腐ったおなご?
予告と内容が違うが、気になさるな。
いざ考察せん。歴史若道小説家死亡……ではなかった、志望の仁がお送りする、BL・腐女子論二回戦。
なにゆえおなごが殿方同士の恋を好むか、とか言う前に、腐女子の生態を書かなくてはならぬ事に思い至った。ゆえに、まずはそこから。そして、恐らくは読み難いであろうから、口調も現代風に直す。
噂が好きで、やたらと人の恋愛事情を取り沙汰しては仲間内で盛り上がる、こんな光景はオンナノコの間でごく普通に見られる。時にそれは妄想としか言えない状態にまでエスカレートするのだが、まあいいのだ、それが噂の対象に被害が及ばないのであれば。彼女らはそれで日ごろのストレスを解消できるし、妄想という行為は一応想像力という領域の脳の活性化を促す。
それが高まって創作にまで至ったのが腐女子の方々のパロディ同人誌であろう。実在の人物および既成の漫画、小説、映画などの裏話を妄想して一つの物語(大抵カッコいいキャラを絡み合わせる)を作り上げる、どうやらそういったものらしい。らしい、というのはあまり深い知識がないからである。中学生のみぎりに友人に押し付けられたものが人気漫画のそういった二次創作物だった様なのだが、どうも肌に合わなくてそれ以来パロディというジャンルに積極的に触れた事はない。
このパロディと、一から自分で作ったオリジナル、この二つの創作とそういった作品を鑑賞すること、それが腐女子の好物である……恐らく。例外はあろう。
ところで、やおい、という言葉がある。「山なし、落ちなし、意味なし」、というのが本来の意味であり、男色を扱ったパロディ作品をやや貶めて呼んだのが始まりとされているが、現在ではこの「やおい」が男性同士の恋愛作品といった相当な広義で使われる事がある。だが山も落ちも意味もない、と十把ひとからげにして呼ばれる方はたまったものではない。そもそも男色を扱った作品という事だけで一括りにするのは非常に危険であり、不本意である。いわゆる「ジュネ作家およびブーム以前」の作家は明確な主張のもとに作品を世に送り出している。欲望最優先で書かれた物では決してない。勘違いして欲しくないのは、別に快楽を追及する作品を唾棄している訳でもジュネ作家こそ至上としている訳でもない。ただの好みの話だ。私は作品に何らかの実り・収穫を求めたいというだけの事である。
まあそれはともかく、「やおい」の語には未だ明確な定義がない。何気なく連発していた「BL」との使い分けも人によって様々である。ただ、私の感覚としてすとんと落ちてきたのは、パロディなどの二次創作物がやおい、オリジナルがBLという分類である。これは非常に明快で分かり易い。パロディが全て山も落ちも意味もないのかなどは良く知らないし、それを主張した人もその本来の意味を意図した訳でもないだろう。単語だけが独り歩きを始めたただのラベルとしての「やおい」である。一次創作物としての「BL=ボーイズラブ」も、語の指す意味は少年の愛だから、別に一次だろうが二次であろうが、はたまた三次四次であろうが内容的には変わらないだろう。
一話1000字プラマイ2割を一つの目安としているので、次回に。
(2011年1月19日)
すぐに次話をアップします。