思い出せない夜がある
鈴祭りまで、あと三日。
休み時間の校庭は、ざわついていた。
生徒たちの間に、スーツ姿の男がいる。
山口刑事だった。
教師に話を聞き、次に生徒へ。
順番に、静かに、だが逃げ場のない目で質問している。
やがて、その視線がみおに止まった。
「少し、いいか」
校舎裏の影に移動する。
風の音だけが聞こえる。
山口は手帳を開いた。
「確認だ。昨日の夜、十九時から二十一時頃。何をしていた?」
胸が、強く跳ねた。
その時間。
「……家に、いたと思います」
「“思う”って、どういうことかな」
言葉が詰まる。
思い出そうとする。
村長の遺体。
警察。
夜道。
黒い服の人。
山の爆発音。
沙夜。
そこまでは、ある。
だが、その後がない。
帰宅してからの記憶が、霧の中のように途切れている。
時計は何時だった?
部屋の電気は?
何をしていた?
何も、思い出せない。
「……すみません。はっきり、覚えていません」
山口の目が、わずかに細くなった。
疑い、だろうか。
そのとき、スマートフォンが震えた。
画面を見た瞬間、顔色が変わる。
「……そんな」
低い声。
「分かりました。今すぐ行きます」
通話を切る。
みおを見る。
だが、何も説明しない。
「また、話を聞く」
それだけ言って、足早に去っていった。
校庭に、風だけが残った。
帰り道。
胸の奥がざわつく。
自分は、あの時間、何をしていた?
思い出そうとすると、頭の奥で音が鳴る。
チリン。
鈴の音。
チリン。
思考が、そこで止まる。
まるで、そこから先を考えるなと、誰かに止められているように。
家に着く。
玄関を開ける。
静かだ。
誰もいないはずなのに、誰かの気配が残っている。
机の上に、雑誌が置かれていた。
見覚えがない。
ゆっくり近づく。
表紙に、大きな見出し。
『鈴ノ木村 連続失踪事件、犯人は 篠宮みお』
息が止まった。
自分の名前。
写真。
制服姿の、自分。
いつ撮られたのか分からない。
ページを開く。
文字が、目に飛び込んでくる。
「夜間徘徊の目撃情報」
「精神状態の不安定化」
「犯行時間帯の記憶欠落」
嘘だ。
そんなこと、していない。
……して、いないはずだ。
ページの端に、小さな文字があった。
「鈴祭り当日、容疑者死亡」
その日付は、
明日だった。
呼吸が乱れる。
視界が歪む。
そのとき、気づいた。
自分の指。
爪の間に、黒い土が詰まっている。
昨日、外に出た覚えはない。
袖を見る。
薄く、茶色い染み。
泥。
頭の奥で、鈴が鳴る。
チリン。
チリン。
チリン。
「……違う」
声が出ない。
足の力が抜ける。
床が近づく。
意識が、暗闇に沈んでいった。
鈴祭り当日。
屋台は並んでいる。
だが、人が少ない。
笑い声も、弱い。
この一週間で、村長が死に、教師が消え、事件が続いる。
それでも、祭りは行われる。
止めてはいけないもののように。
神社の前で、真琴が舞っていた。
白と赤の装束。
ゆっくりとした動き。
美しい。
だが、祈りには見えなかった。
何かを、
差し出している動きだった。
周囲の村人たちが、同じ方向を見ている。
みおの方を。
一瞬。
全員の視線が、揃った。
すぐに逸れた。
何事もなかったように。
背筋が冷たくなる。
そのとき。
人混みの向こうに、白い服が見えた。
沙夜。
こちらを見ている。
周りの誰も、気づいていない。
沙夜は背を向ける。
山の方へ歩き出す。
「待って!」
追いかける。
屋台の音が遠ざかる。
気づいたときには、人の気配が消えていた。
足元は土。
山道。
深い、静かな山の中。
沙夜が立ち止まる。
振り返る。
その瞬間。
山の下から、悲鳴が響いた。
一つではない。
いくつも。
同時に。
村の方向から。
チリン。
チリン。
チリン。
無数の鈴の音が、山全体から鳴り始める。
空気が震える。
沙夜が言う。
「始まったわ」
静かな声。
「あなたの番よ」
山の奥から、紫色の靄がゆっくりと立ち上っていた。
逃げ場は、もうなかった。




