第105話 賢者は首謀者と言葉を交わす
「……バルク・ウェン・ダニアン」
私は相手の名を呼ぶ。
目の前の魔族に覚えはない。
ただ操られているだけだ。
あの男――バルクが肉体を介して話しかけている。
彼の常套手段であった。
バルクは肩をすくめて笑う。
首が異音を鳴らし、不自然な角度に傾いた。
「どうした。死人でも見たような反応じゃないか。もっと再会を喜んでくれると思ったのだが」
バルクは嬉しそうに言う。
親しげな口調は、表面上だけのものに過ぎない。
その裏には、陰湿な憎悪が秘められていた。
私が彼を殺したのだから当然だろう。
恨みはまだ晴れていないらしい。
他人越しの会話だというのに、それがありありと伝わってきた。
「お前は私が殺したはずだ。なぜ生きている」
「貴様も術者の端くれなら分かっているだろう。何事にも例外はつきものだ。貴様の姿だって、例外そのものではないか」
「…………」
バルクの指摘に黙り込む。
それとなくはぐらかされた。
この場で真実を語るつもりはないらしい。
彼のことだから、あえて勿体ぶっているに違いない。
深い意味や意図などはない。
そうして私の悩む姿を楽しみたいのだろう。
バルクの性格はよく知っている。
「ところで噂は聞いているぞ。魔王を名乗っているそうではないか。いやはや、これほど皮肉な話もそうあるまい」
バルクは手を打って喉を鳴らす。
表情は笑みを作っているが、心底では怒り狂っているのだろう。
バルクとはそういう男だ。
本心を言葉に見せない。
道化のように振る舞うのが常であった。
隙だらけのように見える姿も、実際はこちらを誘い飲むための罠だ。
不用意に近付いてこないのがいい証拠だった。
私を激しく警戒しており、一定以上は間合いを詰めてこない。
バルクはいつでも狡猾なのだ。
掴みどころがないように思わせて、目的意識は徹底されている。
だから此度のような騒動を実行できた。
十年前、人々を混乱の渦に叩き落とした手腕は伊達ではない。
陰謀の一点において、彼に敵う者など皆無だろう。
「ふうむ」
バルクは顎を撫でつつ私を凝視する。
白目がさらに裏返り、濁った瞳がこちらを捉えた。
彼は大袈裟に唸る。
「人間に対する憎しみで心が闇に堕ちたか……いや、違うな。別の思惑があるようだ。何が目的かね?」
「お前には関係ない」
バルクの問いを一蹴し、私は剣の切っ先を彼に向けた。
この距離ならば、攻撃される前に首を刎ねられる。
瞬きする暇も与えない。
私はバルクに宣告した。
「お前の野望は阻止させてもらう」
「ほほう、言ってくれるじゃないか。しかもその剣! よほど未練があると見たぞぉ……?」
「…………」
バルクの煽るような声を無視する。
昂る殺意を理性で抑え、切っ先を彼に向けたまま固定した。
私を動揺させることがバルクの狙いなのだ。
誘いに乗ってはいけない。
同じ手で痛い目を見た過去もある。
「…………」
「…………」
互いに沈黙すること暫し。
意地の悪い笑みを湛えていたバルクだが、唐突にそれを消した。
彼はため息を吐いて首を振る。
「やれやれ、この程度の挑発では隙も見せないか。十年で精神的に成長したようだ。それとも不死者になった影響かな?」
「どうだろうな」
私はバルクの言葉に応じず、彼の挙動を注視し続ける。
律儀に構ったところで、煙に巻かれるだけだ。
真面目に会話する価値がない。
こちらの心情を察したのか、バルクは肩をすくめた。
そして、不敵な表情になる。
「まあ、いい。雑談はここまでにしよう。ドワイト、貴様は目障りだ。ここで消えてもらう」
「同じ言葉を返そう。私にとってもお前は邪魔な存在だ」
「ははは、奇遇だな。互いの意見は一致しているらしい……しかし、こんなところで雑談に興じているが大丈夫かね」
バルクが意味深に笑みを深める。
そこには確かな悪意が覗いていた。
虚勢や挑発などではなく、明らかに何らかの根拠があった。
「何がだ」
「おや、気付いていないのか。もう少し視野を広げてみるといい。愉快な状況が分かるはずだ」
バルクは両手を広げると、その場で回転し始めた。
床を踏み鳴らしながら、軽やかに踊っている。
そこに甲高い笑い声が混ざって、私の神経を逆撫でしてきた。
私はバルクの奇行に構わず感知魔術を行使する。
範囲を拡大すると、すぐに異変を察知できた。
「……っ」
遠方に強大な魔力反応がある。
そこに前触れもなく出現したのだ。
ただ侵入されただけなら、もっと早い段階で気付いている。
まるでそこに誕生したかのようであった。
(この魔力の質量……グロムを凌駕している)
配下の中に該当する者はいない。
しかし、反応自体は魔王領の方角にあった。
この距離でも、はっきりと感じられる。
しかし、問題はそれだけではない。
この魔力反応を私は知っている。
(――まさか)
私は少なからず動揺を覚える。
ありえないことだ。
否定したくなるも、思い違いでないのは確かだった。
「貴様がこの都市で足止めを食っている間に、やるべきことをやらせてもらったよ。いやはや、見事に引っかかってくれてありがとう」
嬉しそうなバルクが優雅に一礼する。
勝ち誇ったような表情だった。
彼は私の行動を先読みしていた。
首都にやってくることを見越して魔獣を配置したのだろう。
ここまでの会話も含めて時間稼ぎだったのだ。
私は、まんまと策に陥っていたのである。
「…………」
私は無言で短距離転移し、バルクの目の前に移動した。
そこから剣の刺突で心臓を貫く。
バルクは目を見開いて笑う。
「おっ――」
彼の反応を気にせず、剣伝いに魔力を流し込む。
この魔族は操り人形で、バルク本人ではない。
しかし、魔術的な繋がりは形成されていた。
それを辿ることでバルクの居場所を突き止めたり、彼に攻撃することが可能だった。
(もう一度、魂を破壊してやる――)
そうして干渉する間際、魔族の頭部が破裂した。
勢いよく飛び散る鮮血と脳漿。
首を失った魔族は、ぐたりと地面に倒れる。
もはやバルクの気配が感じられない。
寸前のところで逃げられてしまったらしい。
(……仕方ないか)
私は剣を下ろして血を振り払う。
悔いている場合ではない。
今はバルクの行方よりも優先すべきことがあった。
これも彼の誘導なのだろうが、無視するわけにもいかない事態だ。
意識を向けている間にも、件の魔力反応が術を発動した。
魔力の流れからその内容を特定する。
(――不味いな)
本格的に見逃せない状況になりつつあった。
様々な疑問が浮かんでくるも、それらを解消する時間すら惜しい。
原因の究明はすべて後回しだ。
今は対処に全力を尽くすべきだろう。
私は大急ぎで魔王領の王都へと転移する。
宙を駆け上がり、城の上空に陣取った。
剣を鞘に収めて視線をずらしていく。
「やってくれたな」
その光景を目の当たりにして、私は思わずぼやく。
天空を切り裂いて迫るのは、降り注ぐ無数の隕石群だった。