坂本龍馬と出会った俺、歴史を変えちまったんで明治維新まで導きますわ
時代は、いつも危機によって目を覚ます。
江戸という、200年以上続いた平和にメスを入れたのも同じく危機であった。
始まりは、ペリー来航だろう。黒船を目の当たりにした人々は恐怖にかられた。
有志たちは思った。
「この国は、このままでいいのか」と。
ペリー来航、安政の大獄、桜田門外の変。
ひとつひとつの出来事が歯車となり、二百年止まっていた歴史は、ゆっくりと回り始める。
時勢という馬が、このとき目を覚ましたのだ。
***
「はっ!?」
俺は目覚めた。
地面に寝転がっている。
重たい体をどうにか起こして、あたりを見まわした。
砂ぼこりに思わず目を細めてしまう。
え?
どこだここ。
いや違う、そうじゃない。
俺は、トラックに轢かれて、死んだはずだ。
トラックの眩しいヘッドライトが、今も脳裏に焼き付いている。
でも生きてる感覚は、確かにある。
……死ななかったのか。
そうか、それならよかった!
まて、それじゃやっぱり、ここはどこだ。
視界が次第に、クリーンになっていく。
そして気づいた。
地面に座り込んでる俺を、怪訝そうに見る小汚い和服を着た人々。
東京ではありえない、平屋の家々。
コンクリートで舗装されていない道。
そして何より、
「……刀だ」
そう、道行く人々の中には、大小の刀を携えている者もいた。
(ま、まさか、これって、)
「おい、大丈夫か?見慣れねえ服着てるが。あ、もしかして、あんちゃん異国人かい?」
俺は、一人の男に話しかけられた。
男は腰に、大小を差してはいない。
俺は立ち上がって答える。
「え、ええと……あの、つかぬ事をお聞きしますが、ここってどこですか?」
会話になっていなかった。
男も俺の答えに目を細める。
「は?何言ってんだ。山城国、伏見だ」
「山城国……?」
「あんちゃん、大丈夫なんだな?わしだって忙しいんだ。もう行くぞ」
そう言って、男はそそくさと見知らぬ向こうへ歩いて行った。
……ま、待て。落ち着け。
道を行く男の腰には大小。
女たちは着物姿で、道は土の匂いがする。
「山城国」
その一言だけで、冷や汗が頬を伝う。
「はは、まさかな」
いやそのまさかだ。
そう、俺は。
俺はトラックに轢かれ、
過去にタイムスリップしたようだ!!!
(……多分な)
俺は見知らぬ道を歩いている。
どうすればいいんだ?何をすればいいんだ?
ていうかこれは、現実なのか?
もしかしたら、案外映画村みたいな場所に瞬間移動しただけかもしれない。
まぁ、瞬間移動自体、甚だおかしい限りだが。
それとも、走馬灯か?トラックに轢かれて、俺は既に死んでいて。
ありえる。
いやありえないだろ。走馬灯が過去にタイムスリップってなんなんだよ。
(はぁ、一人で考えてても埒があかねぇな)
夕日が頬を照らす。
冬だろうか。
冷たい空気が、肌を撫でた。
人々の足が速くなっていく。店じまいの支度をしている者もいる。
足の速さが俺を焦らす。
どうしよ、どうしよう。
あれ、そもそもこのままだと、野宿じゃねえか?
それに、飯だって。
金もなんにも持ってねぇぞ。
と、とにかく誰かに話を聞くか。
うん、そうしよう。
俺は、周りを一周ぐるりと見渡して、見定めたように、店じまいの支度をしている一人の女に話しかけた。
なぜこの女に話しかけたかというと、まぁ言うなれば、そうだなぁ。
めちゃくちゃ可愛かったからである。
丸みのある大きな目、ぷっくりとした涙袋、目の下から口までが短く、幼さと可愛らしさを感じるベビーフェイス。
着物姿がやけに似合う、小柄な女。
(まるで、1000年に1人の逸材みたいだな。よし)
「すみましぇぇぇええん」
このときの俺は鼻の下が伸びていただろう。
なんてったって、俺はトラックが突っ込んでくるのにナンパがやめられなくて、そのまま轢かれたぐらいに、美女には目がないんだから。
生粋の美女好きなんだから!!
「はい?あ、ごめんなさい。今日はもうお店は閉めちゃうんです」
「いえ、つい話しかけてしまいました。お姉さんがとてもお美しくてですね」
「は?」
「あ、そうじゃなくて。お聞きしたいことがあるんですが、今って西暦何年ですか?」
「西暦?」
女の頭には、はてなが生えていた。
「はい。何年でしょうか」
「暦のことでしょうか?でしたら、文久2年です」
「ブンキュウ、?」
今度は、俺の頭にはてなが生えた。
……ブンキュウ?
