愛さえあればそれでいい、なんてことはないと思うけど幸せ(ヤンデレ後日談)
短編「愛していただけるのでしたら、それで構いません」の後日談です。
愛さえあれば、それでいい。
なんてことはないと、私、シャロン・モルテードは目の前の仲睦まじい両親を見ながらいつも思う。
公爵家である我が家の食事は、家族三人で揃ってとるのが決まりである。
本当は四人家族だが、一つ上の兄は隣国に留学中なので不在だ。
私の両親はとにかく仲が良く、夕食時である今も今日の出来事を穏やかに語りあっている。
「デイビッドが君のもてなしに感銘を受けていたよ。私ももちろん感謝しているが、ほどほどでいいからね」
「喜んでいただけたようで何よりです。妻としての務めですもの、しっかりこなしますわ」
「妬いてしまうからほどほどにね。でないと嫉妬でどうにかなってしまいそうだ」
「もちろんです。ほどほどを心がけますね」
「あぁ、ほどほどにね」
二人はどこまでも穏やかだが、父が何ともいえない圧力を放っている気がするのは、きっと気のせいではない。
肩より短く切り揃えたピンクブロンドの髪を持ち、緑色の瞳を穏やかに細める母。
長い黒髪を後ろで束ね、切れ長の青い瞳が涼しげな父。
美しいだけでなく穏やかで優しく慎ましいと評判の自慢の両親は、とにかく仲がいい。
よすぎるほどで、家の中ではいつもいちゃついている。
「……少しやりすぎてしまったようですね……でも数ヶ月ぶりに地下室というのも悪くありませんし……あぁ、どうしましょう」
父との会話を終えた母は、私の隣で頬を染めながらブツブツと呟いている。
これがいつもの光景。
「ねぇ、カーラ。お母様が時たま口にする『地下室』ってなんのことか分かる?」
夕食を終えて食後のお茶を飲みながら、すぐ近くで片付けをしているメイドのカーラに問いかけた。
カーラは手を止めて私に向き合うと、何とも表現しがたい微妙な表情になった。
「……お聞きにならないほうがお嬢様のためかと思いますが、お嬢様ももう十五歳ですし、そろそろいいかもしれませんね……お聞きになりますか?」
「うん、やめておくわ」
不穏な前置きをされてしまい、私は瞬時に断った。
世の中には知らなくていいことがある。
両親が仲が良いということは嫌でも分かるので、それで十分だ。
お茶を飲み終えて自室に戻ると、翌日の学園の準備をした。
教科書にノートに筆記用具、そして甘党な婚約者のためにチョコレートの詰め合わせを忘れずに鞄に入れる。
町で評判の入手困難なチョコレートであり、婚約者の喜ぶ顔が容易に目に浮かぶ。
***
翌日の学園の食堂での昼食後。
甘いものは別腹派な婚約者、エドワードに小さな箱を差し出した。
ミルクティーブラウンの髪を柔らかに揺らすいつも物静かな彼は、甘いものを前にすると人が変わったようにテンションが上がる。
少年のように深紫色の瞳を輝かせる瞬間を見るのが私の日々の楽しみだ。
「これってピーターズ菓子店のチョコレートじゃないか。すごい、すごいよシャロン。どうやって手に入れたのさ」
「ふふっ、私を誰だとお思いで?」
「モルテード公爵家のご息女だね。……あぁ、つまりそういうことか」
「そういうことです」
「ふふ、さすがだね」
貴族の娘らしからぬ少し悪い顔で答えると、エドワードも同じように悪い顔で答えてくれた。
もちろん店に強要して手に入れたものではなく、父に世話になったことがあるという店主からの心遣いにより手に入れたものだ。
幼馴染みであるエドワードは分かってくれていると思うので、いちいちそこまでは言わない。
彼はハートリー伯爵家の嫡男であり、二年前から私の婚約者である。
お互いに想い合って結ばれた婚約なので、私はとにかく幸せな毎日を送っている。
公爵家の娘という立場であり、艶やかな黒髪に緑色の瞳で、父母譲りの恵まれた容姿を持つ私には、幼い頃から婚約の申し込みが山のように届いたらしい。
けれども両親はそれを全てつっぱね、私が自分で相手を選べるようになるまで待ってくれていた。
中には王家からの申し込みもあったようだが、私が少し渋っただけで謹んでお断りをしてくれた。
さすがに問題があるのではないかと心配になったが、母が『心配しなくて大丈夫よ。あちらは私に負い目があるのだから強くは言えないわ』と美しすぎる笑顔で答えてくれた。
後から知ったことだが、母は衆人環視の中で王子に婚約破棄された過去があるという。
その後すぐ憧れの存在であった男性と婚約し、その一年後に結婚したようだ。
結果的に今は幸せだからそれでいいが、自分の娘には不必要に辛い思いはしてほしくなかったという。
「そういえば、最近エドワードが家に来ないからお母様が心配していたわ」
「それでシャロンは何て答えたの?」
「彼は資格取得のための勉強に忙しいからですよ。学園ではいつも一緒に食事をとっていて仲良しだから大丈夫です、って答えたわ」
