革命2
街は喧騒に満ちていた。
ロックエレファントの暴走により街中にいた人間が一斉に街の外を目指す。
商人達も命あっての物種といそいそと屋台を片付け、逃げようとする。たくさんの人間が一斉に移動するので混乱が起きないはずがなかった。
親と離ればなれになった幼子の鳴き声や、急いで逃げようとしたせいで馬車の車輪の軸が折れてしまい立ち往生する商人、誰よりも早くと人の列をかき分け、逃げる勝手な来賓の貴族連中。すべてが関所めがけてやってくる。
しかし、関所では関所で街の様子を読めない商人達の列のせいで出口が埋められてしまっている。早く街に入れろ、という声と、早く街から出せ、という声で魔導隊のナースリー達は困り果てていた。
「っくそったれ! 早く原因の魔物をどうにかしないといけないのにっ」
「けれど、ここをこのままにしておく訳にもいかないでしょっ。放っておいたら関所が破壊されてしまうわ」
「っしかし…」
「分かってる、分かってるわよ」
ナースリーも苛立ちを隠しきれなかった。普通なら魔物の暴走が始まった時点で魔導隊の緊急指令が下り、迅速な対応ができるはずだった。
しかし、ナースリーの部隊がこの事件を知ったのは急いで逃げてきた人間が関所にようやく辿り着いた時である。街の広場からここは五キロ以上離れているはずなので、いくらなんでも対応が遅すぎる。
困惑し、どうなっているのかと本部に連絡しようとしたが、連絡さえつかない。本当にその魔物が現れたかどうかの事実確認すら不可能になったのである。
そして、押し寄せる民衆の対応に追われ、街へ様子を見に行く事さえかなわなくなったのだった。
「魔導隊にせっかく入ったのにこんな時に何もできないなんて…」
「今は嘆いている場合じゃないわ、ここの混乱を収拾したらすぐに現場へ行くわよ。
それに街にも仲間がいる。すぐに対応できてるはず。私たちは私たちの任務をこなす事が今できる唯一のチームプレイです。あなたも魔導隊の端くれならそれぐらいはやってくれないと困るわよ。魔導学校ではそんな当たり前の事も学んでこなかったのかしら」
「…すいませんでした。自分のやれる事を今やります」
口ではそう言いながらもナースリーの胸のざわめきは収まらなかった。
なにかとんでもない事が起こっているような…。みんなも無事でいてくれるといいんだけど。
街の警備を任されていた仲間達の心配をしながらもナースリーは関所での仕事に追われるのだった。
ロックエレファントは広場から離れさらに被害を尋大なものへ拡大させていた。ロックエレファントの通った後には何も残らない。積み木のようになぎ倒された建物の中では瓦礫に押しつぶされそうになる人や商業用の馬、奴隷として働かされている亜人たちがうめいている。煙が立ち込め、真っ黒い景色の中で影が動いていた。
「やつにこれ以上の攻撃を許すなァ! やつは移動するだけで街を破壊する!」
魔導隊の隊員の必死の声に対して魔導隊の攻撃が始まる。次々と矢が放たれるが、硬い皮膚の鎧に守られた体には一切のダメージは与えられない。嫌そうに体をゆするだけで、何の興味をもたれていなかった。弓部隊からは思わず呻き声がもれた。指揮官は士気を下げまいと声を張り上げる。
「っええい、ランス部隊進めっ、やつも腹ならばやわらかいやもしれん!」
「うおおおおおおおお」
威勢のいい掛け声と共にランス部隊が果敢な突進を行うが、体の向きを変えたロックエレファントの鼻によって薙ぎ払われた。なす術もなくランスを手放し、空中に投げ出される仲間の姿に指揮官は苛立ちを隠せなかった。
「っくそ、なんだってんで脅威度特A級のロックエレファントが星流祭の会場にっ! 開会式担当の事務員は何を考えてたんだっ!」
その言葉の通りロックエレファントはここにいていいレベルの魔物ではなかった。
大陸の奥地にのみ生息しており、その危険で獰猛な気性から恐れられる存在の魔物で、サーカスといえど、星流祭の会場に入っていいわけがない。もちろん開会式担当の事務局員がマール達であったからこそなのであるが…。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
魔物は叫び声を上げ、建物への突進をはじめる。魔導隊はその姿を眺めることしかできない。
「っ何してるっ! 撃て、撃て。少しでもやつの気をこっちに引くんだ。このままやつの好きなようにやらせてたまるかっ!」
「っしかし、矢が底をつきました。補給もまだ来ていません」
