消失の前触れ
十年前、彼女が研究所跡で拾った“欠片”の記憶が鮮明によみがえる。一緒にいたはずの誰かが、忽然といなくなったあの日。その時も確かに――
「……律君」
なおが小さな声で呼んだ。律が振り返ると、視線は窓枠下の影へ向けられている。床に伸びる三つの短い影。
四人のうち一人だけ、足元がぼやけている。
「みおちゃんの……影が」
声が震える。確かに、みおの影だけが輪郭が滲み、薄くなっている。
「おいおい、光の加減だろ」
桑田が苦笑いし、みおの傍に戻ろうとした刹那、教室のスピーカーから電子音が割れ、続いて担任の声が響いた。
「全校生徒に連絡です。現在、学校周辺で不審者の情報があります。全員速やかに教室に戻り、静かに待機してください」
ざわつく室内。生徒たちが一斉に出入り口を見た。窓際の三人は、再び鈴の音を聴いた。今度は先ほどよりはっきりと、高く、清涼で、それでいて――異様に冷たい。
「……不審者なんて、今まで聞いたことない」
桑田がつぶやいた。
その言葉を遮るように、外で激しい雷鳴が轟いた。薄暗くなった教室に、鈴の音だけが不気味な余韻を残し続ける。
みおは自分の足元を見つめた。影はさらに薄まり、輪郭が溶けるように壁際に吸い込まれていく。
胸の奥で暗く燻り始めた。 担任の声がスピーカーから途切れてからも、教室は奇妙な静寂に包まれていた。
その日、夢をみた。
封じ込めたはずの幼い日のことが、今夜もみおの瞼の裏で形を取る。
霧の深い山道を、幼い足が笹を踏み分ける。朽ちた鳥居をくぐると、崩れかけた建物が見えた。
旧研究所。村では「鬼の穴」と呼ばれる禁域だ。床下からは鉄の匂いと、湿った異臭が漏れていた。
暗がりの奥、瓦礫の陰で、みおはそれを見つけた。掌に収まるほどの透明な球。表面に血管のような赤い網が走り、淡く脈打っている。
触れると冷たく、指先に伝わる振動は、まるで小さな鈴が内側で鳴っているようだった。規則正しく、しかし次第に不規則に乱れるその音は、みおの胸をつかんだ。
「きれい……」
背後で枝が折れる音。振り向くと、木陰に人影があった。村長――不登校の佐伯の父だった。彼の目は怒りでもなく、困惑でもない。何かをはかるように静かだった。
みおは欠片を咄嗟に背中に隠した。嘘が唇をかすめる。
「真琴の家で見つけた。神様がくれたの。」
村長は長く息を吐いて、ただ言った。
「──帰れ。道は一人で歩け。」
そして、低い声で続けた。
「このことは誰にも言うな。破れば、大切なものが消える。」
指切りの重さ。帰り道、みおの手は小さく震えた。大人の言葉は鎖になり、以後の十年を縛り付ける。
目が覚めると、布団の中で掌を確かめる。あの冷たさは記憶として残り、夜ごと鈴の余韻が耳を離れない。みおは囁いた。
「……あれが、全部の始まりだったのかもしれない」
朝の光が差し、スマホのアラームが鳴る。現実が音で戻る。
だが、耳の片隅にはまだ鈴が鳴っている。どこかで、誰かが呼んでいるように。
山の斜面で見つかったものが、やがて村の眠りを一つずつ剥ぎ取る。その時、みおはまだそれを知らない。ただ、影が消えかかる自分を見つめていた。