ブンキュウってなんだ?
もしかして、この時代って西暦を使ってないのか?
まずくねぇか、これ。
このままじゃ、いつの時代にタイムスリップしたのか、それすらわからねえぞ。
ブンキュウっていつだよ。
くそ、学生の頃にちゃんと日本史を勉強しておくべきだったぜ。
頭の中で自問自答を繰り返していると、女が顔を覗き込んできた。
「……あの、大丈夫ですか?なにか考え事をなさっているようですが」
「あ、はい。大丈夫です。ご親切にどうも」
「いえいえ。それじゃ私は戻りますね」
「ええ。ありがとうございました」
彼女は俺に背を向け店の奥へと入っていく。
「あ、あの!」
俺は思わず、呼び止めてしまった。
彼女は足を止める。
「最後にお名前教えてもらえないでしょうか」
「……お菊です」
振り返りざまのお菊の微笑みに俺は、心を打たれるのだった。
俺は相変わらず見知らぬ道を歩いていた。
結局なにも進展してねぇじゃねえか!!
名前よりも先に、宿の探し方とか聞くべきだったぜ。
ったく、なにやってんだか。
とにかく意を決して、どこかの店なり宿なりに入ろう。
そこで最近の情勢を聞いて、自分なりに大まかな年代を知ろう。
じゃないと、今いる時代が江戸時代なのか室町時代なのか、はたまた戦国時代なのかもわからねえ。
でもなあ、正直怖えよなぁ。
だって刀だぜ?
適当なこと喋ったら斬り殺されんじゃね。
はあ。
夕日はとっくに沈み、提灯の明かりが暗闇を照らす。
どれほど歩いただろうか。知らぬ道をただまっすぐ歩いている。
すれ違う人々は、みな俺に目をやる。
理由は明確。
見慣れない服装、見慣れない髪型。
そしてなにより、俺の体がでかいからだろう。
歩いていて気付いたが、この時代の人間は身長が小さい。
当時の人々は現代人より大分小柄だったようだ。
たまに「異国人か?」と武士っぽい人に聞かれた。
怖かった。
やっぱりさっさと、店に入って状況を整理しよう。
うん。それがいい!そうしよう!!
やっとの思いで決心したと同時に、ある店の前にたどり着いた。
そこには、どこかで聞いたことのある名前の店がたたずんでいた。
「……寺田屋」
(寺田屋?寺田屋ってたしか、)
店には明かりが灯り、中からは客と思われる人たちの楽しそうな声が聞こえた。
壁に立てかかっている看板には、旅籠寺田屋という文字が刻まれている。
俺は手を伸ばした。
扉に触れた指先が震える。
寒さか、興奮か、原因はわからない。
引きよせられるように、はたまた運命かのように、俺は寺田屋の扉を開けた。
それと同時に、
日本史という歴史の扉も開けたのだった。
***
俺は扉を開けた。
まず俺の目に飛び込んできたのは、大きな柱。
建物全体を支えるほどの大きな大黒柱が、俺を見下ろしている。
店の中は、質素という言葉が一番似合っていた。
散らかっておらず、大して物もない。
(店というより、旅籠か)
酒と男たちの匂いが、旅籠全体に漂っている。
何人もの客がわいわいがやがや、ツマミの魚をつついていた。
客の何人かが、俺に目を移したがすぐに自分たちの世界へと戻っていった。
俺は、小汚い男二人組の隣に腰掛ける。
「いらっしゃい。あら、異国人のお客さん?」
「いえ、日本人です」
「日本人?お客さん、面白い言い方をするのですね」
何が面白いのだろう。
それに、もし俺が異国人だったとして、本人に「異国人のお客さん?」は失礼じゃなかろうか。
「私は、この寺田屋の女将のお登勢です。何をお飲みになります?」
(……ん?)
