ボケとツッコミの社会問題会議 ・インターネットの功罪編
とあるマンションの自治会室。そこに複数の人間達がいた。彼らは今から会議をするつもりでいる。と言っても、別に彼らの内で何か決め事がある訳じゃない。彼らが話し合おうとしているのは、社会問題について。内容はとても真面目なものだけど、ノリはそれほど真面目でもない。と言うよりも、単に話し合うだけじゃつまらないので、その会議はボケとツッコミ奨励で行われるのだ……、いつも。その名も“ボケとツッコミの社会問題会議”。上手くいくとかそういうのは関係なく続けています(書いている本人が)。
「――今回の失敗の原因は」
と、まず久谷かえでが口を開いた。
「あまりに広範囲、多視点から捉えられる問題を議題に選んでしまった事により、焦点が絞れず、議論がまとまらなかった点にあります。
因みに、わたしは司会のよーな、そうでないよーな、な久谷です。よろしく」
そう久谷が言い終えると、議長の立石望が言った。
「確かにね、今回の議題はきついかもしれないわ」
それに久谷が「いやいやいや」と、反応をする。
「そこはツッコミを入れてくださいよ、立石さん。“前回と同じボケじゃない!”とか、“学習能力ないんかい?”とか。折角、“天丼”と呼ばれる同じボケを繰り返す笑いのテクニックを使ったのに」
因みに、立石はボケ志向だけど、ツッコミになりがちで、久谷はボケです。
「“学習能力ないんかい?”とは言わないのじゃない? 立石は」
と、そこでそう言ったのは、主にツッコミだけど天然ボケもする長谷川沙世だった。それに立石が言う。
「微妙に天然ボケな発言よね、それ」
「うるさいな」と沙世。
「確かに、前回は焦点が定まらないとか言いつつ、それなりにまとまっていたような気がするけど、今回は前回よりもハードル厳しそうだよね」
と、そこでそう言ったのは村上アキだった。基本はボケだけど解説役になりがちな大人しい子です。
「あのよ、そもそも、まだ議題の発表はしてないだろうが。読者置き去りで良いのか? いかに、読んでる奴少ないっても」
と、そこでツッコミを入れたのは火田修平。ボケもツッコミもする解説役だけど、少しだけ過激な人です。
「だって、タイトルでばれてますもん」と、そこで久谷が言う。続けて、
「ま、何にせよ、レギュラー陣の紹介は終わりです。続けて、今回のゲスト~」
と。それに火田はツッコミを入れる。
「いつから、俺らはレギュラーになったんだ?」
「でも、確かに実質、そうですよね」と、そう返したのはアキだった。久谷がそれを無視して言う。
「まずは男性メンバーから。
前回に引き続き、奇跡の参戦を果たした園田タケシこと、ソゲキくん! 当然、ボケ要員ですが、もうボケのネタはないそうです!」
「ありません!」と、それを受けてソゲキは元気いっぱいに言い切った。久谷の説明通りに彼はボケです。
「まて。なら、なんでこいつ呼んだ?」と、それに立石がツッコミを。また無視して、さらに久谷は続ける。
「次に女性メンバー!
ボケでかつ解説役もこなせる女性メンバーの最終兵器。野中ノナさん! 通称、ノナノナ!(今、勝手に決めた)。ボケ役が増えた事で、バランスが崩れたのでより立石さんがツッコミに回るだろうは必至! がんばれ!立石さん!」
「がんばって!」と、野中ノナが言う。彼女も久谷の説明通り、ボケです。それに立石は淡々とこう言った。
「がんばってたまりますか。てか、卜部は今回は出ないのね。うふふ」
「嬉しそうね、立石……」と、それに沙世がツッコミを。その後で火田が言った。
「ま、今回は比較的安定して議論ができそう… なのか、どうかは分からないが、少なくとも引っ掻き回す役はいないって事だろ。ただ、議題が漠然としてるけどな。てか、そろそろ始めろよ」
そう言われて、久谷は頷いた。
「もちろん。言われなくても始めます。
インターネットが普及した事により、社会は良くも悪くも大きく変化しました。個人間での情報の伝達が激しくなり、情報を手に入れるのが普及前に比べて比較できないほど容易になった。間違いなく、著しい効率化が起こっています。しかし、その一方でネット犯罪やネット依存症、これまで人間社会が経験した事のない問題が発生するようにもなりました。
果たして、インターネットは人間社会に何をもたらし、これからどんな影響を与えるのか?
