆い尽くし、蔦に絡まった隕石を焼却していった。
灼熱と瘴気の相乗効果により、一切合切を消滅させていく。
そうして炎が消えた時、頭上には雲一つない青空が広がっていた。
隕石群は影も形も残っていない。
ひとまず窮地は脱せたようだ。
その時、遥か遠方から殺気を感じた。
私は振り向きざまに剣を一閃する。
(これは……)
斬撃が迫る小さな物体を真っ二つに切断した。
私は落下するそれらを視認する。
死角から飛んできたのは、豆粒のような大きさの氷だった。
そこには夥しい量の呪術が込められている。
遠方から高速で放たれたらしい。
攻撃方法としては、鉄砲や弓による狙撃に近いだろう。
それを魔術で再現したのである。
(隕石群は陽動で、本命は今の狙撃だったか……)
抜け目のないやり方に半ば感心しつつ、私は狙撃地点まで転移する。
そこは王都からそれなりに離れた場所だった。
澄み渡った草原の只中である。
前方には、見覚えのない風体の男が立っていた。
整えられた金髪に緑色の双眸を持ち、洒落た貴族服を着た人間である。
端正な容姿とは裏腹に、邪悪な笑みを浮かべていた。
全身に帯びた悪意は、もはや人間のそれではない。
(――中身が違う)
魂と肉体に齟齬が感じられる。
操られているのではない。
身体が乗っ取られているようだった。
男の発する得体の知れない雰囲気には心当たりがあった。
先ほどまで話していたので、余計に確信を得ている。
「バルクだな?」
私が尋ねると、男は大喜びした。
待っていたと言わんばかりに笑みを湛えてみせる。
「その通り。誰かさんに肉体を壊されたものだから、こうして借りるしかないんだ。まったく、色々と不便だよ」
バルクはわざとらしく嘆いた。
私を批難する言葉を吐く一方、口元は嫌な笑みを張り付けていた。
元よりバルクは、肉体に頓着するような男ではない。
不便という話もどこまで本音か分かったものではなかった。
彼が内包する魔力量を見るに、十年前と同程度である。
実際はそこまで気にしていないのだろう。
バルクが視線を王都に向けた。
何事もない姿を目にして、彼は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「まさかあの規模の禁呪を完全に防がれるとは思わなかった。あまり認めたくないが、魔王の名を冠するだけの力は持っているらしい」
バルクは顔に手を当てると、よろめきながら大笑いし始める。
人形のように壊れた笑いだった。
彼は早口で喋り出す。
「……ははっ、昔から貴様はそうだった。せっかく張り巡らせた策を、肝心のところで破綻させてきた。いつもいつも邪魔なんだ。今でも殺したくて、殺したくて、殺したくて、堪らないものだなァッ!」
指の隙間からバルクの目が覗いた。
瞬き一つしない眼差しは、激しい憎悪に燃えていた。
おまけに血の涙を流している。
決して演技ではない。
正真正銘、バルクの本気の感情だった。
「どうして計画を台無しにする……? あと少しなのだ。無粋な真似はやめたまえ……」
「お前の事情は知らない。私は私の目的をこなすまでだ」
私は淡々と返した。
その中でバルクの挙動を観察する。
これだけ感情を爆発させながらも、彼には不意を突くだけの隙がなかった。
強引に攻撃を仕掛けた場合、呪術による手痛い反撃があるだろう。
呪術には取り返しが付かない類も存在する。
魔王になった今なら難なく弾ける可能性もあるが、万が一ということもある。
バルクを見くびってはいけない。
やはり慎重にならざるを得なかった。
「嗚呼、貴様は十年前もそうだったなァ……生涯において一番の天敵だ。勇者よりもよほど厄介極まりない。魔王になったことで悪に徹する非情さも知った。嫌いだ……嫌いだ嫌いだ嫌いだッ!」
バルクは頭を掻き毟りながら絶叫する。
繰り返される荒い呼吸。
爪の剥がれた指からは、血が流れ出していた。
ひとしきり癇癪を起こした末、バルクが我に返る。
彼は髪を撫で付けると、服の袖で血の涙を拭い取った。
いつの間にか爪は再生している。
息を吐いたバルクは、落ち着いた様子で苦笑した。
「――すまないね。取り乱してしまった。因縁の相手と対峙したことで、気分が昂ってしまったようだ」
そう言ってバルクは懐を漁る。
彼が取り出したのは、亜人の腕だった。
灰色の肌で、端々に藍色の鱗が付いている。
日光を受けて鮮やかな輝きを放っていた。
「さて、ドワイト。これが何か分かるかね」
「…………」
問いかけに私は沈黙する。
正体については、ほぼ確信していた。
腕からは、尋常でない魔力反応を感じる。
共和国の首都で私が感知したものだ。
先ほどの隕石群を落としてきたのも、あの腕の仕業だろう。
沈黙を経て、バルクは芝居がかった動きで肩をすくめる。
彼は愛しそうに腕を撫でた。
そして、予想していた通りの言葉を述べる。
「答えたくないか。それなら言ってしまおう。これは偉大なるあの御方――魔王様の右腕だ」