「お登勢!?寺田屋のお登勢。やっぱりそうなんですか!?」
「やっぱり?ええ。お登勢です」
やっぱりそうだ。
きりっと結んだ口元、落ち着いた眼差し、そして利発そうな顔つき。そのたたずまいは凛としていて気高さを感じる。
寺田屋のお登勢。
さすがの俺でも聞いたことがある。
たしか、幕末でよく聞く人物だ。
ということは、この時代は江戸時代の末期。
つまり幕末っていうことか。
多少の時代の前後はあるだろうが、大まかに今はそう結論づけちゃっていいんじゃないだろうか。
「あの、今って幕末ですよね」
「幕末?なんですかそれは」
そうか、そうだよな。
西暦が通じないんだから、幕末なんて名称も通じねぇよな。
「ええと、ここ数年に起きた大まかな出来事というか事件を教えてもらえませんか?」
「ここ数年の出来事?」
いいですよとお登勢は言う。
「ですがその前に、何か注文してくださいよ」
「ああ、たしかに。ではおまかせで」
そう言うと、お登勢は台所へと引っ込み、ほどなくして熱燗とツマミのマグロのたたきみたいなものを出してくれた。
冷えた体に熱燗を流し込む。
今日初めて口にする水分に脳が揺れる。
すると思い出したかのように空腹が襲ってきた。
俺は、勢いよく箸を手に取り、ツマミをお口の奥地にダイブさせる。
(んん!!うんめえや!これ!!)
外はさっぱりと香ばしく、中はトロッとした舌触りとマグロ本来の旨味、微かな甘みが舌を統べる。
脂身が少ない赤身だが、しっかりとした旨味とほのかなコクがあり、後味はすっきりとしていて全く重くない。
炙りの香ばしさと生の鮮度の良さが絶妙に調和していて、一口ごとに異なる食感や風味の変化を楽しめるうううう。
なんて食レポを脳裏でしていると、お登勢がいつの間にか語りだしていた。
お登勢の語りを俺は、ただ黙って聞いていた。
結論から言えば。
やっぱりこの時代は、幕末で間違いなかった。
約9年ほど前、ペリー艦隊が黒船4隻を率いて浦賀沖に来航。それを目の当たりにした人々は、異国という脅威を知ることとなる。
それから、立て続けに事件が起こる。
「安政の大獄」が起こり、「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺される。
異国という脅威を危惧した、いくつかの藩は、自国を守るべく改革に着手した。
そういった中で、異国を排除しようとする「攘夷」。また、黒船来航によって、権威が失墜した幕府を「倒幕」しようという思想が、人々の心に芽生え始めていた。
今はそういう時代であった。
(おもしれぇな。教科書通りだな)
だけど明治維新までは、まだまだ出来事が足りない。
これからどんどん事件が起こり、幕末偉人たちが声を上げ、時勢という風雲を切り開いていくんだろうな。
(なんか、ワクワクするなぁ)
俺は酔った頭でそんなことを考えていた。
「――てなかんじですね。どうです?知りたいことは、知れましたか」
「はい。大いに知れました!なるほどなぁ。じゃ次は、そうだなぁこの時代の有名な人とかを教えてくださいよ!たとえば西郷……」
俺はここで、あることに気付いた。
(……あれ、待てよ)
冷静に考えたら、俺って、過去にタイムスリップしてんだよな。
冷静に考えたら、過去にタイムスリップしてるってことが、そもそもおかしい限りだが。
じゃ、あれに気を付けないといけないんじゃないか?
あれだよ、あれ。
歴史を改変しちゃうやつ。
なんて言ったっけ。
えーと、そう!
「タイムパラドックス」だ。
俺が過去に来たことによって、歴史や因果関係が変わってしまい、矛盾や逆説が起きちゃうやつ。
つまりだ、俺という異分子の行動によって、歴史が変わってしまう恐れがあるってことだ。
学生の頃に聞いた覚えがある。
幕末・明治維新は全ての出来事が奇跡のように絡み合ったことでなしえた革命だと。
たった一つでも歴史が違えば明治維新は、成し得なかったと……
他の客の騒がしい声が遠くなっていく。
興奮と好奇心、そして酒によって火照っていた酔いがみるみると冷めていく。
思考が冷静になり、今なお犯している過ちに気付いた。
あ、まずい。
なんにも考えずに、行動してた。
何ならもう、歴史のキーパーソンであろう、寺田屋のお登勢とかいう人物に出会っちゃってるし。
やばくね?