今回の議題は、ずばり“インターネットの功罪”。
さぁ、議論してもらいましょう!」
久谷が言い終えると、まず火田が口を開いた
「一応、これだけは言わせてもらう。もちろん、プラスの効果もマイナスの効果もある訳だが、少なくとも総合すれば、プラスの効果の方が明らかにでかい、と俺は考える」
その発言に久谷は驚いた。いや、発言というか、発言した事自体に。
「うわ! びっくした! すんなりと議論が始まったの随分と久しぶりじゃないですか?」
「久しぶり、というか、多分初めてだと思うわよ」
と、沙世が困ったように笑いながら、それにまろやかなツッコミを入れた。火田はこう応える。
「議題が漠然としていて、何処から切り込んで良いか分からないから、逆に開き直ったんだよ。総論的に始めないと訳が分からなくなると思ったというのもあるが」
次に立石が言った。
「ふむ。で、火田さん。その根拠は? プラスの効果の方がでかい、という」
それにまた久谷が反応した。
「立石さんまで! ちょっと待ってください。今回は、どうしたんですか?皆さん。妙に協力的じゃないですか。立ち上がりはいつも弱いのに!
ボケ要員を二人も用意した、わたしの立場は?」
火田が言う。
「面倒臭いから、久谷の発言はスルーするぞ?
プラスの効果の方がでかいってその根拠は、情報統制への良い対抗手段になるって点だよ。ま、これは今って時代の要因もある訳だが、権力の暴走はいつの時代でも起こるもんだから、普遍的な効果とも言えるだろう」
その発言に、アキがこう言う。
「具体例としては、人権擁護法案ですかね?」
「まぁ、な。一番、象徴的かつ、危険性の大きい法案だろう。もし、あれが通っていたら、と思うとゾッとする。テレビや新聞では、一部を除いて、何故か、取り上げなかったしな。もし、ネットで反対の声が上がらなかったら危なかった」
そこでソゲキが手を上げた。
「でも、人権擁護法案ってただの規制する為の法案だよね? そんなに大きな影響はないんじゃないの? 権力がどうとかってほどには。
と、新たに質問役のポジションを狙っているボクは華麗に質問したのだった」
「んな、ボケはいらん」と、それに立石がツッコミを入れる。
「甘いな、甘栗のよーに甘い」
火田がソゲキの質問に対して、そう返すと「甘栗、そんなに甘くないですが」とソゲキが言う。
「甘栗の甘さを分からない愚か者は、お前か!」
と、そこで更に入って来たのは、ノナノナだった。それを受けて立石が言う。
「あ、沙世、野中にボケ取られたわよ。前々回は、ボケられたのにね。珍しく、天然じゃなく」
「そう言う立石だって、ソゲキくんに台詞取られてるじゃない。前々回は、ボケてたのに」
沙世と立石がそんな会話をしているのを困ったように見つめながら、アキが言った。
「いや、話、進めない?」
火田は動じずに続けた。
「人権擁護法案は、実質的には規制する為の法案じゃねぇよ。誰か、邪魔者を、簡単に逮捕できるようにする為の法案だ。すると、その何者かは、この法案を利用して、自分達の邪魔者を排除できるから、更に権力を強くできるんだよ。自分達にとって有利なルールを更に決めたりな。
因みに、権力が一部に集中する前に、こういった類の法律なり体制なりができるってのは、人の歴史で実際に会った。しかも、場合によってはその後、戦争に突入したりする」
それに、アキが続ける。
「ま、その何者かっていうのは、一部の政治家とか、官僚とかだね…」
そのアキの発言が終わると、ノナノナが言った。
「栗ごはん。栗きんとん。栗ようかん。数々の栗の素晴らしさが分からないとは、愚か過ぎるわ」
それにソゲキが返す。
「でも、甘さって点じゃ、やっぱりそんなに強くないよね? 砂糖とか、他の甘味の力が強いじゃない」
「あんたら、そのボケはもう良いから」と、それに立石がツッコミを入れた。そして、そのまま続ける。
「ま、情報が共有できるようになったのは確かに良い点よね。個人が情報を発信できるようになったお蔭で、色々な情報を手に入れられるようになった。視野が広がったし、迅速に反応できるし。でも、その反面、嘘の情報も飛び交うようになっているのじゃない?」
