戻る夜、鳴る鈴
山の空気は、祭りの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
沙夜が足を止める。
白い服が、薄闇の中にぼんやり浮かぶ。
「ほら、見なさい」
静かに、指が下を示した。
みおは、恐る恐る斜面の向こうを見下ろす。
祭り会場だった。
最初は、状況が理解できなかった。
屋台の灯りが揺れている。
人が走っている。
誰かが叫んでいる。
――違う。
それは混乱ではない。
誰かが誰かを突き飛ばす。
殴る。
倒れる。
起き上がれない。
怒号。
泣き声。
もう、鈴が鳴らない。
まるで壊れたように、鳴り続けている。
その中心で、桑田隼が誰かに掴みかかっていた。
顔は歪み、目は焦点を失っている。
叫んでいる。
だが、言葉になっていない。
宮下真琴は、巫女装束のまま地面に膝をつき、空を払いのけるように手を振り回している。
さっきまで舞っていた人とは、別人だった。
集団が、壊れている。
山口刑事が必死に制止している。
「落ち着け! やめろ!」
人波がぶつかる。
体がよろめく。
何かが奪われる。
乾いた音が、夜に弾けた。
一瞬、すべてが止まり。
次の瞬間、悲鳴が爆発した。
人々が逃げ出す。
刃物の光が、あちこちで閃く。
もう、祭りではなかった。
鈴祭りは、終わっていた。
どこからか、声がする。
「おまえのせいだ」
みおの呼吸が止まる。
「おまえのせいだ!」
視界が揺れる。
夢だ。
夢だ。
夢だ。
「……夢、だよね?」
鈴の音が聞こえない。
「振り返ってみなさい」
沙夜の声は、穏やかだった。
みおは、ゆっくりと背後を見る。
木々の間に、影が揺れている。
最初は枝だと思った。
違う。
人だ。
複数。
月明かりが、その顔を照らす。
鈴木トミ。
田辺直樹。
藤原悠。
そして。
父。
母。
声が出なかった。
足の力が抜ける。
村の中心にいた人たちが、すべて、そこにある。
もう、終わっている。
村が、壊れている。
「これは、あなたの運命」
沙夜が言う。
「知らない!」
「変えてみなさい」
みおは走り出した。
枝が顔を打つ。
息が乱れる。
そのとき。
道の先に、影が立っていた。
黒い服。
マスク。
サングラス。
顔が見えない。
手に、光るもの。
足が止まる。
だが、何も言わない。
一歩、近づく。
みおは走った。
足音が後ろからついてくる。
一定の速さで。
離れない。
振り返ってはいけない。
――分かっているのに。
振り向いた。
そこにいる。
黒い服を着た人。
その姿を見た瞬間、背筋が凍る。
「あ……」
記憶が繋がる。
夜道。
視線。
あの影。
「あの人だ……!」
その瞬間ゆっくりと腕を上げた。
月明かりが、刃に触れる。
みおは走る。
転びそうになりながら、前へ。
だが。
足がもつれた。
地面に倒れ込む。
顔を上げる。
もう、目の前にいた。
逃げ場はない。
「やめて……」
そして、腕が振り下ろされる。
衝撃。
息が抜ける。
力が消える。
視界が暗くなる。
姿が、滲む。
夜空が揺れる。
そして。
鈴の音が、逆に鳴った。
チリン。
チリン。
風が巻き戻る。
悲鳴が消える。
光が戻る。
夜が戻る。
世界が、ほどけていく。
――目を開けた。
朝だった。
窓の外から、祭りの準備の音が聞こえる。
カレンダー。
鈴祭りまで、三週間。
まだ、何も起きていない。
けれど。
胸の奥に残っている。
あの夜。
大量の死。
黒い服を着た人。
そして。
どこからともなく、声がする。
「もう一度よ」
チリン。
鈴が鳴った。