うん、やばい。
一刻も早くここから離れた方がいい気がする。
そして、誰とも関わりを持たない。
なにが歴史の転換点になるか、わかったもんじゃねえからな。
現世に戻る方法は後回しだ。
「お客さん、大丈夫かい?顔色悪いけど」
「……え?ええ。だ、大丈夫です」
(やべぇ、怖くて目を合わすことすらできねぇや……)
おちつけ。
今すぐ、ここを後にする。
そして歴史的人物はもちろん、できるだけ人と関わらない。
よし!オーケー。整理できた。
「あ、あの。僕は、これで……」
そう言って、席を立とうとしたその時。
隣の席の二人組に話しかけられた。
「なあ、おまん、吉村寅太郎ちゅう男は知らんか?わしらは国元を脱藩してきてのぉ、吉村をさがしとるんじゃ」
俺はつい、振り返ってしまった。
急に話しかけてきた男の顔を見る。
その男の腰には、大小が携えられている。
武士だろうか、まげは結っておらず、髪全体を後ろに撫で付けて、束ねていた。
そして何よりこの時代の男より大分と、
(でかいな……俺と大して変わらねぇじゃん)
ニヤニヤとした男の顔は、どこか人を引き付けるような魅力があった。
もう一人の連れの男は、奥に座っていて顔が見えない。
「ちょっと、坂本サン。それ言っちゃだめですよ。脱藩のこと」
「ああ、そうじゃったそうじゃった。すまんのう」
「もう、勘弁してくださいよ」
さ、さかもと……?
まさか。
「ええと、あの、お名前を教えてもらってもよろしいでしょうか」
俺は、聞いてしまった。
なぜだろう。ついさっき、誰とも関りを持たないと決めたのに。
好奇心か、なんなのかわからないが、全身がだめだと叫んでいたのに。
その男の魅力に捕らわれたように。
俺は聞いてしまった。
その男の名を。
「ん、わしの名前か?」
男は少し考えてから。
名乗った。
「わしの名前は、坂本龍馬じゃ」
「はは……ま、まじかよ……」
男の名前は、坂本龍馬であった。
***
「知らない、天井だ」
翌朝、外の騒がしさで、目を覚ました俺は、そんなことを口にした。
体を起こして、部屋を見回す。
ここは寺田屋の二階の宿部屋だろう。
お登勢に運ばれてきたような気がする。
障子をあけて窓の外を見渡す。
やはり夢ではなかった。
知らない部屋、知らない土地。
外では、知らない人々が、和服を着て、朝から作業をしている。
目の前には知らない浜が広がり、大きな船着き場が存在していた。
中身は知らないが、たくさんの荷物を積んだ舟がひしめき合い、川面が見えないほどの賑わいである。
(……やっぱり、幕末か)
ふと自分に視線を落とすと、身に着けている衣類が、和服だったことに気付いた。
袖口が小さく縫い詰められており、時代劇とかでよく見る着物だ。
少し肌寒い。
お登勢が着せてくれたのであろう。
(はあ、やっちまったなぁ、)
昨日のことを、思い出す。
結局俺は、坂本龍馬と酔い潰れるまで飲んだ。
抗えなかった。
龍馬という男がどういう人間か。
どれほどの男なのか知りたかったからだ。
最初は「少しだけ、ほんの少しだけ話をしてみよう」であった。
だけど酔いが回るにつれて、歯止めが利かなくなった。
俺は口達者だったらしい。
まあ、実際の未来の話をあれやこれやとしただけだが。
そんな俺劇場の漫談を、龍馬は熱心に聞いていた。
「おまん、妙なことを言う男じゃのう」と、疑うような言葉を口にしていたが、目を輝かせていたのは確かだった。
お登勢や龍馬の連れは、何を言ってんだと苦笑気味であったが。
俺は「歴史の偉人である坂本龍馬をくぎ付けにしている!!」という優越感で気持ちよくなってしまい、次から次へと話に花を咲かせてしまった。
その後どうなったのかは、覚えていない。
色々思い出そうとすると、吐きそうになる。
二日酔いで頭がかち割れそうだ。
俺は今一度、布団にもぐり、もうひと眠りについた。
「知らない天井、ではないな」
再び起きた時には、すでに日は落ち、夜が更けっていた。
敷布団一枚のせいだろう、ベッド生活だった体が少し痛む。
隣の部屋から、いくつもの男の声が聞こえる。
宿として利用しているお客だろうか。
やけに騒がしいが、何の話をしているかは、わからない。
俺は部屋を出て、一段一段が深い、階段を下りた。
昨日、飲み屋として賑わっていた一階は、客が一人もいなかった。
台所へと顔を覗かせると、そこにはバイトっぽい子たちの二人とお登勢が、三人で手際よく料理を作っていた。
「あら、起きられたのですね」
俺に気付いたお登勢が声を上げる。
「体調の方はいかがですか?ふすま越しにお声をかけても、うんともすんとも言わないから心配しましたよ」
「いや一度起きたんですけどね、二日酔いでこの時間まで二度寝しちゃってました。体調はすっかり元通り。完全体です!」
「そうですか。それはよかった」
お登勢は料理の手を止めず、俺に微笑んだ。
「ていうかお登勢さん、なんで今日は飲みのお客さんがいないんですか?」
「ああ、それはね。いま薩摩の方々がいらっしゃってるから、今日は一見さんはお断りしているんです。薩摩の方々はうちのご贔屓様ですから」
「なるほど」
ということは、さっき二階で聞こえた声の主は薩摩藩かぁ。
すげえな。やっぱ存在すんだな。
じゃもしかしたらあの部屋に、西郷隆盛とかいちゃったりするのかな。
(おら、ワクワクすっぞ!!!)
