【花護哀淡恋】ある初代皇帝の手記
~初代皇帝の手記に挟まれていた古い童話~
王家の墓守番。
彼女は【花護】。
いつからいるのかわからない。
いつからそう呼んでいるのかもわからない。
彼女は晴れた望月の晩、酒を片手にふらりと王家の墓地に現れ、元は王族であった亡者と語り明かす。
黒い外套を目深に羽織り、誰もその素顔を知らない。
ある者は老婆だと、ある者は熟女だと、ある者は少女だと、ある者は幼女だという。
わかっているのは花護が彼女であるということだけ。
どれが本当の姿か誰も知らない。
王家に連なる者達よ、覚えておくといい。
もしも自らの力で切り開けない困難が立ち塞がったら花護を頼ってみるのもまた一興。
望月と酒に酔いどれる彼女なら、気紛れに亡者の叡智を授けてくれるかもしれない。
もしも人生に迷ったら、彼女に花占を頼んでみるのもまた一興。
望月と酒に酔いどれた彼女なら、気紛れに占うかもしれない。
けれど彼女を見つけても自分から話しかけちゃいけないよ。
彼女が気紛れを起こして話しかけるまで、じっと待つんだ。
生者が彼女の意志を無視しちゃいけないよ。
彼女の力を手に入れようなんてもってのほかだ。
生者はただ彼女が気紛れを起こすまで、じっと待つんだ。
彼女は亡者のお気に入り。
彼女も亡者がお気に入り。
気紛れを待たなきゃ亡者の呪いをかけられちゃうからね。
彼女は王家の花護。
王家の者が死する時だけそこに現れ、亡者の世界に酔い誘う。
彼女を見つけても魅せられちゃいけないよ。
それは長く哀しい時間になるからさ。
~初代皇帝の手記~
7才
双子の兄王子が私の目の前で殺された。
刺客の短剣が胸に刺さり、おびただしい血が滴る。
同じ体躯の彼を腕に抱いて恐怖に震えるしかなかった。
刺客は俺にも短剣を刺そうとする。
けれど刺さったのは刺客の額。
「あなたの最期の願いは叶えたわ。
さあ、私と逝きましょう」
黒い外套。
鈴を転がしたような軽やかな声色。
微笑む口元。
私に、いや腕の中の兄に向けられた細腕。
導かれるように兄が立ち上がる。
彼の体は透けていて、その胸には短剣も血もない。
手を繋いだ彼等は大小の影となり、消えた。
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15才
多くの兄弟姉妹を時に蹴散らし、時に同士討ちさせ、時に直接手にかけて掴み取った血濡れた立太子。
王と王太子のみ許される禁書庫への扉を開けて、遥か昔の何者かが綴った1枚に書かれた童話を手に取る。
花護····彼女の事だ。
私の転機となったあの日を想う。
きっと彼女の中では出会ってすらいない。
けれど私は確かに出逢った。
その日は晴れた望月の夜。
私は王家の墓地に1人向かう。
彼女は墓標が並ぶ丘に腰かけ酔いどれる。
私は少し離れた木陰に座り、時々垣間見える大小様々な影と愉しげに酒を酌み交わす彼女を眺め続けた。
8年ぶりに穏やかな時を過ごせた。
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17才
避け続けた婚約者が選定された。
その日は晴れた望月。
彼女は最近お気に入りらしい、瓢箪と呼ばれるらしい入れ物に入った透明な酒を小さく平らな器に入れてちびちびと飲む。
外套から出た今日の手は前回と違って白魚のようで皺がない。
前々回と違って幼くはない。
小さな影が彼女に近づくと、彼女が初めてこちらを見る。
ああ、やっと出逢えたようだ。
彼女は小さな器の酒をグビッと飲み干し、一瞬で離れて腰かける私の前にしゃがんで現れた。
外套のフードに隠れて顔はわからない。
口元は7才のあの日に見たのと同じ、艶やかな赤い色。
背は思ったよりも小さく小柄だ。
器を差し出し、受け取ると酒を注がれた。
飲めという事だろうと飲み干す。
甘めですっきりとした味わいだが、それなりのきつさがある。
「お祝い」
真っ白な手の平に器を返すとあの日のように鈴を転がすような声で一言だけ告げ、再び一瞬で元の丘に戻って酔いどれ、消えた。
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20才
王妃が服毒死した。
私達に刺客を差し向けた他人の王妃。
ずっと半分しか血の繋がらない弟を王太子にしようと画策し続けた王妃。
弟が私の目の前で事故死したその時、彼女が現れてずぶ濡れの弟に皺のある手を差し出した。
その手を握る半透明の手は乾いていた。
その場に居合わせた誰も彼女と弟には気づいていない。
濡れて呼吸を止めた体に追い縋る王妃すらも。
いや、国王だけは一瞬彼女を目で追ったのか?
