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大広間に並ぶ5年生。
つい先日の進級式の時よりは人数が少ない。
一日の授業を終えてこの大広間に並ぶのは、腕輪を望む魔導士志望の学生たちだ。アルベルトの2列前には、当然ながらブライトナーの姿もあった。
「皆、覚悟していると思うが、腕輪を望むという事は大きな代償を払うという事だ」
魔術学全体を統括する学科主任の教員ミスタ・ウルフはその名の通り狼のような雰囲気を全身から発している元陸軍所属の魔導士だ。顔の左側を大きく横断する傷があるのは、かつて代償として左眼を魔術詠唱のためにささげたからだ。
その時、彼の腕輪にはたった2本のボルトしか残されていなかった。魔力を伝導する力の強い特殊な石で造られたボルトは、触媒の力を更に引き出すのと同時に、魔力を発動させるための代償としての効果を果たす。しかし、2本のうちどちらかが外れてしまえば、腕輪は外れてしまう。ボルトを使い切って魔物化するか、肉体の一部をボルトの代わりに代償とするか。魔導士として極限の状況に追い込まれた彼は後者を選んだ。だからこそ、今、魔導士を目指す者たちを教え導く者として招かれたのだ。
十数年前に王都に異常発生した魔物と化した「害獣」達の駆除を前線で指揮していたのが彼だというのは、城の人間なら誰もが知る事実だ。しかし、彼はその手柄と同時に、その傷によって退役を余儀なくされた。
そんな彼を城へスカウトしたのはフロイデンタールの学長だ。
ミスタ・ウルフの左腕には今も武骨な太い腕輪が鈍く光っている。
「その覚悟がない者は今すぐこの場から去れ」
しんと張り詰めた空気の中、誰もが身じろぎすら止めていた。残された唯一の右の目で、大広間の学生をゆっくりと睥睨する。
「順番に前へ出ろ!」
医療用よりはるかに針の太い注射器を持った医務室の職員が数人いる。薄紫色のようにも見えるあの液体が、魔力を引き出す触媒となって自らの身体を巡り、これからの自分たちの行く末を決める。
そう思うと、奇妙な気持ちだった。気休め程度にアルコールのようなものを腕に塗られ、太い針が腕に突き刺さる。針が大きい分痛みも強い。
徐々に注射器の中の液体が少なっていくのを間近に見て、いよいよもう後戻りできないのだと、アルベルトは実感していた。
全員が注射を終えると、触媒が全身に回る明日以降を目処に、一人ずつ腕輪の装着も進めていく、と伝えられた。一人あたり数人がかりでの作業になるから、早くて二日以内には全員が腕輪をつけ終え、最初の実践魔術Aの時間には間に合うだろうと事務的に伝えられた。
痛みの名残のせいか無意識に左腕をさすってしまう。
明日か明後日にはこの左腕に、外すことのない金属の腕輪が装着されることになる。
青い顔をしたブライトナーは「自分は夕食要らないから、ベルクマンは一人で食事を済ませてきたらいい。もう食堂の席は分かっただろ」とかいって足早に部屋に戻っていった。
細っこい身体のあいつのことだから、どうせ触媒の注射で具合が悪くなったに決まっている。情けない。
とはいえ、アルベルトもこれからのことを思うと気もそぞろで、落ち着いて夕飯を食べるような気にはなれなかった。トレイにパンとビスケットだけをそのまま載せて、部屋に持ち帰って腹が減った時にでも食べようと考えた。結局、ブライトナーが部屋に戻ってそう時間が経たないうちに、アルベルトも寮へと向かっていた。
ドアを開けると、ブライトナーの姿はなく、ベッドのカーテンも開いていて、部屋はしんとしていた。大方、風呂にでも行ったんだろう。
アルベルトは、いかにも良家の子息でございます、という外見に反して、意外とそういったことには無頓着で、忙しいときはシャワーで十分だし、朝もきれいに身なりを整えるより限界まで寝ていたい、という性質だった。
そういえば今朝もシャワーだったな、と制服のネクタイを緩める。ブライトナーも外出していることだし、ワイシャツとスラックスは自分のベッドに放り投げておいた。
ガチャリ、と狭っくるしいシャワールームのドアを開ける。
最初に目に入ったのは白い背中だった。濡れた黒の短髪がうなじにはりついている。
「きゃっ…」
「……え、ブライトナー?!」
丸みを帯びた腰。柔らかそうな太腿。一瞬で目に飛び込む情報量にくらりとする。タオルで隠しきれていない乳房の白さ。
「お、まえ…女なのか」
咄嗟に細い手首をつかむ。狭いシャワールームの洗面台と自らの身体でブライトナーを閉じ込める。
「はなせ」
羞恥と混乱と先程まで湯にあたっていたせいで真っ赤に火照った顔でブライトナーがもがく。彼、いや彼女も何が起きているか分かっていないに違いない。
「なぜ男のふりをしてた…」
「はなせ」
「ブライトナー」
「はなせ!!」
暴れるブライトナーを押さえつけようとした結果、ガタン、と大きな物音と共に裸体のまま彼女はバランスを崩し、床に倒れこんだ。彼女の手首をつかんでいたアルベルトも、つられて体勢を崩す。
「ブライトナー家にいたのは息子だと聞いている…お前、何を狙ってフロイデンタールに潜り込んだ…いったい何者だ」
一層ぎりぎりと手首を締め付け、彼女の身動きを封じようとしたその時。
『サワルナ!!』
強烈な力で、アルベルトの身体は撥ね退けられた。
反射的にまずい、と思う。こんな強力な力が働くなんて、原因はひとつしかないに決まっている。
魔力だ。それも感情に合わせて、魔力が暴走している。
「ブライトナー!やめろ!!」
起き上がろうとするアルベルトだったが、まるで爆風のように瞬間的に大きな力の波動を放つブライトナーに弾き飛ばされ、シャワールームの入り口に強く頭をぶつける。
(やばい…ブライトナーがこんなところで魔物になったら、まず真っ先に俺が死ぬ…)
必死に意識をつなぎとめようとするアルベルトの努力も虚しく、視界は急速に白んでいった。