第103話 賢者は共和国との戦争を始める
「まったく、あいつが生きてるなんて驚きよね。ちゃんと殺さなかったの?」
「禁呪で魂まで破壊した。生存できるはずがない」
ルシアナの訝しげな視線に、私は即座に断言する。
バルクは他でもないこの手で殺した。
あの男の特性を知っているからこそ、念入りに命を奪った。
肉体も木端微塵に四散させた上で焼却したので、再生能力も間に合わなかったはずだ。
なぜ死んでいないのか不思議である。
今でも疑いたいほどだ。
もっとも、他人がバルクの名を騙ることは不可能だった。
強烈な呪いを受けて死ぬからだ。
誰であろうと問答無用で、たとえ後継者だろうと関係ない。
名そのものに力が込められている。
バルクは非常に強い誇りを抱いていた。
彼は自身の名を他者が使うことを許さなかったのだ。
つまり、今回バルクを名乗る者は本物である。
正真正銘、先代魔王軍の四天王だった。
ルシアナは天井を眺めながら思案する。
彼女の眉間には、深い皺が寄っていた。
「バルクのことだから、妙な術で蘇ったのかしら」
「その可能性は高い。かなり用心深い男だ」
当時の状況から考えるに、とても蘇生できたとは思えないが、認めなくてはならない。
バルクは間違いなく生きている。
彼は極めて優秀な呪術師だ。
万が一の時に備えて、奥の手を隠していたのかもしれない。
私自身、処刑された後も不死者として存在している。
似たようなことが起きても、おかしくはなかった。
「まあとにかく、バルクが首謀者なのは確定ね。道理で見つからないわけよ」
ルシアナは両手を広げて苦笑する。
どこか皮肉を込めた表情だ。
彼女はよほどバルクを嫌っているらしい。
「それでどうするの? 彼の居場所を特定するのは難しいと思うけど」
「なるべく努力はするが、見つけるのはほぼ不可能だ。向こうからの接触を待つしかない」
私は正直に答えた。
バルクは常軌を逸した隠密能力を保有する。
そのまま暗殺者に転向できるほどだ。
彼の行方を知るのは困難であり、捜索に躍起になれば、たちまち隙を突かれる羽目になる。
一方でバルクにはこだわりがあった。
それは、自らの手で敵に止めを刺したいというものだ。
今回のような魔王領と共和国の戦いでは、私の殺害が該当すると思われる。
勝利を確信した時点で、バルクは私を殺すために姿を現すはずだ。
そこを反撃で仕留めるのが最も効率的だろう。
ルシアナがため息を洩らした。
彼女は大袈裟に肩をすくめると、机に散らばった報告書を手に取る。
「こんなことをして、一体何が目的なのかしら」
「大方、私への復讐だろう」
「それはありえるわね。あいつってば、根に持つ性格だから」
最近、明らかに魔王領を狙った攻撃を繰り返されていた。
よほどこちらが目障りのようだ。
私に対する報復が望みだと伝わってくる。
ただし、復讐だけが目的ならこのような迂遠な方法にはならない。
バルクほどの呪術師なら、もっと確実な手段で私を暗殺しようとする。
わざわざ共和国を乗っ取ったということは、もっと大きなことが目的なのだろう。
共和国が旧魔族領とやり取りを始めたのが数年前。
私が魔王として活動していない時期だ。
当初は私への復讐が目的ではなかったのは間違いない。
現状、バルクは魔族と魔獣の跋扈する国を手に入れた。
そこに属するすべての民が、並の魔物より強力だった。
紛うことなく絶大な戦力と言えよう。
大陸を見渡しても、これだけの戦力は滅多に見つからない。
魔王軍ですら、個人単位の戦闘能力では比較にならなかった。
そのような戦力を、わざわざバルクは用意した。
(……もしや、魔王になるつもりなのか?)
熟考する私は、一つの可能性を閃く。
そういえばバルクは、先代魔王に心酔していた。
忠誠心という点で言うと、グロム以上だろう。
狂信者と評しても差し支えないほどだ。
彼が亡き先代魔王の跡を継ごうと考えても不思議ではない。
さらにバルクは、今代魔王である私の正体にも気付いているはずだ。
暗黒の時代を終わらせた賢者ドワイト・ハーヴェルトが魔王など、彼にとっては我慢ならないことに違いない。
崇拝する先代魔王を殺害した一人で、自らを滅ぼした者でもある。
彼から恨まれるだけの要素は見事に揃っていた。
バルクは現在の魔王軍を打倒し、共和国の魔族と魔獣で新たな魔王軍を設立しようとしている。
そのために魔獣薬を開発したのだろう。
自在に魔族を生み出せるようになれば、戦力増強には困らなくなる。
魔族になった者は、人間の国では暮らせない。
差別或いは討伐の対象となるからだ。
運が良くて実験体として保護される未来しかなかった。
そうなれば必然的にバルクの傘下に入る選択肢しか残されていない。
私を殺した後、バルクは他国への侵略を始めるはずだ。
そうして十年前の暗黒期が再開される。
人類と魔族による争いが勃発することになる。
世界の平和はさらに遠のいていく。
断片的な情報を組み合わせることで、だんだんと全体像が見えてきた。
元四天王バルクは、人間を魔族及び魔獣に変異させることで自軍の戦力に取り込んだ。
彼は共和国を乗っ取って次代の魔王となり、障害となる現在の魔王軍の排除を望んでいる。
最終的には先代魔王の遺志を継いで、人類侵略を為すつもりに違いない。
まとめればこのような流れだろうか。
推測で補完している部分が多く、端々に違いはあれど、大筋は間違っていないはずだ。
(厄介な事態だが、これにも世界の意思が関係しているか……?)
私はふと疑問に思う。
あれは私を滅ぼそうとする概念だ。
今までは突発的な英雄覚醒や、兵器開発の不自然な成功という形で発現する。
大精霊は運命そのものだと称していた。
此度のバルクによる暗躍も、世界の意思が作用した結果なのだろうか。
よく分からない。
どこまでが世界の意思なのか、判別が付けられなかった。
何にしても、バルクの暴走を食い止めなければいけないのは確かであった。
その時、謁見の間の扉が勢いよく開いた。
室内に飛び込んできたのはグロムだ。
随分と慌てた様子である。
私は先んじて話を切り出した。
「共和国が何かしたか」
「は、はい! 共和国が魔王領に攻め込んできたようです! 魔獣と魔族の混合軍で、複数の都市に同時侵略を始めました!」
詳細を聞いたところ、魔王領内の各都市で新たに魔獣が発生したらしい。
その混乱に乗じて共和国の軍隊が突入を始めたそうだ。
計画していたにしても、あまりにも手際が良すぎる。
何らかの術で軍の動きを隠蔽し、密偵の目をやり過ごしたのだろう。
「魔王様、如何されますか……?」
「迎撃するぞ。力で捻じ伏せる」
私はグロムに言葉に迷いなく答えた。
やることは一つだ。
魔王軍は迫る敵を攻め潰すのみである。
遠慮はいらない。
ただ持てる力を尽くして滅ぼせばいい。
私は台座から形見の剣を手に取った。
此度の相手は、私達がもたらした負の遺産である。
この剣を使うに値するだろう。
倒し損ねていたというのなら、今度こそ確実に葬り去ってみせる。
――こうして魔王領と共和国との戦争が始まった。