第101話 賢者は旧魔族領を破壊する
翌日、研究所から連絡があった。
魔獣の体内に含まれた薬物の正体が判明したという。
結論から述べると、薬物は旧魔族領から採取できる素材で作られたもので、生物を強制的に変異させる効能らしい。
概ね予想していた通りの結果であった。
共和国の人間が旧魔族領に赴いていたのは、薬物の原材料を入手するためだろう。
高濃度の瘴気の中にあった水や植物が目当てだったのだ。
年単位で研究をすれば、此度のような薬物を製造できたとしてもおかしくはない。
無論、倫理面から考えれば大問題である。
違法ポーションは数あれど、今回のような効能は前代未聞だった。
一連の魔獣騒動は、薬物を投与された人間が国外の街にいたことで発生した。
効能の発現は時間差があるようで、発現するまでは異常を検知できない。
その辺りの感知対策は徹底されていた。
薬物の製造者は、魔術の心得があるのだろう。
(誰にも気付かれることなく、各地に魔獣を発生させられるとはな……)
生者をアンデッドに変えて支配する私が言える立場ではないものの、非人道的には違いない。
それが簡単に実行できる世の中であってはならなかった。
私が早期に食い止めてみせる。
研究所は件の薬物を魔獣薬と呼称し、今後さらなる解析を重ねていくそうだ。
現在は治療薬の製造を試みている。
成功するかは怪しいが、挑戦するべき案件だろう。
あまり起きないであろう展開だが、配下に薬物が投与される恐れもある。
そう言った時に諦めるしかないのでは困るのだ。
原因が分かったのだから、今のうちに対策法を確立させておきたい。
(治療薬も大事だが、根本的な解決を進めねばならないな)
このまま後手に回って対応し続けると、被害が増え続けるのみだ。
一刻も早く首謀者を捕えたいものの、肝心の居場所の特定は未だできていない。
それでも私に取れる行動は存在していた。
最も簡単なのは、魔獣薬の原材料が採れる旧魔族領を破壊することだ。
原材料はそう簡単に培養できない。
あれは旧魔族領の魔力と瘴気があるからこそ生まれるのだ。
別の場所でその環境を再現するのは至難の業で、あまり現実的ではない。
だから共和国の人間は、魔獣薬の製造を行う際に旧魔族領へ通うことになる。
彼らはそこで原材料を採取するのだ。
もし旧魔族領から原材料が入手できなくなった場合、手持ちの分だけで魔獣薬を製造する必要が出てくる。
製造速度は著しく低下し、彼らの計画に少なくない怠りが生じるだろう。
その間に首謀者を見つけ出すつもりだった。
誰が裏で糸を引いているかさえ判明すれば、本人だけを排除できる。
純粋な戦闘能力において、私が劣ることは滅多にない。
それこそ大精霊のような規格外の存在でなければ、苦戦することはないだろう。
相手を見つけさえすれば、速やかな解決が望める。
あとは保管された魔獣薬を回収し、投与された者達を捕獲すれば、此度の騒動を終結させられる。
その時、謁見の間の扉が開いた。
姿を現したのはグロムだ。
彼は特に慌てた様子もなく、かと言って何らかの報告に来た雰囲気でもなかった。
私はグロムに問いかける。
「どうした」
「いえ、我にも何か手伝えないかと思いまして、魔王様をお訪ねした次第でございます」
グロムはこちらを窺うように言う。
現状、魔王軍は動かせないが、彼なりに貢献したいのだろう。
居ても立ってもいられない心境となってしまい、私のもとへ直接指示を受けに来たのだと思う。
「そうか。気遣い感謝する」
私は素直に礼を述べた。
グロムは相変わらずの忠臣ぶりである。
ここで彼の積極性を蔑ろにはしたくなかった。
今から旧魔族領へ赴くつもりだったが、せっかくなのでグロムと協力して作業にあたってもいい。
そう考えて彼に提案する。
「仕事というほどではないが、少し手伝ってほしいことがある。頼めるか」
「もちろんですとも。このグロム、魔王様のためとあれば、業火にも飛び込んでみせましょうぞっ!」
グロムは意気揚々と答えてみせる。
彼が業火に飛び込んだとしても、身体面に何ら支障はない。
炎の中を闊歩してみせるだろう。
しかし、今のは彼の忠誠の言葉である。
いちいち指摘するのは野暮だろう。
◆
私とグロムは、王城から転移で移動した。
その先は暗い荒野の旧魔族領だ。
グロムは辺りを見回す。
「ここは……」
「旧魔族領だ。手始めにここをどうにかしなければいけない」
「具体的には何をされるのですか?」
グロムの質問を受けて、私は予め用意していた答えを返す。
「大気を洗浄して、領内を徹底的に破壊する。二度と原材料を産出できないようにするつもりだ」
城でも考えていたが、魔獣薬の対策をする上で優先して実施すべきことだろう。
ここを草木も生えない枯れた場所にすれば、新たな魔獣薬の製造は困難になる。
少なくとも直近での量産は不可能だった。
グロムは顎を撫でつつ感心するような声を発する。
「ほほう……それはまた大胆ですな。さすが魔王様です」
私を称賛するグロムだったが、端々の動きが不自然だった。
何かを探るような挙動を見せている。
おそらくは旧魔族領の空気に馴染もうとしているのだ。
この地はかなり特殊だ。
人間では身体に害を負うほどである。
最上位の不死者であるグロムにとっては適した環境だが、それでもある程度の慣れが必要だった。
グロムが落ち着いたところで、私は彼に指示をする。
「試しにここ一帯の瘴気を吸収してみろ」
「はい、分かりました!」
頷いたグロムは八本の腕を伸ばす。
彼は仁王立ちになって静止すると、意識の集中を始めた。
空気に含まれた魔力と瘴気が、彼の体内へと取り込まれていく。
間もなくグロムは、片膝をついて苦しげに呻いた。
「ぐっ……これ、は……なかなか厳しい、です、な……」
自らのものでない瘴気は、一種の拒絶反応を示す。
異物感は大きな苦痛を伴う。
まるで身を引き裂くような感覚だろう。
ともすれば魂まで侵蝕を受けてしまう。
私もかつて死者の谷で同じことをした。
だからグロムの苦悶はよく分かる。
「慣れれば負担も軽くなる。なんとか耐えてくれ」
「ま、魔王様……! ぐおおおおおおおぉっ! 何のこれしきいいいいいいぃぃッ!」
グロムは叫びながら立ち上がる。
途端に吸収が安定してきた。
周囲の瘴気が薄まってゆき、やがて完全に消失する。
この付近の瘴気だけが、ぽっかりと無くなっていた。
グロムが残らず吸い取ったのである。
「ふむ、成功したようだな」
「ハァ、ハァ、ハァ……」
グロムは激しく息切れしていた。
相当に消耗している。
そもそも骨の身体では呼吸できないはずだが、彼はやはり息切れしていた。
なぜかは不明である。
「大丈夫か」
「も、もちろんです……わ、我は、まだまだいけます、ぞ……」
「少し休んでからでいい。別の場所の瘴気も吸収しておいてほしい。私も各地を巡って洗浄していく」
「承知、しました……」
グロムは座り込む。
復活するまで休息が必要そうだった。
私は彼を置いて転移する。
その後、旧魔族領内の瘴気と魔力をすべて奪い尽くしていった。
僅かに残っていた魔族も殺戮し、さらに領内を禁呪の連打で破壊する。
途中からグロムも加わり、破壊速度は格段に増した。
こうして私達は、旧魔族領を真の荒野に変えたのであった。