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名残惜しそうにしているフーゴから容赦なくブライトナーを引きはがして、寮へと向かう。夕食後の大広間ではココア片手に集った同級生や、まだ制服のままだらだらと読書をしている上級生など様々で、本当ならアルベルトも今頃この中の一員として寮の仲間と打ち解けてもいいはずなのに、ブライトナーの世話にかかりっきりで大広間に行くような暇などないのが実情だった。
かねてから寮長ミネギシのお気に入りの後輩だったブライトナーがやらかした出来事に、寮の面々は興味津々らしく、大広間を足早に通るアルベルトと彼に抱えられてきょろきょろと辺りを見回すブライトナーの二人には、ドアを開いて一歩足を大広間に踏み入れた時から、熱い視線が注がれている。
(あー…自分でやらかしたこととはいえさっさと解放されたい)
アルベルトは胸の内で愚痴を漏らす。ブライトナーが元の大きさに戻りさえすれば、いくらでも問い詰めることができる。
ばたん、と逃げこむように、自室のドアを開ける。
抱えていたブライトナーをそっとベッドにおろし、制服のネクタイを緩める。
不安そうに注視してくるブライトナーの視線に気づいて、軽く頭をなでてやった。
『アルはキラキラしててすっとしてて王子さまみたいでかっこいいです』
ずいぶんうれしいことを言ってくれる。元に戻ったブライトナーが、自分がそんなことを言ったと知ったら怒り狂う事だろう。
寝る前にブライトナーにシャワーを浴びさせなければならない。一人じゃ無理だろうからアルベルトが手伝ってやらなければならないし、そのための労力を考えるとアルベルトは途端に湯鬱になった。
「ロイク、シャワーに行って着替えよう。もう眠たいだろ?」
「ん」
今朝、自分が駄々をこねたせいでアルベルトが迎えに来なかったと思っているのか、ブライトナーはやけに素直だ。
んしょ、とベッドから降りるブライトナーの脇で、アルベルトは自身のシャツからネクタイを抜き、ズボンの裾を折り曲げる。どうせ、今晩着替える時にランドリールーム行きのボックスに入れておこうと思っていた制服だから、濡れても構わないだろう、と思った。
慣れずにうまくボタンが外せないのか、もたもたと服を脱いでいるブライトナーを手伝ってやる。
ふと小さくなる前のブライトナーの白い肌とタオルの隙間から覗く柔らかそうな乳房の形が脳裏に浮かんで、慌てて打ち消した。
「…アル?」
「…っ!いや、なんでもない」
こてん、と首を傾げて見つめてくるブライトナーを見ていると、アルベルトは自分がとんでもなく悪い人間になったような気がした。
慌てて止まっていた手を動かし、ブライトナーの服を脱がせる。
当たり前のことだが4歳のブライトナーに妙な色気はまったくなく、ぺたんこの胸とぽこんとしたおなかのまま、くちっとくしゃみをするので、慌ててシャワールームのドアを閉め、蛇口をひねった。
「ほかほかする」
再びアルベルトの手によって着せられた新しいパジャマを、ブライトナーは気に入ったらしい。
ミス・スワンが調達してくれた子供用のパジャマは、生地がしっかりとしているが柔らかく、ズボンもブライトナーちょうどいい丈だった。着替えさせたブライトナーをベッドに押し込んで、アルベルトは手早くシャワーを浴びた。
少しでも油断したら立ったまま寝てしまいそうなくらい疲れ切っていた。
髪もろくに乾いてないままベッドに向かうと、何故か隣のベッドに押し込んだはずのブライトナーがちょこんとアルベルトのベッドに腰掛けていた。
「…そうか、一人じゃ眠れないんだったな」
首にかけていたタオルでガシガシと頭を拭きながらブライトナーの隣にアルベルトも腰を下ろすと、ぎしりとベッドが軋んで、スプリングが上下したせいで、ブライトナーがゆらりと揺れた。
湯に浴びて血行が良くなり触媒の巡りがよくなったせいか、腕輪と触媒とに慣れずに反発しあっているのか、ずきずきと左腕が痛む。痛みを無視して、ブライトナーを抱き上げ、布団の中に入る。
しかし、ブライトナーは敏感にその一瞬の表情の変化を読み取ったらしく、「だいじょうぶ?」と声をかけてきた。
こうして素直で小さいブライトナーはかわいいのに、どうして成長するとああも嫌味っぽくなるのだろう、とアルベルトは不思議でたまらない。なついてくるブライトナーを無下には扱えずに、だんだん絆されていることをアルベルトはなんとなく自覚している。
半袖のシャツから剥きだしになっている腕輪に、ブライトナーのもみじのような小さい手がそっと触れる。
「いたそう」
「…そうだな」
頭を撫でてやると、猫の顎を撫でてやった時のように目を細めるので、なんとなく離れがたくなって、布団の上からそっと身体をさすってやっていたのは最早無意識だった。
「これ、おとうさんもつけてた」
閉じかけた瞼を無理矢理こじ開ける。
ブライトナーの父のことのようだ。もしかしたら、彼女が本当は何者か分かるかもしれない。
「お父さんも魔導士だったのか?」
「たぶん」
「そうか。お父さんとは一緒じゃないんだな」
「おとうさんはわたしがうまれるまえにしんだ。おかあさんが見せてくれたしゃしんにのってた」
瞼をこすりながら額を押し付けてくるブライトナーの身体は、子供独特の熱を持っている。布団の中がじんわりと温かい。
「…悪かったな、じゃあいまはお母さんと一緒に住んでるのか?」
「おかあさんもこのあいだしんだよ」
ぎょっとして起き上がろうとしたが、すんでのところで抑えた。今起き上がれば、アルベルトにくっついて眠たげに瞼をこすっているブライトナーを驚かせることになる。
ブライトナー家の母は、社交界でも評判の美女でアルベルトは幼い時に一度見かけたことがある。噂に違わぬ美人で一緒にいた父も生気を抜かれたような阿呆面をして眺めていた。フロイデンタールに入学してから、世間から隔絶されて巷の噂に疎くなってはいるが彼女が亡くなったという話は聞いたことがない。となれば、ブライトナーは一家の嫡男ではない、ということになる。
むしろこれ以上今のブライトナーに何かを尋ねて予期せぬ答えが返ってくるのが恐ろしい。
こいつは自分の手におえるんだろうか、とアルベルトは頭を抱えたくなるのをこらえて、一足先に穏やかな寝息をたてるブライトナーの寝顔を見つめていた。