私は腐女子か
続きである。
腐女子の定義を今一度確認しておこう。男性同士の恋愛を好み、じゃれ合う男子に黄色い声を上げ、実際にそうであろうがなかろうが彼女らの思考回路の中にはその光景が愛し合う恋人たちのものとインプットされる。……って、何かだいぶ言い回しが変わっているが、実際問題そうなのだ。
腐女子の大きな特徴に腐目線、というものがある。「腐目線」とは何ぞや。特に恋愛関係にあるとは思えない男性同士の恋愛事情を妄想する事、またその視点、である。そういった思考回路を有する人びとを「腐女子」、「腐男子」と呼ぶらしいが、そう、男性にも存在するのだ。初回に述べたところのゲイやバイのオニイサマ方の中の一部が相当する。
で、本題。私の場合は恋愛の理想形が男性同士で表しやすいというだけの話であって、別段両性でも無性でも構わないのだ。ただし、ファンタジー以外で両性だとそこはかとなく悲劇の香りが漂うので、歴史もの中心の我が輩の作品では恐らく使わん。
本当は女性でも構わないはずなのだが、どうも自分の中の固定概念として女性を依代とする気になれない。女子校で十二年も育つと女のマイナス部分を嫌というほど見せ付けられる。群れなければ安心しない、陰口でストレス発散、たまに現れる男性に媚を売る、感情が最優先、堂々と校内でBL本が飛び交う。まあBL本は構わないが、それ以外は私の嫌悪するところである。
腐女子というのは、妄想が主動力である。であるからして、戯れる男子は格好の獲物である。私はそういうのを見ても別にぃー、である。どうでも勝手にすればいいし、じゃれるなんて普通に誰でもするではないか。
蒼樹仁という人間は異性だろうが同性だろうが、他人の恋愛に興味がない。と言うよりその関係性を取り沙汰して様々考える余力がない。それは若道(要するに男性同士の純愛)小説家を自負する者としてはあるいは致命的な欠陥なのかもしれない。しかし自家発電するだけで精一杯なのだ。己の感情を自作で登場人物に背負わせ、主義主張を青臭く語り、それだけで疲れ果ててしまうのだ。
かといって人間嫌いではない。弱った心にそっと包帯を巻いてくれる行きずりの人に涙し、我がまま一杯で甘えさせてくれ、しかしそっと自立を促してくれる親友を心から愛し、静かに旅立つ命に感謝と最後の愛を送る。時に酷く傷付けられながらその人の心を感じたりもする。人とは何と強く、優しく、そして弱く、残酷なのだろうかとよく考える。全身に毛の生えている動物こそがたまらなく愛しいなどと言っていながら、結局この愚かなるホモ・サピエンスが心底好きなのだ。
と、こう書くと腐女子を嫌っているのかと思われるだろうが、まあそういう訳でもないのが人間の良く分からないところであろう。
(2011年1月19日)
次はまた間が開くであろう。待たれたし。