大切な婚約者は絶対に渡しません!
私とトーマス・ダンジョニスタ伯爵令息様は、貴族では珍しくお互いを好きになって婚約を結んだ。
領地が隣り合っているから、社交界デビューするよりも早く彼と出会って、毎週のようにお茶会をしている間に私は彼の人柄を好きになったのよね。
彼も私――アイリス・サポーティスのことを気に入ってくれて、ある時プロポーズされた。
突然のことに驚いてしまったけれど、トーマス様のことが大好きだった私に頷く以外の選択肢は無かった。
そんなトーマス様だけれど、私の家の領地にある最果てのダンジョン――頻繁に魔物を吐き出しては街に襲い掛かってくる災厄の攻略に先週まで行っていた。
すごく危険なところだから反対したけれど「放置していたら、いずれ魔物がレティの暮らす屋敷を襲いに来る。僕なら絶対に死なないから、大丈夫だ」と言って攻略に行ってしまった。
でも、しっかり1ヶ月で帰って来るという約束は守ってくれて、私達は幸せな日々を送っている。
……はずだった。
それなのに、どうしてトーマス様はクラリス王女殿下に寄り添っているのかしら?
確か、最果てのダンジョンを攻略したら帰還者の称号が与えられて、王女殿下と結婚する権利が与えられると聞いたことがあるわ。
まさか、トーマス様はそれを狙っていたの? でも、すっごく嫌そうな顔をしているわ。
トーマス様が婚約解消だなんて選択をするとは思えない。でも、王命だったらどうなるか分からないわ。
不安になりながら、様子を窺う私。
そんな時、王女殿下が出していいとは思えない太い声が響いた。
「もう我慢の限界ですわ! ジェイク・ゴリアテレス、お前との婚約を破棄するわ!」
王女殿下の隣にはトーマス様が嫌そうな顔をして佇んでいて、向かいにはジェイク・ゴリアテレス侯爵令息様が困ったような顔をして立っている。
この2人は政略婚で結ばれる予定の仲だから、困るのも当然よね。
「隣の美しいお方って、あの最果てのダンジョンから帰還したのよね?」
「ええ。帰還者のトーマス様で間違いないわ」
「確か、帰還者様って王女殿下と結婚できるって言われているのよね?」
「そのはずよ。可愛らしい王女様と結婚したい殿方が躍起になって鍛えていたのはそのせいよ」
「そうなのね。私なら王女殿下との結婚なんて選ばないのに……」
「私も同じ意見よ。殿下って、男好きじゃない。だから浮気されると思うのよね」
そんな会話が近くから聞こえてくるけれど、あまり気にしている余裕は無かった。
ただ、トーマス様がどう動くのか気になって、不安で仕方がない。
でも、彼と目が合うと、私を気遣ってくれるように、笑顔を浮かべて「心配しなくていい」と口だけを動かしてくれた。
指ではハサミを動かすような真似をしていて、王女殿下を掴む仕草をしてから、何かを捨てるように振っていた。
えっと、王女殿下は切り捨てる……?
私だけに向けられる笑顔はそのまま。でも、王女殿下に視線を落とす時の目は完全に蔑むものだった。
これなら、心配しなくても良さそうね!
「私のことがお嫌いになられたことは分かりました。しかし、これは王家の命で結んだ婚約です。このような形で破棄するなど、許されることではありません」
「何を言っているのかしら?
帰還者のトーマスには私と結婚する権利があるのだから、政治的な意味でも私と貴方の婚約は破棄される運命なのよ?
それに、貴方はすっごく汗臭いのよ?」
「ですが、陛下の命を得ずに破棄するなど、許されることではありません!」
この場には、王女殿下以外に非常識な人は居ないみたい。
誰かを蔑むような噂話も聞こえてこないから、王女殿下だけが浮いてしまっている。
そんな時、席を外していた国王が戻ってきて、輪の中に入り込んだ。
「何の騒ぎだ」
「お父様っ! やっと来てくださったのですね!
私、トーマスと結婚するために、ジェイクとの婚約を破棄しようとしていましたの!」
トーマス様は全く乗り気ではないですよ?