「なんだとっ、まだ援軍は来てないというのか! こんな状況にもかかわらずっ!」
「はいっ、このままでは何もできませんっ、連絡系統が混乱しておりますっ」
「上の連中は何をやってるんだっ、これじゃあ街が壊滅しちまうぞっ」
そのセリフを裏付けるように街は蹂躙されていく。
どうしようもない、その言葉通りであった。
「何を怯えてるっ! 矢がないなら飛びかかれっ! 我ら魔導隊の敗北はすなわち中央政府の敗北となるぞっ、是が非でもこの化物を止めるのだっ!」
「「やあああ、行くぞおおおおお」」
隊員達は無駄と知りながら突進を止められない。ロックエレファントはそれをあざ笑うかのように叫び声をあげ隊員達の姿を攻撃の射程範囲にいれるのだった。
魔導隊基地。そこは街の重要な機構でそれがあるからこそ街に人が集まる。基地があるとないとでは治安の程が抜群に違うのだ。他の小さな村などでは盗賊どもがのさばり、魔物に襲われれば土地を移すほかない。しかし、基地があれば、悪は手が出せない。敵に回すにはあまりにも大きすぎる機構であるからだ。
マニ国のものにとって魔導隊基地とは”正義”の象徴であった。
けれど、今、その魔導隊基地は全く機能していなかった。それは街に張り巡らされているはずの魔力の供給ラインが何者かの手によって破壊されたからであった。
そのラインがなければ各地に指令を下すことさえできない。しかも連絡魔法でさえも妨害魔波によって使用不可になっているのだった。
ようやく状況を把握した後で送った援軍も途中で逃げ惑う民の整理に追われて現場にたどり着いてさえいないという事だった。
「なぜあんたら魔導隊がいいように振り回されてるんだっ! 民を、街を救えないで何が魔導かっ」
「わかっています、わかっていますが、貴殿にはこの状況を打開する案がおありになるのでしょうな? 妙案がおありなら是非聞かせていただきたいが」
「それは…っ」
「ないのであれば、黙っていていただけますか。あなたがた貴族の救出を優先した為にここまで我々は追い込まれているのです」
「だがっ、聖王様の行方が知らなくなったというではないかっ! この責任はどうとるおつもりか?」
「それについては現在調査中です。我々には我々のやり方がある、口出ししないでいただきたい」
「っおのれ! 山猿共がっ! これに収拾がつけばなんらかの処置はとってもらおうっ」
「では、部屋に戻って頂けますね?」
「…くそっ」
なんとか執務室から地方の中流貴族を追い出したノースの基地司令サスペンディリーは頭を右手で抱え壁に左腕をつき、ため息を吐いた。
「災難でしたね。こっちはもう手一杯だというのに…。普段は小さな領地の中でしか威張れない癖にこんな時だけ強気で全く厄介な奴らです」
「全くだ…。だが全て奴らの言う通りだからな。なんともやりづらい」「それもそうですね。こんな事態は前代未聞なのではないですか?」
「お前もキツい事平気で言うな、頭が痛くなる」
「私は客観的事実を述べているだけです。他意はありませんよ」
「それが余計にくるんだが」
「?」
サスペンディリーの言動を解せない秘書のマリーは首を傾げる。彼女は身長180㎝もあるモデル体型の美女である。足はスラッと長く、腰の括れもきれいにあり、胸も男性にとって十分な破壊力を持っている。これまた、顔も、長いまつげに、色気の感じる瞳、プルンプルンと音さえしそうな唇ときたものだから基地での人気はちょっとしたアイドル並である。だが、性格は非常にクール、というか本人はそんなつもりがなくとも無表情でキツイ事も平気も言うので周りに冷たい印象を与えてしまっている。それさえも自分で自覚していないのでなにかもったいない気もするが、そのクールさがいい、さげすまれたい、踏みつけてほしい、などと変態じみたファンも大勢らしいのでまあそのままでいいのだろう。
間違ってる気がしないでもないが、それできっといいのだ、とサスペンディリーは結論づけている。
マリーはどうでもよかろうと判断したのか言葉をつむぎ直した。
「脅威度特A級の魔物ですから、現場に配置されたものだけでは対応しきれません。少なくとも魔兵器で装備された大隊が二つは必要ではありませんか? 先ほど送り込んだ小隊も足止めを食らっているようですし、もう一度隊を編成して送り出すべきでは?」
「だが、魔兵器を投入しようにも肝心な魔力の供給がストップされてる。魔力がなけりゃあんなもんはただの重りだぜ? 使いようがないものを投入するバカはいない。
