4
夜中の2時。
死屍累々といった様子の大広間を後にする。結局、アルベルトがまともでいられたのはフーゴと一緒にいたあの短い間くらいのもので、あれから同級生やら先輩やらに酒なのかなんなのかよく分からないものを飲まされたり、なんか面白いことしろだの無茶ぶりされたり、寮長のディーンから『お前、将来男前になりそうだから芽を摘んどかないと!』だのと意味の分からないことを言われて、ブライトナーよろしくもみくちゃにされたり、なんだかよく分からないが大変だった。
それでもえらくタフな最上級生の10年生たちは『明日は遅刻すんなよ、お前ら』とか言って、さっきの暴れっぷりなどなかったかのようにしゃんとして大広間を出て行った。
何かとディーンの尻拭いばかりしているらしい副寮長のシェリーは大広間の惨状を見て諦め顔だったが。
一足先にうまいこと大広間を抜け出したらしい、ブライトナーはとっくに寝巻に着替えてベッドに潜り込もうとするところだった。
アルベルトがドアを開けると、びくりと見ている方が驚くくらい大きく肩を震わせた。
どうやら完全に気を抜いていて、他人の気配に気づけなかったらしい。
ベッド脇の読書灯となる小さなランプだけが点けられた状態だったから、わざわざアルベルトが着替えるために灯りをつけるのもなんだか遠慮してしまって、暗闇の中で制服のワイシャツを脱ぎ、ズボンを履きかえた。
「…っ、ベルクマン!着替える時くらいカーテン閉めたらどうなんだ!」
「はあ?」
何面倒くさいことを、とそのままワイシャツをハンガーにかけ下着のシャツ一枚でベッドに入り込む。
「……」
ブライトナーもアルベルトに何か言う気は失せたようで、そのままシャッとベッドの上に備え付けられたカーテンを引いてしまった。やがて唯一の灯りだったブライトナーの小さなランプも消えると、規則的な時計の秒針の音と、寝付けないままお互い息を押し殺している小さな二人の気配だけがその部屋に残った。
目を覚ますと、同室のブライトナーは既に起きていて、半ば身支度を終えたところだった。相変わらずの隙のなさに苛立つ。
「…起こせよ、ブライトナー」
「…今から準備しても十分朝食には間に合うだろう。……別にわざと起こさなかったわけじゃない。間に合わなそうだったら声ぐらいかけるよ」
なぜか言い訳のように早口で言い捨てる。俯いたままネクタイをしめるブライトナーの表情は、ベッドの中のアルベルトからは窺えない。少なくとも同室者へのちょっとした気遣いくらいはさすがのブライトナーでも持っているらしい。
くあ、とあくびを噛み殺し、伸びをする。
5年生として最初の授業。きっと、この城の中でするたくさんの選択のうち、最も大きな選択のひとつを今日することになるはずだ。
腕輪を望むか、望まないか。
実地教程に入ることは各人がそれぞれの道へ歩みだすことを意味している。
きっとブライトナーは聞かずとも腕輪を望むだろう。部屋に備え付けの狭いシャワールームへ向かう。寮の共同浴室があるが、わざわざ朝っぱらから風呂だけのために移動するのも面倒だ。
入学当初に比べてだいぶ身体が出来上がってきたせいか、起き上がるとぎしりとベッドが軋んだ。
「…お前はもちろん腕輪をはめるんだろ?」
急に投げかけられたブライトナーは、ぱちりと目を瞬かせたが、やがてふっと口元を緩めた。
「…それ以外の道があったらききたいね」
そう言って笑うブライトナーにいつものふてぶてしさはなく、アルベルトは言葉を失った。初めて見たあの表情を、なんと呼べばいいのか、アルベルトは未だ知らない。
食堂に来ると、フロイデンタールでの一日が始まる、とまざまざと実感する。決まっているわけではないが、各寮に暗黙の了解で所定の席がある。だからこそ混雑している時間でも、どこかの寮の生徒があぶれたりすることもなく席につけるのだが。
なぜかアルベルトの支度が終わるのを待ってくれていたらしいブライトナーに従って、食事のトレイをもったアルベルトは席へ座る。
ブライトナーは元々ブロードハーストだから、朝食の時の席をアルベルトに教えてやらなきゃと思ったんだろう。アルベルトはそう考えることにして、さっさとパンにかじりついた。
横目でスープに口をつけているブライトナーの様子を窺う。黒く長いまつげは伏せられていて、スープの湯気がぶつかっている。湯気の熱気のせいか鼻の先と頬が赤らんでいて、その白い皮膚の下が透けて見えるようだった。
しっかりと第一ボタンの上まで止められ、ネクタイのゆるみさえ感じられない首元は少々窮屈に見える。10代の青年特有の男くささを感じさせない奴だな、とアルベルトは思う。
猫舌なのか、あまりにもスープの器に顔を近づけて息を吹きかけているものだから、流している前髪の先が、今にもスープに落ちそうだった。
「え?」
「……え??」
ブライトナーの声で我に返る。アルベルトは気づかなかった。無意識にアルベルトの前髪を払ってやっていた。
驚くブライトナー以上に呆気にとられているのがアルベルト本人で、犬猿の仲だと学内でも有名な二人の珍しい場面に、周囲の学生も動きを止めて注目している。
この数秒間でそんな周囲の視線を痛いほど感じたアルベルトは、その食堂に満ちた違和感満載の空気に、やっと自分が彼に何をしたのか気づいた。
「…いい加減前髪伸びてるなら切るくらいしたらどうなんだ。食事の時にうっとうしい」
「うるさいな…。分かってるから余計なお世話だ」
状況もつかめず取り合えずぽろっとこぼれた憎まれ口に、ブライトナーも乗っかってきた。
なんだ、別にいつもの二人じゃないか、ということでやっと周囲の空気も動き出す。隣にいるブライトナーに気づかれないように、アルベルトはそっと息をついた。