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1 アルベルト


 最初の記憶は、母の葬儀だ。


 私は確か3歳だか4歳だか、はっきりしたことは忘れたが、唯一にして最後の肉親を、その時(うしな)ったのだった。ベッドに横たわる母の横顔は青白く血色が悪かったものの、村の人がいつも褒め称えていたように美しくて、もしかしたらこのまま再びぱちりと目を開けるのではないかと思うほどだった。

 今だから分かるが、あの山深く、寒さの厳しい村で、娘一人を女手一つで食わせていくのは大変なことだったろう。


 ほどなくして、ガタン!という大きな物音共に、黒装束の男たちが土足で入り込んできた。外は吹雪(ふぶ)いていて、その真っ黒な外套のあちこちで雪の結晶がきらきらと光っているのが、全く似つかわしくなかった。4人ほどのその男たちは、その誰もが目深にフードをかぶっていて、全身を黒いローブ、その上から外套を着こんでいるせいで、えらくガタイがいいということしか分からない。


「ロクサーヌ様、お迎えにあがりました」


 ロクサーヌ。

 聞き覚えのない名前だった。

 後から振り返れば、私がその名で呼ばれていたのはほんのわずかな間だけのことだったから、未だに誰か知らない他人の名前のような気がする。

 けれども、とりあえず私はその時『ロクサーヌ』だった。


 私が怯えるのは百も承知だったらしく、その4人の中で一番偉いらしい男が、私を猫の子を持ち上げるようにひょいと抱えてしまった。

 他の3人は横たわる母を呆然と見つめ、私を抱える男から顎をしゃくられると、そのうちの2人は外へ出て行った。

 その時私が頼る者を失くして飢え死にしなかったのも、母をきちんと埋葬することができたのも、何もかも彼らのおかげだった。

 その後のことは飛び飛びで、でもその瞬間のことはそのランプの灯が揺れる様まで今でも思い出せるほど、はっきりと覚えている。



 私の今の名前はロイク・ブライトナー。

 ロクサーヌだった過去は捨て去り、消された。

 私が生きていくために。



***




 フロイデンタール城。王都から離れた山深い場所、しかしその存在は王国の者ならだれもが知っている。

 なぜなら、王国を支える中枢を次々と輩出するのは、国内で唯一この城だからだ。

 フロイデンタール王立訓練学校。優秀な軍人、騎士、魔導士、研究者、官僚の卵は山奥の城で外界と隔絶され、ひたすら勉学に励む。10年間の教育を経て、過酷な競争の中生き残った者が、王国の柱となるのだった。

 4年の基礎教程、更に4年の実地教程、最後の2年の最終教程。その計10年の学生生活の中で、アルベルト・ベルクマンは実地教程の1年目を迎えようとしていた。

 毎年夏が終わるこの季節、入学式の前日に、城内の広間で一堂に会して進級式が行われる。特に、教程をまたぐことになる5年生と9年生にとっては格別の日だ。

 アルベルトが今朝支給されたばかりのネクタイを締め直す。4年生から5年生になった今日、実地教程生が身に付ける赤いネクタイを各寮長から主席の生徒が受け取り、そしてその生徒が広間に入る同期生に1人ずつネクタイを手渡していくのだった。4年間共に同じ寮で過ごした仲間たちへの最後の仕事として。進級式の最後に新たな寮割りが発表されて、また新たな4年を新しい仲間たちと切磋琢磨していくことになる。部屋も4人一部屋の大部屋から、2人一部屋の余裕のあるものになる。

 広間に4つある大きな扉、自分の向かいの扉に立つ生徒に気づく。

 小柄だが、すっと背筋を伸ばした後ろ姿は遠目にもなぜか目立つ。切りそろえられた黒髪。

 ブライトナーだ。

 ぎゅ、と唇を噛みしめる。彼のことは12歳を迎えて、フロイデンタールへ入学する前から噂で聞いていた。

 代々高名な魔導士を輩出するブライトナー一族の本家の子息。

 ブライトナーがいなければ、きっと主席は自分だっただろうとアルベルトは疑わない。だからこそ、入学生代表挨拶が自分じゃなかったことに大きなショックを受けた。

ベルクマン家は初代の王と建国を支えた建国の父の一人、フリッツ・ベルクマンの血をひく名家だ。アルベルトは今までベルクマンの名に恥じないよう、努力を怠らなかった。フロイデンタールへの入学を見越して、父に城出身者を家庭教師につけてもらったほどだった。それなのに。

 小柄なブライトナーのために寄り添って扉を開けてやっている優男のジョゼフ・ドバリーの姿も気に入らない。

 他寮のくせになにかとアルベルトに突っかかってくるドバリーと、それとは逆に『お前なんか相手にならない』と言わんばかりに、アルベルトのことなど気にもかけないブライトナーが昔からアルベルトは大嫌いだった。



 思い出すのは入学して数か月の時のこと。

 格闘技の基礎の授業で、組手の時間にブライトナーと組んだ時だった。

 その時はまだ『こいつが例の主席だったブライトナーか』ぐらいにしか思っていなかった。

 ブライトナーの方も今よりだいぶ眼差しが柔らかくて頬の赤い、ひょろっとした子供だった。まあ、今だってずいぶんひょろっとしているが。

 アルベルトはあっけなくブライトナーを投げ飛ばした。受け身をとったままコロンと転がっている彼を見て、立ち上がらせてやったのだ。服の襟元を正してやっていると、同じ12歳だというのにずいぶんぺらっとしたブライトナーの華奢な身体が気になった。

『これじゃあもっと筋肉をつけないとダメだ』

 そういってポンポンと胸元をたたいた。ぽけっとしていたブライトナーの顔が、それから見る見るうちに赤くなる。どこにそんな力が、と思うような勢いと素早さで強力な回し蹴りを入れてきた。不意を突かれたアルベルトはもちろんその回し蹴りをまともに食らった。

 ドタン!!という大きな物音と共に訓練場の床にアルベルトは思い切りたたきつけられたのだった。数瞬遅れて、ピピピピー!!と激しい笛の音と『ブライトナー!ベルクマン!何をしてるんです!!』という教官の怒鳴り声が聞こえた。

 その時、床から見上げたブライトナーの勝ち誇った顔は今でも忘れない。


『イヤなヤツ!!!』


 罰として城の広大な庭の草抜きをさせられたのも何もかもブライトナーのせいなのだ。

 それからというもの、アルベルトにとってブライトナーは『イヤミなライバル』になった。


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