その立石の発言に、沙世が頷いた。
「誹謗中傷で、誰か個人を攻撃したりね」
沙世がそう言うと、ノナノナが言った。
「あんたの悪口を、ネット上にばらまいてやろうかぁ」
ソゲキに。
「なにー それは、困る!」と、ソゲキがそれにそう返すと、「ははは、困れ困れ」と、ノナノナはそれにそう返した。
「ね、これ、ツッコミ入れなくちゃ駄目?」と、この二人の会話を受けて立石が言う。それを聞くと、久谷が珍しく困ったように笑いながら「ここは、スルーでいきましょうか?」とそう言った。それでなのか直ぐにまた立石が口を開く。
「沙世が言うのもあるけど、もっと、何と言うか、政治的な主張っぽいのであるじゃない。わたしが言ってるのはそれよ」
すると、沙世がまた応えた。
「あ~、知り合いに、そういうのに騙されちゃっている人がいるわ。なんか、右翼っぽくなっちゃって」
アキがそれに続ける。
「誰かが都合よく情報を解釈したり、都合の良い情報だけを選び取ったり、そんな感じでの“正しさ”を演出した説明に、同じ様にそれを信じたがっている人達が集まって、特有のコミュニティみたいなのができあがる場合があるのは、何となく、僕も察しているけど」
その後で、火田が言う。
「まぁ、そういう連中がいるのは、百歩譲って仕方ないとしよう。いつの時代でもいるもんだし。それにそういう連中の発する情報は、一般にはあまり受け入れられていないみたいだから、それほど怖くはないしな。だが、より性質が悪い情報が発せられている場合もある」
アキがそれに対して、静かに言う。
「なんか、そういう偏った人が本をたくさん出して、しかもテレビにまで出演している場合もあるみたいですけど」
「ま、特例もあるわな」と、火田が返す。
「それで、火田さんの言う、より性質の悪い情報って?」と、そう尋ねたのは、立石だった。
「一見は正しそうに見える“情報の見せ方”をしているケースがあるんだよ」
火田がそう答えると、それに続けてノナノナが言った。
「甘栗の良さについての情報を、たくさんネットに流してやるわ。健康に良いって点を強調してね!」
ソゲキが返す。
「なにー! 凄いけど、やっぱり、それは甘さじゃないよねー?」
「こいつら邪魔なんだが…」と、その二人の掛け合いの後で、火田が言う。
「仕切り直すが、“情報の見せ方”で、いかにもな正しさを演出する場合がある。典型例は、自分の主張にとって都合の良い情報ばかりを載せるってものだな。もっと酷いと、捏造ってのもあるが、これは少し調べられると簡単にばれる。
他には、パーセンテージや倍数で表現される情報は気を付けた方が良い」
それに沙世が質問した。
「どうして、倍数とかだと駄目なの?」
そこで、すかさずアキが説明する。
「例えばさ、“表紙を変えたお蔭で、雑誌の売上が五倍に伸びました!” とかいう情報があったとしようか。ところが、もし仮にその雑誌が一冊しか売れていない場合、五倍って言ってもたったの五冊で、実際は四冊しか売り上げは増えていないんだよ。つまり、倍数で表現すると、凄さを演出し易い。これは、パーセンテージでも同じ様な事ができる」
「やっぱり、沙世の質問には村上君が答えるのよね」と、立石がそう言う。「まぁ、いいけどさ」
「後は、主張に偏りが見られるものにも警戒が必要ですね。仮に、その人物に騙す気がなくても、見落としている情報とかあるかもしれないですから。ま、さっきの話にも出た通り、そういうサイトは分かり易いですが」
と、そう言ったのは久谷だった。
「珍しいわね、あんたが真面目な発言するなんて」と、立石が驚きの声を上げる。「いえ、偶には…」と、久谷が言いかけたところで、ノナノナが言う。
「くっ… では、栗の甘さを強調したページを作っても直ぐにばれるというの…」
ソゲキが続ける。
「悪は栄えずだねぇ…」
それを見て立石が言う。