いや、違う違う。だめだって。
昨日はへましたが、もう絶対誰とも関わらない。
そうだ。タイムパラドックス。
気を付けなければ。
でもどうしようかな。
どうすればいいのだろう。
こんな右も左も分からない土地で生きていくって、
(……無理だ。やっぱり冷静に考えたら無理な話だ。)
誰かに頼りたい。
もういっそのこと好き勝手やって、好き放題に歴史を変えてやろうかな。
いやあほか。
そんなこと、やっていいわけないだろ。そもそもできるわけがない。
(……ん?)
できるわけがない。
うん。
そうだ。
できるわけがないんだ。
確かに俺は、タイムスリップしてきた異分子。
だけど、こんなちっぽけな異分子が歴史を変えることなんて、できるわけがないんだ。
そうだよ!!
それに、歴史というのは運命なはずだ。
なるべくしてなった。
偉人たちが成そうと思ったからなった。
俺みたいな小さな異分子ごときで、大きな運命が狂うはずがない。
(よし!!!!)
そう思うと心がぱーっと晴れやかになった。
たしかに現世に心残りはある。
今すぐにでも戻りたいと思う。
だけど。
戻る方法がわかるまでは、この幕末で生きてやろう。
好き勝手生きてみよう。
楽観的に俺は自分自身を納得させた。
お得意の自問自答で立ち尽くしていると、後ろから肩を叩かれた。
「おまん、起きたか」
振り向くとそこには龍馬がいた。
相変わらずの見た目である。
だが自分自身の心の持ちようが変わったからか、視界に映る龍馬が明るく見えた。
「おまんの講義が聞きたくてのぉ、起きてくるのを待っておったんじゃ」
「なるほど。……じゃ大いに論じてあげましょう!!」
「おお!たのしみじゃ」
俺と龍馬は席に着いた。
龍馬がお登勢を呼び、酒を持ってこさせる。
俺の分のおちょこも運ばれてきたが、さすがに遠慮した。
やっと二日酔いが治ったんだから。
「それで、今日はどんなことが聞きたいですか?」
「そうじゃのう。じゃ、おまんのことを聞かせてもらえんかのう」
「え、?」
「わしは、おまんの名前すら知らんからのう」
龍馬は自分の顎を撫でている。
「たしかにそうでしたね。僕は佐藤幸太といいます」
俺は名乗った。本名を名乗った。
タイムスリップしてきて初めて自分の名を発した。
どうしよう。
この身に起っている全てを話すべきだろうか。
否。
さすがにそれはダメか。
「えっと、ですがそれ以外のことは覚えていないんです」
「………」
「多分、記憶喪失ではないかと。目覚めたら道端で倒れていて、何があったか思い出そうにも、何も覚えていなくて」
龍馬は黙って聞いていた。
うなずくことさえ、してくれない。
ちゃんと聞いてんのか?こいつはと思ってしまう。
お登勢もこちらに耳を傾けているようだった。
いっそのこと、身分も忘れたことにして「たしか、武士だったような気がする」ってことにしてやろうかな。
いいね、名案だ。
せっかくなら武士になっちゃえ!!
