歴史若道書き、かく語りき (5 ・ 一応この章の終わり)
再び自説へ戻る。嫌か? でも話す。しかし、そろそろ、息が、切れてきた。ぜえぜえ……。
やおいちゃんたちは昨今の殺伐とした雰囲気を感じ取って愛を欲しているのだろうか? 何か今の私にはこの説が一番しっくりくる。どんな事があってもいつも、信じることさ必ず最後に愛が勝つ、のである。癒しを求めているのではないかと思ってしまうのだが、どうであろう? 腐女子のみなみなさま。
河合雅雄氏は愛についてこう語る。『高等な知能と感情と意志を持ったものが一緒に生きていくときに、愛というものがなければ、空気がないとダメなようにやっていけない。そういう類の一種の精神の動きのひとつじゃないかな。』(『ひとはなぜ愛するのか』河合雅雄×谷村志穂・東京書籍・1998年11月11日、241ページ)。
ふむう。確かに自分の事ばかり考えていたら、社会は崩壊するわな。ま、崩壊しつつあるのかもしれんけど? つまりは、愛とは潤滑油か。なければ滑らないし、付け過ぎても滑りすぎてすってんころりんだ。馬油なんかは傷薬にもなるという。うむ、この河合せんせはうまい事言わはるわぁ。
以上は私の見解。あー憑かれた……じゃない、疲れた。だから別に全然そんな事ないぜぇ? というオネエサマ方も当然いらっしゃるでしょう。それでよかとね。全ての人間に通用する普遍的な意見なんぞあってタマルカ。「みんな違ってみんないい」んですから。ことやおい・BLというジャンルにおいてこれは顕著ですね。なぜ読みたもうか、書きたもうか、それは十人十色、百人百様、蓼食う虫も好き好きってなもんです。ただ、あどけない少女に蓼を押し付けてくれなさんなよ、某氏。染まっちまったかなしみに今日も風さえ吹きすぎる……。ひゅう……。
てか、我が輩はもうBL書きじゃなあいっっ!! 無駄吠え禁止っ(ぼかっ)
(2011年1月21日)
あー、おら疲れただ。。風呂さ入って、タヌキとサルと話してくるだ。