「ねぇ? この野中の何処が最終兵器なの? さっきから、ボケばっかりじゃない。というか、今のところただの馬鹿にしか見えないわ」
その言葉にノナノナは反応する。
「このワタシが馬鹿…? そんなカバな」
「馬鹿だわ…」と、そう立石がツッコミを。ノナノナは続ける。
「カバ… 学名・Hippopotamus amphibius
陸水最大の哺乳類とも言われ、クジラと共通の祖先を持っているとも。その気性は意外に荒く、人間が襲われる事もままある。水への依存度が高く、体表面は乾燥に極端に弱い。
また、その昔は悪魔ベヒモスと見なされ、ハンティングの対象となっていた。水の悪魔レビタヤンがワニとして描かれ、陸の悪魔ベヒモスはカバとして描かれる… でも、カバってほぼ陸水動物じゃん、とワタシなんかは思ったのだけど、ベヒモスは水陸両棲の動物とも言われているので、ま、ギリギリセーフかな、と」
「いや、博物学的知識を披露されても」
語るノナノナに立石がそうツッコミを入れた。ところが、その後でノナノナは突然に話題を変えたのだった。
「ま、話を戻すと、インターネットという情報が容易に飛び交う時代になった今こそ、情報をできるだけ多く集め先入観を持たずに客観的に分析する… つまり、個人のエゴで情報を曲解したりせず、公正に情報を受け止めるという姿勢が重要なのよね」
それは、ボケていた時とまったく同じ口調だった。沙世が言う。
「そんな個人のエゴを何とかって、宗教みたいな」
それにノナノナはこう応える。
「宗教じゃないわ。科学よ」
沙世としては口調が同じだったので、ボケの延長なのかと思って入れたツッコミのつもりだったものだから、それに少し固まる。
「近代科学の起源は、帰納的思考を重要視する“帰納主義”。これは、情報の取り扱いに対する思考とも言えるから、インターネットの問題とも被るでしょう。帰納的思考の問題点とその解決方法は、そのままインターネットにも当て嵌められるわ」
そうノナノナが話し終えると、立石が言った。
「沙世の天然ボケはいいとして、こいつ、いきなり変わったわね」
それを聞いて久谷が言う。
「ふふふ、これがノナノナの真の姿だったりする訳ですよ。わたしも驚いていますが」
「驚かないでよ」と、それに沙世がツッコミを入れる。
「ふっ 甘いな、甘栗のよーに」と、そこで口を開いたのはソゲキだった。
「質問役のボクが、その化けの皮を剥いでやりますよ。具体的に、その“帰納主義”の問題点を挙げてもらおうか、ノナノナ! もちろん、インターネットにも当て嵌めつつね」
すると、ノナノナはあっさりとそれに答え始める。
「“帰納主義”の問題点。
一、どれだけ情報を客観的に分析しようとしても、そこに何かしらの先入観が入ってしまう事は防げない。
これは、情報を都合よく解釈し演出しているページに当て嵌められるわ。自らの主張を疑う能力を持った誠実な人でも、本質的にはこれを防ぎきれない。
二、全ての情報を集める事はできない。また、隠れた情報の可能性を否定する事もできない。どれだけ情報を集めても、まだ情報が存在する可能性は無限に存在する。
これはインターネットでいくら情報を集めても、それで全てではない、という内容に当て嵌められるわ。
三、情報の正確性の問題。情報の正しさの証明も難しい。
インターネットに当て嵌める場合は、言わずもがな。ネット上に飛び交う情報の正しさの証明は難しい。
四、同じ情報から複数の結論に至れる。そのうちのどれが正しいかも分からない。
これも、ネットに当て嵌める場合は、言わずもがなね。同じ情報からもたらされるどの主張が正しいのか分からない」
その説明を聞いて、ソゲキは固まる。
「こんなのボクのノナノナじゃない!」
そして、泣く。
「いつから、野中さんがソゲキくんのものになったのよ……」と、それに沙世がツッコミを入れた。火田がその後で問う。
「で、解決策は?」
ノナノナはそれに淡々と答える。
「帰納主義の問題点は、完全な理論の提示が不可能である事を示しているわ。それで、仮説を容認するという態度を執った。