「手ぶらであったため、自分の身分がわかるものもなくて。たしかぁ、武士だったようなぁ、」
「……なるほどのう。幸太。多分おまんは学者ぜよ」
「は、?」
「あれほど博識で、異国の知識やこの国を深く論じることができるのは、学者であったからぜよ」
まじかあ。
まあ、そうなるかもな。
「い、いやあ、たしか、武士身分だったような気もするんですが」
「そうなのか?まあ最近は大小を携えながら、国事を論じるやつらも増えたからのう」
そうかもしれないのうと龍馬は言う。
「国元でもそんな奴がおったわい。わしはそんな攘夷だ、倒幕だという空気感がしんどくなってのう。沢村と一緒に脱藩してきたんじゃ」
「へえ。沢村って昨日、坂本さんと一緒にいた人ですか?」
「そうじゃ」
「今は一緒にいらっしゃらないのですね」
「うん。沢村は吉村寅太郎という男を探しに行っとる。脱藩後に合流する予定だったからのう」
「なるほど。そうなんですね」
なんて話していると、龍馬が思い出したかのように声を上げた。
「あ、あと沢村に偽名を名乗れと言われてるんじゃった」
「偽名ですか」
「うん。今後は坂本龍馬ではなく、才谷梅太郎で頼む」
「わかりました!!」
俺は強くうなずいた。
俺たちは、お互いにお互いのことを話していた。
この男とは会話がしやすい。
独特のリズム感がある。
それに加え、龍馬の笑顔には、なにか惹きつけられる魅力がある。
(なるほどなあ。こういった人間が大義を成すわけだ)
そんなこんなで話をしていると、寺田屋の扉が勢いよく開いた。
急な出来事に驚いてしまう。
入ってきたのは武士だ。
日本刀が腰に携えられ、提灯が握られている。
ざっと見、7、8人。
みな息が荒く、走ってきたのが見て分かった。
全員が強張った顔をしている。
まるで何かに意を決したように、何もかもに歯止めが利かなそうな。
俺は思わず、恐怖してしまった。
本能が危険信号を送る。
波風立ててはだめだと。
お登勢が台所から出てきた。
どうするのだろう。
この人たちは、見るからに一見さんお断りで、引き返しそうな人相をしていない。
「あら、薩摩の方々ではないですか。どういったご用件でしょうか?」
「二階にも薩摩の者がおるだろう。その者たちに命がけで説き伏せに来たと言ってくれんか」
「ええ。わかりました」
この人らは薩摩の者たちのようだ。
お登勢は店の使いを二階に送った。
待っている間に、薩摩の何人かが俺たちに気付く。
龍馬は相変わらずヘラヘラとしていた。
「その者たちは誰だ?」
「坂本龍馬ぜよ」
龍馬はさも当たり前かのように名乗った。
(偽名じゃねぇのかよ)
「……今宵の寺田屋は薩摩の者だけと聞いていたが」
「いえ、この人たちは――」
お登勢が説明しようとしたところで、二階から何人かの薩摩藩士が降りてきた。
手には日本刀が握られている。
どういうことだろう。
今から何が起こるというのだろうか。
「有馬。わしらは説得しに来た。君命じゃ頼む。思いとどまってくれんか。頼むこの通りじゃ」
「……奈良原どん、それはできん。たとえ君命であっても、もう後戻りはできんのだ」
おいどんは武士であると男は言った。
「思いとどまらないのであれば、君命によって斬るぞ」
「ああ。端からそのつもりじゃ」
瞬間に殺気が溢れ出した。
お互い、柄に手をかける。
(え、あ、あれ?なんかまずくねぇか?)
その圧倒的な殺気に身の毛がよだつ。
な、なんか巻き込まれている気がする。
ちょっとまて。
何かが、おかしい。
なんだ?
考えろ、考えろ。
あ。
これって。
まさか。
俺は一つの考えがよぎった。
タイムパラドックスは起きない、なんて考えは間違っていたんじゃないかと。
多分、史実であれば今ここに坂本龍馬がいるのはおかしいんだ。
本来であれば、龍馬も沢村と一緒に吉村寅太郎を探しに寺田屋を出ているはずだったんだ。
だけど、俺と出会ったことによって、龍馬は俺という存在のせいで寺田屋にとどまった。
もしかして、歴史が変わったんじゃないか……?
「坂本さん、逃げるぞ」
俺は龍馬に向かって叫んでいた。
「あんたは、ここにいちゃいけない!!!!」
この叫びが引き金となった。
奈良原の刀は抜かれるやいなや一太刀一閃、有馬の顔面にめりこんだ。
眉をひそめたくなるような鈍く湿った音が響く。
刃が眉間から割り入り、頑強な頭蓋骨の半ばで止まっていた。
どばっ
溢れ出たのは、血であった。
俺は大量の血を浴び、その場に立ち尽くしてしまった。
熱い。ぬるい。そして、鉄と臓物が混ざり合った強烈な生臭さが、容赦なく鼻腔を突き刺す。胃液が喉元まで逆流してきた。
斬られた有馬は膝から倒れこみ、やっとの思いで、どうにか己を支えていた。
だが、奈良原と共に踏み込んできた男の大刀が、無慈悲に横一文字に走る。
足元に頭が転がった。
龍馬を見る。
龍馬すらも、己の刀の柄に手をかけたまま、息を飲んでいた。
そう。
こうして始まってしまった。
寺田屋事件が。
史実とは違う形で。
本来なら、この場所にいるはずのなかった坂本龍馬と俺を巻き込んで。
タイムパラドックスを引き起こした、
新たな歴史が動き出してしまったのだ。
***
寺田屋事件は俺たちの目の前で、突如として勃発した。
目の前で、首が跳んだ。
どたん、と有馬の身体が倒れる。
(は?嘘だろ……まずい、まずい、まずい!!)
