第五話 学生服と共に
家に着くとすぐにミシャさんは学生服を持ってきてくれた。きちんと畳まれた服は、なぜかとても懐かしいもののように見える。
けれど、今は感傷に浸っている場合じゃない。申し訳ないと思いながらも、綺麗に畳まれた服を広げ、ポケットを探る。胸ポケット……ない。ズボンの前ポケット……ない。尻ポケット……あった。
急いで取り出したそれは見慣れた板状の精密機械――スマートフォンだ。身に付けていた服と一緒に、こちらの世界に持ってくることができたんだ。
僕は祈るような気持ちで電源ボタンを押した。
――表示されたのは、充電不足を示す赤い電池のマーク。
僕は項垂れた。
「どうですか? なにか思い出せそうですか?」
心配そうに項垂れた僕を覗き込むミシャさん。今更ながらに嘘を吐いている心苦しさを感じたが、期待していた分ショックは大きくて、ミシャさんの問いかけに答えられなかった。
「それ、なんですか?」
ミシャさんは僕の手にあるスマートフォンを指差して、不思議そうに聞く。記憶がないことにしているから、滅多なことは言えない。迷わずスマートフォンを探し出す、さっきまでの行動に違和感がないと言えば嘘になるけど。
「えっと、僕にとって大切なものだったんだけど……エネルギー切れというか、今使える状態じゃないみたいで」
ミシャさんは興味津々といった様子でスマートフォンを見ていた。
「持ってみますか?」
ミシャさんの顔がぱっと明るくなった。いいんですか? と両手を差し出すので、その上にスマートフォンをそっと置いた。
「わっ……見た目より重いんですね」
言われるまではむしろ軽いと思っていたが、たしかに見た目より重いのかもしれない。ミシャさんは手のひらの上からスマートフォンを少しも動かさず、自分の顔を動かしていろいろな方向から観察していた。
「ありがとうございます。なんていうか、変わった工芸品ですね。これを見せて聞いたら、なにか手がかりが掴めるかも!」
ミシャさんは興奮しているのか、鼻息荒く言った。あまり人目に触れさせない方がいい気がするけれど、ミシャさんが元気になったので、何も言わないでおく。
ミシャさんは手がかりが増えたと嬉しそうにしているが、僕のほうは正直落胆していた。スマートフォンがなにかの打開策になるかもと思っていたのに、電池切れ。ミシャさんの反応を見る限り、この世界に電化製品といったものは存在しない。当然充電もできない。今のスマートフォンは無用の長物なのだ。
「マヒロさん、これお返ししますね」
ミシャさんは満足そうな顔でスマートフォンを返してくれた。
「さてと、ダグラスさんのところに持っていく荷物、まとめないと」
ミシャさんはぽんと膝を叩くと、奥の部屋に歩いて行ってしまう。
「あっ、それは自分でやります!」
慌ててミシャさんの背中に声をかけるも、ミシャさんはいいからいいから、と僕を置いて奥の部屋に入ってしまう。ぱたりとドアを閉められ、追いかけるのも躊躇われる。
仕方なく、手元にある学生服を畳む。スマートフォンは念のため尻ポケットに戻して、学生服で包み込むように畳んだ。
いざ学生服やスマートフォンを前にすると、途端に元の世界が懐かしくなった。胸がきゅーっと苦しくなる。これがホームシックってやつなんだろうか? 目が覚めたばかりの時は、自覚はないけど新しい環境にいっぱいいっぱいだったんだろう。こうして一息ついてみるとその反動が一気に押し寄せてきた。
向こうの世界では僕は死んだことになっているんだろう。もちろん今みたいに異世界転移していなければ、僕は完全に死んでいたわけだし、運がいいと言えばいいんだろう。不幸中の幸いってやつだ。
心残りなのはお別れが言えなかったことと、妹とは喧嘩別れになってしまったことだ。
どんよりとした気持ちでいると、奥の部屋のドアが開いた。ミシャさんだ。
「一通り必要なものをまとめました。いつでもダグラスさんのところに――ってどうしたんですか? マヒロさん……」
ミシャさんは一瞬ぽかんとした様子だったが、すぐに眉を八の字にして心配そうな顔になる。ミシャさんは困った様子で僕の顔を見ているので手をやると、じっとりと濡れている。気が付かないうちに泣いていたらしい。
「あっ、こっ、これは大丈夫です!」
慌てて取り繕うも、ダグラスさん公認の世話好きミシャさんが止まるわけはなかった。すぐさま僕の隣に来て、優しく背中をさすってくれる。ミシャさんは僕の言葉を待っているのか、何も言わない。
僕はミシャさんに言えることがなくて、ただただしゃくりをあげながら、ミシャさんに背中をさすってもらうことしかできなかった。