インターネットにも、これを同じ事が言えるのじゃないかしら? それは、一つの仮説に過ぎない。どんな主張にも、そういう心構えで当たる事が大切。つまり、認識を固定させず、いつでも変える準備が必要だって事ね」
ノナノナが言い終えると、アキが言った。
「うん。少し付け加えると、どんな主張をしても仮説であるという事実からは逃げられないのだから、例え間違えていても、必要以上にその人を責めないって点も重要だと僕は思うよ。そういうのはお互い様だし、そうじゃなければ、そもそも議論すらできない」
ノナノナはそれを認める。
「確かに、それはそうでしょうね」
その後で火田が言った。
「話は分かるが、何だか、インターネットの功罪って点からは離れているような気もするな。内容が」
そこで、その火田の発言に反応をするように久谷が言った。
「確かに詰まってきましたね。そろそろ新たな材料が欲しい。と、そんな需要もありーので、てこ入れしますよ! 新たな人員の投入です!」
「なに?」と、それに立石が驚く。見ると久谷は手に携帯電話を持っている。どうやら、それで連絡を受けたようだ。
「このタイミングで、メンバーを新たに追加するの?」
久谷はそれにこう返す。
「ふふふ、その通りですよ。わたしとしても色々と考えている訳ですよ。では、追加メンバーを紹介しましょう。
本当は最初から呼んでいたのに、約束通りに来なかった吉田さんと、呼んでもいないのに勝手にやって来た卜部さんです!」
「ただの偶然じゃない!」と、立石がそれにツッコミを。その後で、ドアが開いてやる気のなさそうな顔の吉田誠一が入って来た。敢えて言うなら、彼はボケです。
「相変わらずにやる気なさそうだな、お前は」
と、それを見て火田が言う。久谷がその後で口を開いた。
「ま、確かに偶然ではありますが、それでもダイナミズムに議論を展開する上では、やはり効果的だったのではないか、と。このメンバーの途中追加参戦は」
しかし、吉田が次にこう言う。
「で、どんな事が話し合われてたの? 分からないと、議論に加われないよ。流石に」
「……効果的じゃない気がするけど、途中追加…」
と、それを聞いて沙世がツッコミを。その後でまたドアの方から声がした。
「ふふふ、そしてここで期待のあたしの登場な訳よ」
ドアが開きかける。もちろん、それは卜部の声だった。すかさず立石がドアの方に走っていく。そして、ドアを押さえた。
「ちょっと、何でドアが開かないの?」
卜部がそう叫ぶ。立石は言った。
「みんな、ここはわたしが押さえておくから、早く議論を再開して! 早く! こいつが入って来る前に終わらせるのよ!」
それを見て「必死ね、立石」と、沙世がそうツッコミをいれた。
それから、吉田に向けて久谷が簡単に今までの議論の内容を説明した。説明を聞き終えると、吉田はこう言った。
「なるほどね。インターネットによる超・情報化時代だからこそ、情報を扱う帰納主義な思考の問題点と特性を把握しておこう。いい考えだね」
火田がそれに少し顔を歪ませる。
「まぁ、別に良いんだが、微妙に上から目線なのが気になるな」
それに構わず吉田は続ける。
「じゃ、ま、僕はこんな視点から、インターネット時代を見る事を提案してみようかな? 今までの議論とは全く関係ないけど」
それに火田がツッコミを入れた。
「今までの議論内容を聞いた意味がほとんどないじゃねぇか! やっぱ、こいつに他の奴がどうとか関係ないな」
久谷が宥めるよう火田に言う。
「まぁ、まぁ、吉田さんが、今回は積極的に議論に参加する姿勢を見せてくれているみたいですし」
吉田はやっぱり構わずに続けた。
「インターネットは、個人が社会に向けて情報を発信する事を可能にした。これは、言い換えれば、個人が社会へより強い影響を与えられるようになったって事だ。社会は、集団が個人へ影響を与え、個人が集団へ影響を与える、という相互影響によって成り立っている。
個人が、集団へ影響を与える。この力が強くなった事の意味は大きいよ」
それに頷きながら、沙世が言った。