その明け方、王妃は私の目の前にふらりと来て毒をあおった。
彼女は現れなかった。
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23才
避け続けた婚儀の日。
正式な王命によって強制力をもって定められたその日、護衛という見張りが常に私の側につく中で執り行われた。
前夜は望月。
けれど大雨。
ずぶ濡れで待ち続けても彼女は現れなかった。
その日はどうしても彼女に逢いたかった。
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30才
王が、父が病死。
ベッドで眠るように息を引き取った。
しばらく呆然と傍らの椅子に座っていると彼女が現れ、父に向かって白く綺麗な手を差し出す。
半透明の若々しく逞しい手が彼女に伸び、華奢な体を抱きしめた。
はずみで銀紫の髪が一房フードから溢れた。
「久しぶりね、ヴァン。
逝きましょう」
彼女はぽんぽんと背中を軽く叩いて体を離すと初めて目にした満面の笑みを浮かべた父の手を引き、黒い影となって消えた。
それからほどなくして、私は頑なに貫いていた白い結婚を止めた。
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35才
大飢饉と疫病が流行した。
国民が死んでいく。
側妃達、そして母が違うまだ幼い王子と王女の幾人かも犠牲になる。
幼い我が子が亡くなる時だけ、彼女は迎えにきてその手を差し出す。
幼い手、瑞々しい手、皺枯れた手。
いつも華奢で、いつも優しく差し出される。
飢饉だけでなく疫病も流行ったのが幸か不幸か他国の侵略を止まらせた。
疫病は他国をも巻き込みつつあったからだ。
けれど虎視眈々と弱った国力につけ込む国も出始める。
疲れた私は5年ぶりの晴れた望月の夜、衝動を抑えられず彼女に逢いに行った。
久しぶりに見た彼女は小さな子供の姿をしていた。
酒はずっとあの瓢箪の酒を愛飲していたのだろうか。
けれど器は初めて見る。
四角い木の器だ。
大人の男程の影が彼女に近づくと、彼女はこちらを見る。
ああ、久々に逢えるようだ。
彼女は木の器の酒をグビッと飲み干し、あの日のように一瞬で離れて腰かける私の前にしゃがんで現れた。
相変わらず外套のフードに隠れて顔はわからない。
あの銀紫の髪も完全に隠れている。
器を差し出し、受け取ると酒を注ぐ。
あの時のように飲めという事だろうと飲み干す。
辛口で喉が少しひりつくが、この木の独特な香りが移って鼻から抜ける香りに深みを与えている。
返した器は私の手には小さいが、彼女の手には大きい。
それが何とはなしに微笑ましく思えた。
「どうして2番目の王が立てた対策をとらないの?」
あどけない声だった。
「え?」
「あなたは14番目。
けれど本当は15番目。
歴史は繰り返すものだけど、消された王と消された歴史があるの。
だけど、王は憂うもの。
必ず痕跡を遺すものなのよ」
言うだけ言って、あの日のように再び一瞬で元の丘に戻って酔いどれ、消えた。
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50才
あれから禁書庫を隅々まで調べ、隠し扉を見つけて消された王とその歴史を探し当てた。
疫病も大飢饉も乗り越えた我が国は今や帝国となった。
消された2代目の王が願ったように、私も他国の安寧と調和を目指す事にした副産物だ。
彼女にはあれからも時々、晴れた望月の夜に逢いに行く。
私が姿を見つけても、逢えるとは限らない。
あの声が聞きたくて寂しくもある。
最後に逢ったのは数年前の皇太子を決める時だろうか。
あれから様々な陰謀が再び王家を襲い、今の王妃は私の最初の妃とは違う。
他国の側妃も幾人か迎え入れ、子も疫病で亡くなった王子や王女よりも今では人数が増えた。
どの子も優秀で仲が良く、私の代で起こった憎悪渦巻く王位継承争いは起きていない。
もちろん表向きは、だ。
当人達にそのつもりはなくとも周りは違う。
だが私は自らの幼少期のあの環境を何よりも嫌悪していると常々声を大にして主張し続け、今の王妃とは子を設けず、万が一子ができても継承権は認めないとした。
それを承知で嫁いできた王妃には頭が上がらない。
そして側妃の子は全て王妃の子として育てさせた。
起きた飢饉はそうした争いから派生した人為的なものであったのだから、臣下は誰も強く反対できなかった。
そしてそれこそが消された王が考えていた政策でもあった。