陛下、その脳内お花畑のお花は全て摘んだ方が良いと思いますわ。
なんて思っても、口には出せないわ。
でも、そう思ってしまうくらいには王女殿下に腹が立っているらしい。
「この騒ぎはそういうことか。
ジェイク君、娘が失礼なことをしてしまって申し訳ない。君が望むことなら、出来る限りのことをしよう」
「ありがとうございます。では、クラリス殿下との婚約を正式に破棄したく思います。
彼女の気持ちはもう私には向いていませんから、無意味な婚約を続けたくはありません」
「本当に良いのかな? 余に言える事ではないが、もう後戻りは出来なくなる」
「ええ、構いません」
「分かった。
では、国王として命ずる。クラリスとジェイク・ゴリアテレスとの婚約は正式に破棄する。これは王家の都合によるもので、ジェイク殿に非は無い」
「寛大なご処置、ありがとうございます」
国王陛下も、周りの貴族達も揃って常識的なのに、どうしてこんな非常識が生まれたのかしら?
トーマス様が倒し損ねた魔物かしら?
頭は動いていても、こんな状況では一歩も動けない。
私以外の方々も同じみたいで、様子を窺っているだけだった。
けれども、ジェイク様に飛び掛かる人影が目に入った。
あれは、先月握手したときに、そのまま私の手を砕いてくれたメリッサさんね。
ゴリラ令嬢だなんて二つ名が付けられているけれど、普段はゴリラのように温厚で優しいのよね。
ちょっと力が有り余っているだけで、怪我をさせられた時は本当に申し訳なさそうに怪我を治してくれた。
申し訳ないと思うなら手加減の勉強をした方がいいのに、と少し思ったけれど。
「ジェイク様、私と婚約していただけませんか?」
「メリッサ様!? なぜ俺……私のような者との婚約を望むのですか?
私は今婚約破棄されたばかりの冴えない男ですよ?
それと、今は冷や汗で臭いと思うので、近付かない方が宜しいかと……」
「ジェイク様は臭くないです!」
「ですが、クラリス殿下が私のことを汗臭いと……」
「きっとクラリス様のお鼻の中か、クラリス様自身が汗臭いのですわ!」
真顔でそんなことを口にするメリッサさん。
王族に対してその物言いは……。
私も他の方々も同じことを考えたみたいで、顔色が青に変わってしまった。
でも、国王陛下は表情一つ変えずに、王女殿下のことを睨みつけたままだ。
「なっ!? 無礼よ、無礼! お前なんて死刑にしてやるわ!
大体、そんな男と婚約しようだなんて、頭がおかしいとしか思えないわ! だから馬鹿なゴリラ令嬢と言われるのよ!」
「ごめんなさい、地位とか婚約破棄とか、ゴリラ令嬢の私には難しいお話ですの。
ジェイク様はもう自由の身ですから、私が狙っても問題は無いと思うのですけど……」
不思議に思っているかのように首をかしげながら口にするメリッサさんに向かって、王女殿下が手を上げて、次の瞬間には頬を張る乾いた音が響いた。
でも、メリッサさんは何も無かったかのように平然としている。
悔しいけれど、メリッサさんなら1週間もしないで最果てのダンジョンを攻略出来たと思うのよね。
今更だけれど、メリッサさんにお願いしてダンジョンを攻略してもらう手もあったわ。
そうすれば、1ヶ月も寂しい思いをしなかったのに……。
「私が間違っているなら、正解を分かりやすく説明して頂けませんか?」
「なんなのよ……!」
不満そうにする王女殿下の言葉を完全に無視して、ジェイク様に向き合ったメリッサさん。
ゴリラのように強いのは、身体だけじゃなくてメンタルもなのね!
「私にとっては、ジェイク様がとっても魅力的ですの。是非! 私との婚約を受け入れて頂きたいです!」
「……分かりました。私で宜しければ、受け入れます」
「ありがとうございますっ! 大好きです!」
ちょっと軽すぎない……?