「ああ、革命がたくさん起こったものね」
それを補足するようにアキが言う。
「先進国でも、格差是正を求める行動が活発になったよね。アメリカとか。因みに、アメリカ国民の格差に対する不満は、近年になって出てきたものじゃなくて、もう随分前からあった。アメリカ一人勝ちと言われていた時代から、既に企業の上層部の所得は高すぎるとほとんどの人が不満を持っていたのだね」
それを受けて吉田が言った。
「そんなのが代表例だね。正のフィードバックによって権力が一部に集中する。それを、インターネットは防ぐ力があるとも言える」
「そんな事言われても、分からないわよ。何よ、正のフィードバックって?」と、そこにそうツッコミを入れたのは、立石だった。彼女はまだドアを押さえている。卜部の侵入を阻むために。「開けろー」と卜部の声。
「まだやってたんだ…」と、それに沙世がツッコミを入れた。次に、ノナノナが手を上げて質問する。
「正のフィードバックは、出力が入力に対し、より強めるように影響を与える作用よね。都市の集中化や、星の形成はその正のフィードバックによって起こる。それが、権力にも関わっていると?」
吉田は即答した。
「関わっているね。権力を手に入れた者は、当然、その権力を利用して自分達にとって有利な体制にするだろう? 代表的なものは自分達にとっての都合の良いルールの作成。すると、それでまた権力が強くなる。これを繰り返す事で、権力と富は一部に集中していくんだ」
「なるほど」と、それにノナノナは返す。アキが補足するようにこう言った。
「さっきの議論に出てきた、人権擁護法案の話は、これの事だね。もし、人権擁護法案が通れば、権力者はますます有利になる」
吉田は更に続けた。
「権力が一部に集中をすれば、社会に負荷がかかる。生活者は苦しくなっていく。それが限界を迎えれば革命が起こる。これを防ぐ為に生まれたのが、民主主義の一つの姿だとも言えるね。社会に負荷がかかれば、選挙によってトップが変えられ、負荷が取り除かれる……。自動調節機能。
もっとも、生活者の政治に対する関心が弱ければ、これは起こらないけど」
それにノナノナが返した。
「インターネットは、その作用を強くしている、とあなたは言いたいのね? つまり」
「そうだよ、つまり」
その会話の後で、火田が口を開いた。
「確かに、長い間独裁政権が続いて来た国で次々に革命が起こっているよな。インターネットの普及によって。俺なんかは、逆によくこれまで起こってこなかったもんだと思ってるくらいだが」
アキがそれに続けた。
「独裁政権や、専制政治が長く続く社会ってのは規模が比較的小さいか、資源に恵まれているか、だね。規模が小さければ、抑えやすくなるし、資源に恵まれていれば、生活者の労力への依存度が減るから、負荷をかけていても社会を維持できる。
ま、その代わり、外国に資源による利益を奪われたりもしているみたいだけど」
ノナノナがそれを受け言う。
「そういう意味で、中国は凄い。良いか悪いかは別問題にして。と言うか、悪いと思うけど、凄い。
あれだけの規模の社会で、インターネットの普及を許しながら、なおある程度の情報統制に成功している。
ま、でも、その事実は、インターネットを普及させるだけじゃ、権力の集中を抑えるのには不充分である事を証明している、とも言えるのだけど」
久谷がそれを聞き終えると、言った。
「この吉田さんの話は、初めの頃に火田さんが言った“インターネットによって、情報統制に対抗できる”という話を抽象的にして、より一般的にし、社会の様々な点に適用できるようにしたものですね」
その久谷の補足説明を聞いて、アキが言った。
「久谷さんって、そういう誰も指摘しない点を語るのが上手いよね。てか、知識があるのならもっと発言すれば良いのに」
久谷はそれにこう返す。
「フフフ。わたしは、極力、補佐に徹するつもりなんですよ。議論自体は皆さんにがんばってもらって、足らない点をサポートする役割…… その方が議論が面白くなる事を期待して!
