第102話 賢者は懐かしき名を聞く
強硬手段で旧魔族領を滅ぼした私は、以降も破壊行為を繰り返した。
密偵からの情報を頼りに、共和国内の各地を巡り、そこに保管された魔獣薬を次々と奪取していく。
さらに製造施設を空間転移で丸ごと盗み、施設に勤める人間や責任者も拉致した。
やりすぎな処置にも見えるが、陽動の意味もある。
私が派手に暴れることで、首謀者側も注目せざるを得なくなる。
相対的に密偵が活動しやすくなるという寸法だ。
拉致した人間からは、ルシアナの魅了によって情報取得を試みた。
ただし、肝心な首謀者の情報が手に入らない。
ルシアナによると、一部の者に記憶改竄の痕跡があるらしい。
魔術による不可逆の処置である。
私達の求める部分だけが記憶から消され、誤情報に上書きされているという。
記憶改竄は相当に高度な術だ。
しかも対象を廃人にせず、一見すると正常なままに保つとなると、並の魔術師には絶対に不可能であった。
大陸全土を見渡しても、まず見つからないはずだ。
私でも同じ精度で他人の記憶は変えられないだろう。
そこまでの領域にもなれば、適性の問題が立ちはだかってくる。
高度な記憶改竄は、ほとんど固有能力に近い。
まともに体系化されておらず、使い手もごく僅かだ。
術式や詠唱を知っていたとしても、手軽に使える類ではなかった。
生涯、記憶を弄る術者に出会ったことなど数えるほどしかない。
それも対象を廃人にしてしまったり、一時的に記憶を消す程度のものばかりである。
これだけ完璧な術は類を見ない。
魔獣との戦闘にしろ、最近は例外的な出来事が本当に多かった。
それにしても、首謀者は狡猾である。
強大な力も有していた。
魔獣薬の製造を成功させた時点から相手の力量の高さは知っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。
(やはりあの男の後継者なのか……?)
私は再び疑問を抱く。
本音を言うなら、ほとんど確信していた。
疑うだけの余地がない。
記憶改竄はあの男の得意技だった。
そこに巧みな話術や裏工作を併せることで一級の扇動者となるのだ。
あの男の後継者なら、同等の真似ができても違和感はない。
むしろここまで情報が揃ってくると、無関係な人間の仕業とは考えにくかった。
問題なのは、未だに首謀者の居場所が不明な点だろう。
魔獣薬の保管場所は次々と発覚している。
ところが、居場所の手がかりだけは一向に見つかっていなかった。
私も感知魔術で広域を捜索しているも、それらしき反応はいない。
共和国以外の他国に意識を巡らせても同様だった。
ただの一つの情報もないにも関わらず、暗躍は着々と進められている。
おそらくは、独自の隠蔽術で行方を眩ませているものと思われる。
明らかに私に捕捉されることを警戒していた。
初期段階から足取りを掴まれないように幾重もの工夫を凝らしている。
向こうからすると、私との直接対決は避けたいようだ。
やはり戦闘面で敵わないことをよく理解している。
確実に仕留められると確信するまで、向こうからは決して出てこないだろう。
だからこそ、不意を突いて見つけ出したいと考えている。
幸いなのは、こちらも対応に慣れてきたことだろう。
魔王領の各都市で魔獣が発生しても、今のところは迅速に排除できていた。
被害を最小限に抑えられている。
一方、他国で魔獣が発生したという話は聞かない。
魔王領ばかりで被害が増えている。
以前、奴隷自治区で発生したのが最初で最後となっていた。
首謀者は魔王領を狙い撃ちしているようだ。
明確な敵意を感じる。
恨みでも買っているのかと思うほどだ。
今はまだ辺境の都市ばかりが狙われているが、放っておくといずれ王都にも魔獣が発生するかもしれない。
そのような事情もあって、他国は楽観的に構えていた。
誰かが魔王を倒してくれるのではと期待しているのである。
呑気だと思うが、彼らの心境も理解はできる。
自国が血を流さずに脅威が取り除かれるのなら、それを歓迎してしまうだろう。
とりあえず、私はこのまま魔獣薬の保管場所の特定と破壊を続ける。
並行して首謀者の行方も掴んでいきたい。
この状況を維持するのも億劫だ。
早く解決に導かなくてはならない。
そんなある日、謁見の間にルシアナが訪れた。
彼女は顰め面をしている。
今まで見たこともないほどに不機嫌な表情だった。
彼女はどっかりと椅子に座ると、盛大にため息を吐く。
「魔王サマ、嬉しくないお知らせよ」
「だろうな。どうした」
「共和国が崩壊したわ。国民が魔獣と魔族になっちゃったみたい」
報告を聞いた私は一瞬だけ固まる。
内容を嚥下するのに時間がかかった。
頭痛のようなものを感じつつ、私はルシアナを見やる。
「……詳しく話せ」
「ええ、順を追って説明するわ」
ルシアナは淡々と事実だけを述べ始める。
今朝、首都を始めとする各都市にて人々が魔獣や魔族に変貌したらしい。
残る都市でも、次々と同じ事態が起きているそうだ。
異変や前触れは無く、本当に突発的な現象だったという。
これだけ大規模な騒動は初めてだった。
人数的に薬品をいちいち投与したとは考えられない。
各都市の飲食物に混入させていたのだろう。
魔獣薬の濃度を上手く調整すれば、気付かれずに摂取させるのも可能に違いない。
しかし、一つだけ気になる点があった。
私はそこをルシアナに質問する。
「魔獣薬の摂取で魔族が生まれたのか」
「数は少ないのだけれど、確かに変貌したそうよ。体質的に適合したのかしら」
魔獣薬は各地で微妙に配合が異なっていた。
それが要因かもしれない。
元より人間の種族を変貌させる効能の薬品だ。
魔族になれると知ったところで驚きは少なかった。
(……もしかすると、魔獣は失敗作だったのか?)
魔族になれることを加味すると、魔族を生み出すのが本命だったのかもしれない。
別に不思議なことではない。
魔族は強大な力を持ち、魔獣と違って理性も備えている。
個体によって様々な魔術適性を獲得しており、総じて他の種族に比べて優秀だった。
薬品一つで変貌できるのなら、これほど便利なことはない。
とにかく、共和国が魔族の手に落ちたのは確かだった。
最近は魔王への服従を訴える声も民から出ていたが、それらが強引に封殺された形である。
魔王領への攻撃に執心かと思いきや、まさか自国民を魔獣や魔族に変えてしまうとは予想外だ。
もはや狂気の沙汰である。
「しかも共和国から魔王領への宣戦布告があったそうよ。その代表の名前なんだけど……」
そこでルシアナが言い淀む。
彼女が顰め面になっている理由は、どうやらこの先にあるらしい。
何度かの躊躇の末、ルシアナは苦々しく告白する。
「バルク・ウェン・ダニアン。間違いなくあの男よ」
「――なるほどな」
私は深々と納得する。
まさかとは思っていたが、最も嫌な予感が的中してしまった。
バルク・ウェン・ダニアン。
ルシアナの口にしたその名は、かつて先代魔王軍の四天王に属していた男のものである。
彼は世界最高峰の力を秘める呪術師だった。