第100話 賢者は共和国を牽制する
私は奴隷自治区の住民を結界から解放した。
彼らには通常の生活に戻ってもらう。
しばらくは混乱したままだろうが、それをわざわざ癒す必要もない。
奴隷自治区の人間は元より心身が逞しい。
放っておけば、また以前までの活気を取り戻すだろう。
彼らに魔獣関連の事情は話さない。
話す義理も義務もなかった。
もし真実を伝えたところで、人々が魔王の言葉を鵜呑みにするとは思えない。
此度の真相は、各々で自由に解釈すればいい。
(状況的に、魔王軍が人間を魔獣化させたと捉えられるかもしれないな)
別におかしな筋書きではなかった。
大陸各地で人間をアンデッドに変えて虐殺を繰り返しているのだ。
ここに魔獣が加わったところで、さしたる違いはない。
自治区に住む人々の視点で考えると、魔王軍の侵攻を受ける最中に奴隷が魔獣に変貌したのだ。
魔王軍の仕業と思うのが自然である。
同じ立場なら、私もそういった解釈をするだろう。
それはそれで構わなかった。
魔王が悪として見られるだけで、むしろ喜ばしいことだ。
本来の目的に沿っている。
私が避けたいのは悪の分散である。
悪の印象が魔王に一本化される事態は望ましい。
もし魔獣化が人間の企みだと露呈した場合、そこからさらなる争いが生まれてしまう。
ならば魔王がやったのだと結論付けた方が平和だろう。
黒幕を始末してしまえば、真実も闇に葬られる。
此度の騒動も利用してしまえばいい。
どれだけ悪逆非道だと罵られてもよかった。
それで平和に近付けるのなら、私は甘んじて受け入れよう。
起きてしまったことは変えようがない。
大切なのはその後の行動だ。
結果を悔やむのではなく、次の展開に備えて策を巡らせるべきである。
それくらい前向きでなければ、魔王などやっていられなかった。
私は魔王軍を王都に帰還させる。
同時に共和国の首都へと単身で転移した。
奴隷自治区からだと、魔王領を丸ごと縦断することになる。
そのため直線距離でもかなり遠いが、私の魔力量なら一度の転移で到達できた。
いつものように転移阻害の術を破壊することで無理やり侵入する。
私が転移したのは、共和国の首都の上空だ。
首都の街並みに、これといった特徴はない。
それなりに栄えた都市だった。
各所に争いの痕跡が見れる。
内乱中だからだろう。
その割に静かなのは、両陣営が小休止を挟んでいるためと思われる。
生物である以上、体力も有限だ。
序盤の衝突を終えて、現在は空白の時間なのだろう。
おそらく両陣営が睨み合っている段階である。
昼頃までには新たに戦いが起きるはずだ。
もっとも、そんなことは私に関係なかった。
やるべきことを粛々と実行するだけだ。
内乱に熱中している場合ではないと伝えなければならない。
私は首都の中央部へと向かう。
向こうも転移阻害の術が破壊されたことに気付いているだろう。
すぐに軍が駆け付けるはずだ。
迅速に行動していこうと思う。
首都の中央には、大きな建物がそびえ立っていた。
その横長の建造物は、周囲と比べても明らかに大きい。
外観は地味で、利便性だけを追求されたような印象を受ける。
あの建物こそ、共和国における王城に該当する施設だった。
代表達が合議を実施し、首都の中枢機能を担う場所である。
国全体の心臓とも言えよう。
(報いを与えよう)
私は魔術を行使する。
地鳴りと共に大地が隆起し始めた。
そばに建つ合議施設が傾き、軋みながら崩れていく。
そこへ何発か落雷を浴びせた。
轟音を立てて炸裂した落雷により、建物の一部が粉砕される。
そこから火の手が上がって燃え上がった。
濛々と黒煙が発せられる。
さらに追加の魔術を使うことで、幾本もの極太の蔦を出現させた
地面を割って生えたそれらは、合議施設に絡み付くと地中に引きずり込んでいく。
間も無く合議施設は、半ば地面に埋まった形となった。
その状態で火災に呑まれている。
この段階にまで至ると、人々の動揺する声や悲鳴が聞こえてきた。
中には上空に立つ私の姿に気付き、騒いでいる者もいる。
私はそれらの反応を気にせず、王都のアンデッドをこちらに千体ほど転送してくる。
首都の各地に分散して配置すると、付近の人々を一斉に襲わせた。
さらなる混沌に叩き込まれた人々は、アンデッドから逃げ惑い、或いは必死に反撃する。
食い殺された者は、アンデッドとして蘇った。
阿鼻叫喚の光景だが、私にとっては非常に見慣れたものである。
予定の行為を終えた私は、人々の奮闘を傍観する。
千体のアンデッドは、やがて共和国の軍に駆逐されるだろう。
いずれも特別な強化を施していない個体だ。
日光に晒された中なので大して強くない。
聖魔術で容易に討伐が可能である。
(相応の犠牲者は出るだろうが、首都の崩壊までには至らないはずだ)
攻撃の手を止めた私は、眼下の光景からそう判断する。
ちょうどいい具合だった。
これらの攻撃は一種の警告である。
魔王の脅威を知らしめるための行為だ。
半端なやり方だと反感を買うだけで、主戦派を助長する結果となる。
しかしここまですれば、共和国の民は恐怖するだろう。
魔王とは戦いたくないと考え、自ずと主戦派が反対される風潮となっていく。
合議施設の崩壊とアンデッドの攻撃により、国力そのものも純粋に低下する。
滅亡はしないまでも、決して無視できない規模の被害だ。
暗躍及び内乱を抑止する効果も期待できる。
内乱を起こした首謀者は、上層部を主戦派の人間で固めて、共和国を実質的に支配するつもりだったに違いない。
現時点で服従派の人間が次々と粛清されているはずだ。
そうして共和国の方針を、魔王との対決に舵取りする。
強引な手法故に、国民は少なからず反発するだろうが、そんなものは無視すればいい。
軍部の実権を握った時点で、上層部は好きに国を運営できる。
民の声など関係なかった。
此度の私の攻撃は、これらの展開を阻止した。
魔王の力を目の当たりにした国民は、服従や和平を望むだろう。
主戦派の中でも、決意の揺らぐ者が出てくるはずだ。
アンデッドによって軍部にも消耗を強いている。
首謀者にとっては目障りに違いない。
ひとまず共和国への処罰は、一旦ここまでに留めておくつもりだった。
以降は密偵による情報収集を命じる。
そこで魔獣化を引き起こす薬物の製造元や、一連の出来事に関わる人間を特定したい。
調査面で私が派手に動くと、雲隠れされる恐れがあった。
配下に陰で活動してもらうのが一番だろう。
私は魔王として、相手の目を引く役目を全うする。
こちらの目的に気付かせないのが重要であった。
(何とも歯痒いな……)
ただ滅ぼすだけでいいのなら、これだけ考えることもない。
相手の陰謀など構わず、禁呪の連打で共和国を焦土に変えるだけだ。
数十万の強化アンデッドを解き放っても解決するだろう。
あとは待つだけで忠実な手駒が大量に手に入る。
無論、それを実行するわけにはいかない。
私は世界平和のために行動している。
先々を見据えて、理性的に立ち回らねばならなかった。
(力に溺れてはいけない。平和を為す魔王になるのだ)
目的を強く意識しつつ、私は王都に帰還した。