前にも似たような事を言いましたが」
その後で吉田が言った。
「この話は、群知能や集団的知性と呼ばれるものとも関連があるね。これは、個々では比較的単純なものが、集団になると高度な知性を発揮する現象をいう。例えば、脳は知性など持たない細胞で構成されているけど、それが集まる事で高度な知性を発揮している。
これは多細胞生物でなくても起こっていて、例えば粘菌でも迷路を解くなどの知性を発揮する例があるし、アリやミツバチの社会が、全体を高度にコントロールする例もある。そして、人間社会でもこれは起こっている。人間社会が技術力を急速に発展させ、様々な生産物を産み出してきたのは、この集団的知性によるものと言われているよ」
火田がその説明を聞いて、こう言う。
「相変わらず、マイペースだな。
で、お前は、その集団的知性の発生が、インターネット上でも起こっているって言いたいのか?」
それには吉田は少しの間を置いて答えた。やや慎重になっているようだ。
「イエスともノーとも言える。
格差反対運動の広がりや、革命運動はその現象に近いけど、繰り返しニュースで指摘されているように、それらには組織性がない。それが、今まで人間社会が経験してきた社会運動との一番の差だね。
ネット上には、集団的知性が発生しかけているけど、それはまだ産声を上げたばかり、と少なくとも僕は判断しているよ。
インターネット… ウェブの世界は日々進化している。これから先、どうなっていくのかは分からない。もしかしたら、もっと高度な集団的知性と呼ぶべきものを獲得するかもしれない。もっとも、それが僕らにとって、好ましいものになるかどうかは分からないけど。
ま、だからこそ、好ましいものになるようにアプローチが必要なのだけど」
そう吉田が言い終えると、皆は黙ってしまった。吉田自身も言わない。
「……こんなところで、今回は終わりで良いのじゃない?」
と、そこで口を開いたのは立石だった。彼女はまだドアを押さえていた。必死に。「開けなさいよ!」と、ドアの向こうで卜部が叫んでいる。
「わたしもそろそろ限界なのよね。卜部、しつこくて」
「なんで、そこまで必死なの?」
それに沙世がそうツッコミを。その後で久谷が言う。
「そうですね。これ以上はネタがない。と言うよりも、いくらでもネタがあり過ぎて困るくらいで、どこで止めて良いか分からない議論ですから、終わりにしますか。
今回は、狙い通りに焦点が定まらず、グダグダになった気がしますし」
「そんなの狙わらないでよ!」と、それに沙世がツッコミを。
「思ったよりも喋れて、嬉しかったな、ボクは」
そう言ったのはソゲキだった。
「ああ、前半喋ってたよな、お前」と、火田が言う。
「案外、謙虚なのよね、ソゲキは…」それを聞いて、立石が言った。
「それが、今、このドアの向こうにいる奴とは大違いな訳よ! 分かる?」
「なんとなく分かるけど、そこまで必死になるのは分からないわ…」
それに、沙世がツッコミを入れた。
「開けなさいよー」
と、ドアの向こうで卜部が叫ぶ。
「さぁ、今回はこんなところで、終了ですが、次回はグダグダとしっかりの微妙な境界線を狙いますよ!
限界に挑戦! それを実現できるテーマとメンバーを考えます!」
そう久谷が言った。
最後に、「いや、普通に議題選べよ」と、火田がそれにツッコミを。
内容を簡単にまとめると…
まず、インターネットは、情報量を大幅に増やすので、情報の取り扱いを注意し、帰納的思考の陥り易い問題点に気を付けよう。というのが一点です。
だから、できるだけ客観的に情報を捉え、認識を固定させ過ぎないのが重要。また、誤りに対して、批判し過ぎないのも必要。どれだけ気を付けても、記憶違い等はよく起こるものですから(僕も、何度も反省してきました)。
次に、インターネットは個人から社会への影響を強くします。
これは現段階では、組織化とはかけ離れているので、まだまだ限定的ですが、無視できない影響が既に現れているのは、周知の通り。これからどう変化するかは分かりませんが、もちろん、これを好ましいものに変えていく努力が必要なのは言うまでもありません。
このシリーズは、主に仕事が終わって帰宅した後に書いています。所々、荒い点があるのはだからです。