かの王が何故消されたのか、真実はわからない。
けれど当時では考えられない程に時代を先駆けた智者であり、周りはあまりにも愚者ばかりだったのは間違いない。
話が少し逸れた。
どの子も優秀で、仲が良い。
私は何年もどの子を皇太子とするか決められなかった。
ある望月の夜、幾つかの小さな影が彼女に纏わりつくと、彼女はこちらを見る。
ああ、10年ぶりだろうか。
最近の彼女は硝子の表面を切り込んで付けた模様と赤い色のついた硝子製のグラスにワインを注ぐのがお気に入りだ。
あの日の礼に彼女がいつも現れる丘へ木箱に入れて私が置いた。
なるべく目立つように、手に取ってもらえるようにと木箱の表面には簡素ながら美しい掘り模様を入れ、中のグラスの模様と統一感を持たせた。
その時だけはこちらを向いて手を振ってくれた。
顔はわからないが、愛らしく想った。
気に入ってくれたようで、以来あのグラスを時々使ってくれるようになった。
そんな彼女だったが、あの時もグラスのワインを味わって飲み干すと、一瞬で離れて腰かける私の前にしゃがんで現れた。
空のグラスを差し出す白い手は皺がないものの、ほんの少し年を重ねたものだ。
グラスを受け取るとワインを中程まで注がれる。
少し長く彼女と対面していたくて少しずつ口に含む。
なるほど、今日は甘めでそう強さを感じない酒のようだ。
「迷っているの?」
鈴を転がすような、艶を帯びた声色だった。
「ああ。
どの子も優秀で、仲が良い。
君のお陰で表立った王位争いもないし、国内外も落ち着いている」
「そう。
とっても頑張ったのね」
艶のある唇が弧を描く。
いつ見ても華奢な細腕が伸びて私の頭を撫でる。
どうやら褒めてくれているらしい。
手はとても冷たくて、けれど手つきはとても優しく心地良かった。
やがて手を外套に入れると、手の平の大きさの木箱を取り出し、開ける。
取り出したのはカードの束。
彼女は慣れた手つきでカードを切ると扇状にしてふせ、1枚選べと告げた。
1枚選ぶとカードの絵柄を見せる。
「誰も先の事なんかわからないわ。
占いなんて、しょせんは偶然の産物よ。
信じる信じないは貴方次第。
今を生きる貴方達にできる事は、最良を引き寄せる努力とそうなるよう運を天に任せる事だけ。
幸いにもどの子も優秀で、迷うくらいどの子を選んでも同じ。
それなら気楽に選べばいいのよ。
死んだ後の事なんて誰にも責任は取れないでしょう」
くすくすと笑いながら実に簡単に言ってくれる。
けれど確かにそうとも言える。
カードの絵柄を覚えた頃合いで、彼女はそれを木箱に片づけ始めた。
「グリフィロード」
「え?」
「名前だ。
いつか、いつかでいい。
私を迎えに来てくれた時でもいいから、グリードと呼んでくれると嬉しい」
「ふふ、気が向いたらね」
言うだけ言って、あの日のように再び一瞬で元の丘に戻って酔いどれ、消えた。
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68才
「「太上皇」」
「ああ、そろそろお迎えのようだ」
麗らかな陽気とは不釣り合いな黒い外套を羽織った彼女に目を細める。
私の跡を継いだ橙色の目をした双子の皇帝と女帝にも見えているようだ。
退位した後、私は居室の隣に小さな箱庭を作り、調子が良い時はこうして椅子に腰かけて庭を眺めた。
あの日のカードに描かれた橙色の2つの大ぶりの花をつけた百合。
そして銀紫の鈴花を幾つもつけた鈴蘭。
どちらもとても香りが強く、病に侵され痛みに疲弊する心を癒してくれた。
あの丘に行けなくなって、果たして彼女は私を忘れていないだろうか、本当に迎えに来てくれるだろうかといつも不安だった心もだ。
その憂いから、やっと解放される。
~初代皇帝の手記 終~
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私は2人の子供達が代筆した最後の手記に目をやってそっと閉じた。
「久しぶりね、グリード。
逝きましょう」
彼女は華奢だが張りのある手を差し出す。
手を重ねると自分の手がその手に相応しい、若々しく力強い手に変わった。
そのまま彼女に引かれるままに立ち上がると、あの丘に立っていた。
晴れた日に彼女とここに立つのは初めてだ。
彼女と初めて話したあの日のように体が軽く、背筋もしゃんと伸びている。
繋いだ手を引き寄せ、そっとフードを取る。
抵抗はされなかった。
そこにはあの禁書庫の隠し扉の奥にひっそりと飾られていた銀紫の髪の女性が腕の中で微笑んいた。