そう言うと、彼はあからさまにホッとしたように息を吐いた。
「週末の試験が終わればもう落ち着くから、また行かせてもらうよ」
「うん。でも無理しなくていいからね」
「無理はしていないよ。君が泣いたりしなければ大丈夫」
エドワードの困ったような笑顔につられて、私も同じように微妙な笑みを浮かべた。
彼がそんな表情になる理由は分かっている。
私の両親はとにかく愛が重い。
あれは二ヶ月前のよく晴れた日。エドワードが我が家を訪れて、中庭で二人でお茶をしていた時のこと。
甘いものが大好きな彼のために、テーブルの上にはケーキやムースなどが並んでいた。
楽しく朗らかにティータイムを過ごしていたところ、風が強く吹いた。
運悪く私の目に砂埃が入ってしまい、俯きながら涙を流した。
「大丈夫? 目を洗ってきたほうが────……」
心配して声をかけてくれたエドワードの言葉が途切れた。
不思議に思い、涙が止まらない右目を手で押さえながら顔を少し上げると、彼は青い顔で右方を見つめながら固まっていた。
「……エドワードさん、シャロンはなぜ泣いているのかしら?」
彼の視線の先から聞こえてきたのはゆっくりと静かな問いかけ。なぜかは分からないが、死と隣り合わせと思わせるような言葉だ。
エドワードはギギギと音がしそうなほど歪な動きで私の方を向き、目で助けを求めてきた。
母は、私を傷つける存在を許さない。
確証はないが、いつからか私とエドワードの中ではそれが常識となっていた。
「お母様、突風で砂が目に入ってしまっただけなのでご心配なく」
「……まぁ、そうだったのね。すぐに洗いに行きましょう」
恐ろしすぎるほど美しい笑みで底知れぬ圧力を放っていた母に説明すると、母は途端に心配そうに眉尻を下げ、私の手を引いて邸宅へと足を進めた。
「シャロン、どうしたんだい? まさかエドワード君が────」
「風で目に砂が入っただけですのでご心配なく」
「そうか。それなら良かった」
廊下で出会い、瞬間的に冷気をほとばしらせていた父にも軽く説明をして通り過ぎた。
仮にエドワードに泣かされていたとして、ここでもし『エドワードがひどいことを……』などと口走ったが最後。
私は二度と婚約者と言葉を交わすことができなくなっていた気がする。
何となくだが、そう思った。
私の両親はとにかく愛が重い。
初等学園に通っていた頃、私には苦手な男の子がいた。
やたらと触れてきたり、大嫌いな虫を渡してきたり、食べ物を無理やり交換しようとしてきたり。
今なら私の気を引こうとしていただけだと分かるが、当時はこの男の子がとにかく嫌で仕方なかった。
相手は侯爵家の令息であったため、私は幼いながらも問題になってはいけないと思っていた。
やんわりと拒絶しながら、表向きは嫌な顔をせずどうにかじっと耐え、しかしある日プツンと切れてしまい母に泣きついた。
『いつも意地悪をしてくる大嫌いな男の子がいるんです』
『そう……やっぱり嫌だったのね。もう大丈夫よ、よく頑張ったわね』
母はなぜか知っているような口ぶりで、私を優しく撫でながら慰めてくれた。
翌日から、大嫌いだった男の子は私に近づかなくなった。
何を言われるでもなく、ただ相手の方から距離をとるようになり、私は心底ホッとした。
母が穏便に済ませてくれたのだろうと感謝したものだ。
今となっては本当に穏便に済ませたのかは疑問であるが、世の中には知らないほうがいいことがあると知っている。
***
「あー美味しい。幸せ」
エドワードは幸せそうにチョコレートを頬張った。
うん、可愛い。大好きだ。
「シャロンはこれ、もう食べた?」
「家にまだ三箱あるけど、客人用にとってあるから私は食べていないわ」
「そうなんだ。それじゃ一緒に食べよう」
そう言って顔を綻ばせながら箱を差し出してくる彼がとにかく可愛くて、とにかく愛おしい。
「ほら、口開けて」
「自分で食べるからいいよ。恥ずかしいって」
「そっか、残念。あの人に見せつけてやりたかったんだけどな……」
残念そうな彼の視線の先を追うと、離れた席でこちらの様子を窺う男子生徒がいた。
私と目が合うとすぐに逸らし、そそくさと立ち去った彼は、私が大嫌いだった侯爵令息である。
「あの人、まだシャロンのこと諦めてなさそうなんだよな。可愛いから仕方ないと思うけど……今日のポニーテールなんか特に可愛すぎて、他の男に見せるの嫌なんだよな……」
エドワードは虚ろな目でブツブツと呟きだした。
「気持ちは嬉しいけど、あなたまで重いのはちょっとやめてほしいかな」
苦笑いで伝えると、『だよねー』と苦笑いで返ってきたので心底ホッとした。
愛情が重いのは両親だけで十分である。
もちろん愛されていることは嬉しいけれど、ほどほどが一番だとしみじみ思う。
本当に好きな相手と婚約できたことを心から感謝しながら、私は今日も幸せだ。