そう思ってしまったのは内緒です。
目の前ではゴリラと子ゴリラのハグのような光景が繰り広げられているけれど、多分……この2人は幸せになりそうね。
そんな感想を抱いたら、今度はメリッサさんがトーマス様の方を向いて、手を差し出していた。
これは敵対しないと示す時や、お礼の意思を伝える時の握手の誘いね。
「帰還者トーマス様。ジェイクからクラリス様を奪ってくださってありがとうございます」
「喜んでいただけたなら何よりです。ですが、僕はクラリス殿下と結婚したいとは思っておりません」
トーマス様の言葉に、周囲の方々が驚いたような表情を浮かべた。
同時に、トーマスの手がバキバキと折られる音が響いた。
「あっ……申し訳ないですわ。今治します!」
「あ、いえ、お気になさらず。これくらいの怪我、十分もすれば治りますから」
ちょっと待って?
トーマス様の手を砕くって、メリッサさんの手はどうなっているの!?
今の私は、かなり間抜けな顔をしていると思う。
それでも、イケメンなトーマス様と結婚出来ると信じていたらしい王女殿下の鳩が豆鉄砲を食ったような顔には敵わないけれど。
「どうして!? 私と結婚するためにダンジョンを攻略したんじゃなかったの!?」
「いえ、僕はアイリスだけを愛していますから、貴女と結婚するなどあり得ません。
ダンジョンを攻略したのも、全ては国民の安全のためです」
治癒魔法によって手が元に戻ったトーマスがそう口にすると、周囲からは「流石はトーマス様」「国民のためとは、尊敬出来る」などといった声が上がった。
同じくらい、王女殿下を馬鹿にする声も聞こえるわ。
落ち着いて周囲の様子を窺っていると、トーマス様が私の方に歩いてきた。
「心配させてしまって申し訳ない。みんなに見える場所でしっかりと言っておきたかったんだ」
「心配なんてしていませんわ。トーマス様のこと、信じていましたから」
「そうか、それなら良かった。騒ぎも収まったことだし、一曲どうかな?」
「はい、喜んで!」
ダンスのための音楽が再開されたから、騒ぎがあった場所から少し離れたところでステップを踏む私達。
そんな時、邪魔をする人が現れてしまった。
「アイリス、トーマス様を私に寄越しなさい! 彼は私と結婚する運命なの!」
「トーマス様は私の婚約者です。貴女にも、他の誰であっても絶対に渡しませんわ」
「邪魔が入ってしまったから、場所を変えよう」
トーマス様は王女殿下のことを目に入れないで、そう口にした。
ダンスは中断してしまったけれど、トーマス様が「王女殿下を何とかして欲しい」と国王陛下にお願いしたら、会場から摘み出されていたわ。
そのお陰かしら?
二回目は最後までダンスを楽しむことが出来た。
◇
あの騒動から2年。私はトーマス様と結婚した。
トーマス様は領主になるための勉強中で忙しくしているけれど、食事の時間は必ず私に合わせてくれる。
「元気に育ってね」
「もうちょっと上の方よ」
「この辺りかな?」
「はい」
すっかり日課になってしまった私のお腹の中にいる赤ちゃんに声をかけることも毎食してくれていて、私に愛を囁くことも変わっていない。
そんなトーマス様の役に立とうと思って、私も領主の仕事の勉強をしているのだけど、これがすっごく難しかった。
でも、諦めないで勉強しているから、少しずつ出来ることも増えていった。
トーマス様はというと、かなり余裕があるみたいで、蒸気の力で動く動力――蒸気機関を発明している。
その蒸気機関を動力にした馬車――蒸気機関車まで発明したのよね。たったの一ヶ月で。
お陰で移動の時間が縮んで、貴族も平民も生活が今までよりも便利になった。
そんな世界を変える発明をしたトーマス様は、社交界に出ると「機関車のトーマス様」や「帰還者のトーマス様」と呼ばれている。
すっかりトーマス様は王国の英雄だけれど、どんなに持て囃されても一番に私のことを考えてくれる。
こんなに素敵な人と結婚出来て、私は本当に幸せ者ね。
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