史実であれば、寺田屋事件というのは薩摩藩士同士の殺し合いなのだろう。
俺も龍馬もこの場にいないはずだ。
だが俺という異分子のせいで歴史が狂い、龍馬をこの場に引きずり込んでしまったんだ。
「坂本さん!逃げるんだ、早く!!」
もしこの場で龍馬が死んでしまったら。
本当に取り返しのつかないことになる。
「幸太、これはいったいどういうことじゃ、」
「二階の薩摩を殺しに来たんですよ! 藩の命で、上から下まで皆殺しです!!」
俺が叫んだ瞬間、返り血を浴びた奈良原の目が、ギロリと俺たちを射抜いた。
その瞳を見ればわかる。正気ではない。人を殺すことに一切の躊躇がない、その眼にはもう迷いはなく。
狂信者のそれだ。
「……なるほど。ワイドンも仲間であったか」
「ち、違います! 俺たちはただの通りすがりで――」
言わせてもらえなかった。
奈良原の足が、寺田屋の床板を叩き割らんばかりの力で踏み込まれる。
「キェェェエエエエエエ!!!!!」
鼓膜が破れるほどの叫び。
振り上げられた大刀が、空気を引き裂く音と共に落ちてくる。
速いとか、強いとかじゃない。あれは「叩き潰す」ための暴力だ。
(なるほどなあ。これが示現流ってやつか……わりい、おれ死んだ)
思考が凍りついた。体が金縛りに遭ったように1ミリも動かない。
目の前が真っ暗になりかけた、その時――
――ガギィィィィンッ!!!!
鼓膜を刺す金属音。
火花が鳴った。
俺の頭上わずか数センチの位置で、奈良原の刀が止まってる。
「……幸太。下がっとれ」
鼓膜に響いたのは、さっきまでの呑気な声ではなく。
腹の底から響くような、冷徹な声であった。
龍馬が、今まで見たことのない顔で、奈良原の一撃を鍔際で受け止めていた。
ギチギチと、互いの刀が悲鳴を上げる。
「わしらは巻き込まれたようじゃな……おまんだけでも、逃げろ」
龍馬の腕が、示現流の圧倒的な腕力に押し込まれ、じりじりと下がっていく。
このままじゃ、龍馬が斬られる……!!
「ひとりで逃げるわけねぇでしょ、あんたと一緒に逃げんだよ!!」
俺はなりふり構わず、床を蹴って奈良原の脇腹へ体当たりした。
奈良原は呻き声と共に、壁に吹っ飛んだ。
「幸太、走れえぇっ!」
龍馬が俺の手首を掴み、扉の方へ突き進む。
だが、裏手や土手からは悲鳴と怒号、そして刀と刀がぶつかり合う凄惨な音が響き渡っていた。
踏み込んできた薩摩の刺客が、逃げ道を防ぐように刀を構えて立ちはだかっている。
「邪魔だぁっ!」
俺は現代人の体格――178.8㎝の巨体を盾にして、向かってくる刺客に体当たりで押し倒した。
横から伸びてきた刀の閃光を、龍馬が最小限の動きで弾き返す。
「ぐ、あっ……!」
一瞬、龍馬からうめき声が聞こえた。
だが脚を止めることはなく。
龍馬は、俺の体を強引に引き、暗闇の伏見の路地へと飛び出した。
薄暗い夜道を、二人で無我夢中で駆け抜けている。
どれほど走っただろうか。
背後の喧騒が遠のいたところで、俺は道端に崩れ落ちた。
ハァハァと荒い息を吐く。
龍馬を見ると、彼の左腕から着物を黒く染める血が滴っていた。
「坂本さん!?血が……!!」
「……かすり傷ぜよ。それより幸太、ここはどこじゃ」
俺はいつの間にか、見覚えのある街並みに来ていた。
提灯の明かりが、かすかに一軒の店を照らしている。
この前、俺が声をかけた「1000年に1人の逸材」
お菊の店だった。
「頼む……誰か、誰かいないですか?助けてください!!」
俺は夢中で店の扉を叩いた。
「まあ……っ!あの時の、」
戸を開けたお菊は、返り血を浴びた俺と、血を流して俺に肩を貸されている龍馬を見て息を飲んでいた。
だが、すぐに奥へ招き入れてくれ、手際よく手拭いと水を用意してくれた。
「大丈夫です、深い傷ではありません。今、薬を塗りますね」
「かたじけないのう」
手際よく龍馬を手当てするお菊。
その横顔は、あのときの幼さとは打って変わって凛としていた。
