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在学5年目にして、アルベルトはミスタ・ウルフの困ったような、呆れたような、こんな顔は初めて見た。
「不幸中の幸いだ」
「はあ…」
まだずきずきと痛む、包帯を巻かれた頭をかしげながらも、アルベルトは直立不動で立っていた。
「触媒を注射した直後で全身に行き渡っていなかったことで、体内の魔導回路がうまく組み立てられなかったんだろう。そのために、不完全な魔導回路でも魔力を発動させるために自分の身体の大きさを変えたんだ」
「…そうであれば、別に記憶は今のまま残っていてもいいように思うのですが…」
「黙れ、ベルクマン。なにがどういう仕組みで起こったのか正直、俺には分からん。だが、お前にも責任の一端があることは確かだ」
「…なぜです」
「ブライトナーの魔力が暴発するぐらい二人で騒いでいたのは確かだろう。お前らが犬猿の仲だっていうのは知ってる。いいか、仲良しこよしの連中とばっかり仕事ができるほど軍は甘くないぞ?!」
「…はい、猛省しています」
ミスタ・ウルフは厄介ごとの押し付け先がみつかって心底ほっとしているようだった。彼の武骨で荒々しい容姿では見るからに今回の騒ぎには不適任だ。
アルベルトの足元にまとわりつく小さな生き物に、ミスタ・ウルフがちらりと視線をやる。
「ブライトナーが元に戻る方法は我々でなんとか探す。それまでの面倒は責任もってお前が見ろ……言っておくが、今回のことは年次成績に二人ともしっかり残すからそのつもりでいろ!!」
「…はい」
怒鳴るミスタ・ウルフに怯える小さな生き物は、ぎゅっとアルベルトのズボンにしがみついた。怯えるその姿にミスタ・ウルフが若干傷ついたような表情を浮かべたのは、アルベルトの勘違いではないと思っている。
*
ブライトナーが小さくなった。
いや、正直シャワールームで見かけたブライトナーは女だったから、そもそも「ロイク・ブライトナー」があの女なのか、それとも何事か企んで潜り込んできたのか、それは定かじゃない。共学であるフロイデンタールに敢えて性別を偽って入学してくる理由も分からない。
しかし、とにかく今現在、確実に言えるのは、アルベルトがこの小さな少女の面倒をみなくてはいけなくなった、ということだ。
足にまとわりつかれてはまともに歩けない。仕方なしにブライトナー(と思しき)少女を抱え上げて、寮へと向かう。周囲の学生たちの興味津々の眼差しが心底うっとうしい。
とりあえず裸でいさせるのも、と思ってブライトナーの荷物からTシャツとカーディガンをあさって着せてはみたが、ぶかぶかでワンピースのような様相を呈していた。そもそも、この子供がブライトナーだとして、女だという事を公にしていいのかもよく分からない。先程のミスタ・ウルフの様子では、ブライトナーが小さくなったという事には十分驚いていたが、それ以外には何も言われなかった。とすれば、学校側が、ブライトナーが女だという事を周知している線は消えるはずだ。
詳しい話は元に戻ったブライトナーに聞くしかないとして、それまでは騒ぎにならないように(ブライトナーが小さくなっただけでも十分騒ぎだが)適当に男物の子供服でも着せておくか、と寮への道すがら考える。
「ベルクマン」
寮の手前で急に声をかけられて思考が停止する。
「…あ、ミス・スワン」
主に基礎課程の授業の中の魔術概論を受け持っていた女性教員だった。大きな箱を抱えている。魔術概論にはいい思い出がない、とアルベルトは内心思う。
「よかったわ、間に合って。ミスタ・ウルフからお願いされて、小さな男の子が着るような服はないかっていうものだから、慌てて城の使用人を街に行かせたの」
「…それは、すみません。本当にありがたいです」
当の本人はアルベルトの腕の中で、こてん、と首をかしげているが。
「ごめん、ちょっと降りてもらえるか」
不安そうに涙ぐむブライトナーに『なぜ自分がこいつのご機嫌をとらないといけないんだか』と思いながらも、優しく声をかける。ブライトナーは唇を噛みしめ、返事もしないままずるずるとアルベルトの腕の中から離れていった。
ミス・スワンが声をかけてくれたのが、寮の近くで助かった。
小さくなった同室者と、彼の(というか彼女の)ための荷物を抱えて廊下をひたすら歩くのは憂鬱だろうし難儀だったろうから。
重い扉を閉めて、息をつく。元々、ブライトナーは瞳が大きく印象的な目元をしていたが、小さくなったことでその瞳がより雄弁になっているように感じる。黒々とした目でじっと見上げられると、別にアルベルトに後ろめたいことはなく、むしろブライトナーの身元の方がはっきりしない状況なのに、物凄く気まずい。
「あー…きみ、名前は?なんていうんだ?」
「…ろくさーぬ」
まずい、どうやらブライトナーはこの時『ロイク・ブライトナー』と名乗っていなかったらしい。ますますこいつが本当にブライトナーの家の者か怪しい。
「ろ、ロクサーヌって言うのか。…じゃあ、お父さんの名前は?」
「……しらない」
「知らないってことはないだろう。ブライトナー家の者か?」
「………しらない」
先ほどより小さな声でささやくようにつぶやいた。小さく丸まっこい爪をした両手が、ぎゅっとぶかぶかのTシャツを握っていた。
その瞳が潤んできたように感じて、アルベルトは慌てる。いくらブライトナーとはいえ、幼女を泣かせる趣味はない。
「あー…悪かった。知らないんだな。…えー…と、ロクサーヌは何才?」
しゃがみこんで目線を合わせるようにするアルベルトに、ブライトナーはパッと片手を見せた。親指だけが折られている。
「…4歳?」
「…よんさい」
4歳だって?そんな年の子どもなんてどうやって扱えばいいのか分からない。アルベルトは途方に暮れる。取りあえずこの先世話してくれる人間のことはブライトナーも知っておきたいだろう。自己紹介ぐらいしておくか、と思う。
「俺はアルベルト・ベルクマン」
「…あるべる…べる?」
「ア、ル、ベ、ル、トだ。アルベルト・ベルクマン」
「ある…べる、べるく…」
「あー…アルでいい。言いにくい名前だから、仕方ない」
心なしか、ブライトナーはちゃんと名前を呼べずにしょんぼりしている様子だ。子ども特有のさらさらの髪の毛が気持ちいい。その質感の良さに、ようやく無意識に自分がブライトナーの頭を撫でていたことに気づくのだった。
「代わりに俺もロクサーヌのことあだ名で呼んでいいか?」
ロクサーヌ、ロキシーと呼んでしまうと、ブライトナーが女であったことがバレてしまう。ロイクをあだ名として呼ぶ、というのはベルクマンが考えた苦肉の策だった。
「はい」
小さくなったブライトナーが、こくりと頭を動かした。