できれば、魔法士を使って魔兵器を使えるようにしたいんだが…。ナースリーの隊はまだ連絡がつかないのか?」
「残念ですが、彼女達からの連絡はありません。関所には逃げ惑う民の集団が大挙して襲いかかっているでしょうから、対応に追われているのでしょう」
「そうか…、仕方ない、まずは小隊を編成して関所へ派遣。ナースリー達が交代して現場へ向かう前に大隊が魔兵器を魔物の所まで搬入させて、ナースリー達の到着と同時に反撃を開始する。
…これ以上好き勝手させるかってんだよ」
「了解しました。しかし、これは本当にただの事故なのでしょうか?」
「…ただの事故って事はないだろうな、多分。地中に埋められた魔力ラインが壊れるなんて事はまずありえない。それに、魔物のレベルも催しもので出す魔物のレベルじゃない。制御が難しいし、食料もばかにならないからな。
今思えば街の魔導隊の配置もあやしかった。一番力のあるナースリー達の魔法士部隊を街の中心部から遠ざけたのも操作されたもんじゃないかとさえ思えてくるぜ」
「つまり、これは事故ではなく事件と言う事ですか? なら犯人達を探すなど別の対処をとらねばなりません」
「いや、それは後だ。まずは魔物の暴走を止める」
「それではいつまでも後手に回り続けます」
「考えてもみろ、敵さんは俺らの隊の配置さえ変えれる人間だぞ、しかもラインを壊せる以上、戦力も一人や二人じゃないだろう。そんな奴らも相手にしてちゃいつまでたっても街は破壊される」
「悪をのさばらせておくという事ですか」
「口の聞き方に気をつけろよ、マリー。悪を倒すって事は俺らは正義って事だ。けどな、奴らから見りゃ俺らは悪かもしれない」
「…どういう解釈をすれば?」
「悪を簡単に倒すなどと口にするな、という事だ。悪と正義なんて建前ですぐに入れ替わってしまう。絶対的に正しい奴なんていないのさ。
いつも自分達が正しいなんて思ってるのは、イカれたウチの上の奴らでたくさんだよ」
「…痛烈な中央批判ですね。報告書に記しておきます」
「って嘘だろ! 止めろ止めろ。俺の首が飛んじまう、比喩じゃなく真面目に!」
「………フフ、冗談です。失言をいたしました。以後、気をつけます」
「っま自分の中に測りを持つのは大切な事だ。何か正しくて、何が間違っているのか。最後にそれを決めるのはいつも自分の心であるべきだからな」
「はい、肝に命じます」
マリーは少し表情を崩して笑った後、いつもの無表情に戻って執務室から退室した。その笑顔に少しドキッとしてしまったのは俺だけの秘密である。椅子に深く座り直すと、どこに居るのかも分からない敵にサスペンディリーは問い掛けた。
「さてと、ここからどう動くかな? 魔導の文字の意地にかけても俺らは街を守るぞ?」
薄暗い屋敷の中にマール、エンリルや団長達鷹の団は集結していた。まだ、昼も過ぎた頃ではあるのだが、さっきまでの晴れが嘘のように空には黒い雲がもくもくと出てきている。一雨きそうな空模様であった。「聖王様は何処に?」
マールの問いかけに、副団長のロイズが返答する。
「小部屋の中で睡眠魔法でお眠りになられている。うわごとを呟いてらっしゃるがお体に問題はないそうです」
「聖王様の御身を傷つけるのは、俺らの本意じゃなかったからなあ。なんともなくてよかったぜ。
バラスの方はどうした?」
「地下の牢へ入れました。奴こそが中央の腐った根源。お付きになったばかりの聖王様にはなんの罪もありません。奴を断罪することが我らが目的です、やはり聖王様は解放した方がいいのではないでしょうか?」
「そうはいうがな、マール。聖王様も言い方は悪いが”交渉”の重要な材料だ。ここでなくす訳には行かないんだよ。それにこの混乱した状況で聖王様の安全が保たれるとも思えない、かえって俺らが保護していた方が安全だろう」
「しかし、これで俺も国に逆らった逆賊か~。なんか取り返しつかない事してしまったかも」
「なんだ、さっきの俊敏な動きが嘘のようだなエンリル。バラスの従者を瞬く間に倒したのには私も驚いたのだが」
「ありゃ、まぐれだよ。馬車の下で待機してる時は心臓が口から飛び出るかと思った」
「っへ、どちらにしろお前は大した野郎だよエンリルよ」
「団長にそう言っていただけると、頑張れる気がします…」
「団長、次の動きはどう致します?」
「そろそろサスペンディリーの奴も状況を把握して動き出すだろう。ほかじゃ歯が立たないと知って魔法士部隊をロックエレファントにぶつけようとするんじゃないか?