命に別状はないと分かるや否や、龍馬はそのまま壁に背をもたれて静かに寝息を立て始めていた。
(はは……俺も龍馬もアドレナリンが切れちゃったな……)
静まり返った部屋の中で、俺の手は震えていた。
静寂が訪れた途端、怒涛のような感情が押し寄せてくる。
生きて逃げ切れた安堵感。人を押し倒したときの恐ろしい高揚感。
そして何より――
「俺が歴史を壊してしまったかもしれない」という途方もない後悔と恐怖。
(どうしよう、まじでどうしよう)
頭を抱えている俺の傍らに、お菊がそっと温かいお茶を置いてくれた。
「えっと……お名前をお聞きしていませんでしたね」
教えてくださいと、お菊は言う。
俺はお菊の質問にためらった。
名乗るべきではないだろう。
俺の軽はずみな言動や行動が、歴史を大きく変えてしまう。
お菊と視線が交差する。
(やっぱり俺は、歴史の異分子なんだ、)
だが。
少し困ったように微笑みながら聞いてくる彼女の顔を見た瞬間に。
そんな考えは吹き飛んだ!!
「僕の名前は、佐藤幸太です。マドモアゼル」
「……マドも、?」
俺は美女好きであった。
「幸太さん、ご無事でよかったです」
「お菊ちゃん……」
「私、何もできませんが……ここにいる間は、安心してくださいね」
相変わらず困ったように微笑む彼女に、俺は心からの感謝と敬意を覚えるのであった。
「……ありがとう」
ぽつりと呟いた俺の言葉を聞いていたのか、ふと龍馬が目を開けた。
「……幸太」
「坂本さん、起きられたんですね。寺田屋ではありがとうございました。助かりました」
「ああ、どういたしましてじゃ。……幸太、おまんに話がある」
(……話?何だろうか)
龍馬は怪我をした腕を庇いながら、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
「わしは一度、江戸に下ろうと思う。おまんも一緒に来んか?」
「はい?」
「京や伏見なんぞにおったら、また今回のように攘夷だ倒幕だと過激派に巻き込まれるわい。だからわしは一度江戸に下ろうと思っておる」
龍馬の言葉が、脳内で響く。
江戸。
そこは、坂本龍馬が勝海舟と出会い、本格的に日本の歴史を動かしていく場所。
京都の混乱から離れ、史実の龍馬が辿るべき道――。
(そうだ……)
俺の中で迷いが消えた。
俺の身勝手な行動で、歴史の歯車がズレかけている。
もう、歴史から逃げることはできない。
俺がすでに歴史を変えてしまったのなら――
せめて、俺の知る史実に戻すしかない。
まだ小さい変化かもしれない。
だけど、放っておけば、日本の歴史そのものが大きく変わってしまうかもしれない。
だったら俺が。
俺が、明治維新まで導いてやるんだ。
「……行きます。坂本さん、俺も江戸へ連れて行ってください」
「おお!そう言ってくれると思うとったぜよ」
龍馬は豪快に笑った。
翌朝、まだ薄暗い伏見の街道で、俺たちはお菊と向かい合っていた。
「お菊ちゃん。手当、本当にありがとう。必ずまた会いに来るからね!!」
「はい、待ってますね。幸太さん、お武士様もどうかお気をつけて」
この子は多分俺のことが好きなんだと思う。
うん!そうに違いない!!
(ったく罪な男だぜ俺は。ああ、お菊ちゃんは可愛いなぁ。これが一目惚れってやつかなぁ。お菊ちゃん、変な男に言い寄られないかな。いやいや大丈夫だよね。だってお菊ちゃんはとっても強い子だもん!!それにお菊ちゃんは――)
「おい、幸太。なに突っ立ってるんじゃ。早く行くぜよ」
「……え?あ、はい!!」
俺たちは、お菊に背を向けて歩き出す。
振り返りざまに見せたお菊の涼しげな微笑みを心に焼き付けた。
名残惜しさはある。
だけど、今の俺にはやらなきゃいけない「使命」ができたんだ。
段々と朝日が町を照らす。それでも依然、日本の夜明けはまだである。
俺は狂いかけた歴史を、この手で紡ぎ直すために江戸に向かう。
隣には、にやけた偉人が並んでいる。
相変わらず、俺は見知らぬ道を歩いていた。