ここでロックエレファントが潰されても一向に構わないんだが…」
「”交渉”の材料は多いに越したことはないと…」
「さすがロイズ、その通りだ。奴の思惑通り場が動いてもつまらんしな、魔力タンクは十分にあるんだろう?」
「はい、抜かりはありやせんぜ」
「んなら、やってやろうかっ! どうせやるなら盛大にいこうじゃねえかっ!」
「「「うおーーーーっ!」」」
屋敷の中に男達の咆哮が轟いたかと思うと、靴の擦れる音がして屋敷の中が騒がしくなった。
ようやく関所の動きが落ち着いてきた頃、交代の隊がナースリー達の所へやってきた。
「「私たちが代わります、皆さんは急いで行ってくださいっ!」」
隊員の焦った声にやはり状況は悪いのだとナースリーは思わざるを得なくなった。特A級の魔物が出たのだという、しかも魔力の供給ラインが破壊され、魔兵器もろくに使えない。魔兵器が使えないのでは、硬い皮膚に少しのダメージも与えられないのだろう。
普通、魔物の討伐というのは万全の準備をした上で、厳選して選ばれた隊員によって行われる。突然の出現であったとしてもすぐに対応がなされ、その魔物の弱点にあった攻撃で退治する。要は相性なのだ。硬い皮膚や鱗をもつ魔物がいたり、属性によっては魔法が全く効かないという魔物もいる。普段ならばそれに応じた隊が出張るのだが、連絡を封じられ、魔力を封じられ、さらには守護すべき人民などが大勢いる街中などで魔物がでるなど、誰も体験した事のない未曾有の状況であった。
確か広場の警備は弓とランス部隊であったはずだ。C級、準B級程度なら問題なくやれただろうが、特A級などほとんど天災レベルの大物に対応しきれるはずがない。
「ありがとうっ! さあ行くわよみんな!」
「「「了解!」」」
準備するやいなやすぐにナースリー達は関所を出発し、現場へ向かおうとする。
こうしている今にも仲間が戦い、血を流しているのかと思うと、気が気でなかった。だからなのだろうか?普段の冷静な彼女ならば気づけるはずの事に気づけなかったのは。
「皆さん行ってらっしゃい、死出の旅へ」
後ろの不気味な言葉に気づいた時にはもう遅かった。
よく考えれば見覚えのない隊員達だった。
よく見れば戦っていないはずの彼らの服には血が付いていた。
よく考えればいくらなんでも交代要員がやってくるのが遅過ぎた。
そんな風に思考は加速してはナースリーの脳の中で再生される。けれど、全てがもう遅い。
「あなた方は誰?」そんな疑問さえする間もなく地面に火花が爆ぜ、傍垂円状の模様がナースリー達が関所への帰り道を塞ぐ。
前に向き直ると列の真ん中に荷台だけで持ち主のない馬車が。
「っまさか!」
馬車の上に見えるのは稲妻が天上から落ちる様子。撃たれる先にあるのは丸い筒状のタンクの栓が開いたもの。それは魔力を蓄えるタンクでなかったか?
列の人々は前ばかり眺めてそれに気づいていない。なみなみと蓄えられた魔力に雷が墜ちればどうなるか、それは自明の事だった。他の隊員もそれに気づいたのか後ろで息を飲む音が聞こえる。
「っ隊長」切羽詰まった隊員の声でようやくナースリーの体が動く。
だが、やはり遅すぎる判断だった。
ナースリー達が魔法を構築し演算する時間の余裕はない。稲妻がタンクに堕ちる。電流がタンクを伝って大地に吸収されるが魔力にも当然衝撃を与え、まばゆい光が辺りを包んだ。
人々は目を伏せ、あるものは逃げようと体の向きを変えようとした。
ズバッ!そんな空気が切り裂かれる音と共にタンクは爆発するのだった。