繋いだ手
描写が足りない部分は、ロマンティックなスペインの街並みを思い描きながらお読み下さい(*^^*)
夫と私の新婚旅行の行き先は、スペインのバルセロナだった。
私はイタリアもいいなと思っていたのだが、サッカー好きで、特にバルサのファンだった彼の「サッカー観戦がしたい」という希望を叶えた形となった。
そもそも、旅行費用は全て彼持ちだったから、私は彼の意見に従うしかなかったのだ。
恥ずかしながら、独身時代の私は宵越しの金は持たないタイプで、貰ったお給料は全て使い切り、借金こそしないものの、生活費が足りないときは本やCDや家財を売ったりして気ままに生きていた。
私の妹など、食べるものが無ければ釣りに行って調達していたと聞いたこともあるから、姉妹揃って逞しいのか、だらしないのか、何やってるんだか……である。
実家が自営業で、母が毎月の家計を気にする姿など見たこともなかった。そういうことも、遣り繰りを学ばなかった一因だと思うが、やはり自分の資質が大きいのだろう。
「その日暮らしのア○エッティ」私は自分のことをそう呼ぶこともある。
話を戻そう。
「三十超えて何やってるの?」十歳若い堅実派の夫は、当時そう言って呆れていたが、既にそこそこの貯蓄もあった彼は、快く旅行費用を出してくれたのだ。
二十歳をいくつも越えていない彼にとって、今回が初めての海外旅行だった。
私は既に数回の旅行経験があるし、情けなくも費用は負担してもらっているし、何と言っても彼より十も年上なんだから!と、肩に力が入り過ぎていた。
英語は全く話せないという彼に代わって、経由地であるフランスのシャルル・ド・ゴール空港での感じの悪い職員とのやり取りから、バルセロナでのフレンドリーな空港職員とのやり取り、ホテルのチェックインや、外での食事、買い物、タクシーの運転手への指示、全て頑張って片言の英語でコミュニケーションを取ることに努めた。
「私だって、全くと言うくらい英語は話せないのに……なんでこやつは私に頼り切り?」そんな思いがムクムクと心に湧いてきていた。
それが爆発したのは、国内線の飛行機に乗り、訪れたマヨルカ島でのことだった。
スペイン最古の木造列車と言われるソーリェル列車に乗って、おとぎの国のような可愛らしい村々を訪ねたり、地中海の宝石のような青さや、レモンの木、名も知らぬ鮮やかな花々など愛でながら散策し、地元客にも人気らしいレストランでの食事を終えたのは、もう日が暮れる頃だった。
「何かホテルでつまめるものを買おう」夫がそういうので、ぶらりとパン屋に入ってみたのだが、そこでの店員とのやり取りもやはり私……
夫は後ろで素知らぬふり。
店を出て歩きだした途端、私はついに堪忍袋の緒が切れてしまった。
「ねえ、なんで私が、まともに喋れもしない英語で毎日毎日やり取りしなきゃいけないの? なんで私だけ? もう疲れた!」
私は少し涙ぐんでいたと思う。
夫は、驚いた表情で「ごめん……」と言ったが、私は、疲労もピークで余裕がなく、心の狭い人間に成り下がっていた。
「もういい! 別行動しよう!」
私は、引き止める夫の手を振り払い、街灯の灯るロマンティックな夜の街をスタスタと歩きだした。
夫は呆然とそこに立ち尽くしていた。
かなり歩いてから振り返ってチラリとみれば、彼は古い教会の前の小さな石段に立膝で座り込み、その膝の間に顔を埋めている。
「泣いてる?」私はドキリとしたが、まだ許す気になれず、ずんずんとそのまま歩き去った。
街にはおしゃれな店や、気になる路地、表情豊かな異国の人々……
東洋人らしき人間は、私だけだった。
「ああ、ここでは私が異国の人なんだなぁ……」
いつしか、ファンタジーの世界にひとり取り残されたような、不安と寂しさに襲われた。
「もう戻ろう」
私は踵を返し、夫のいた教会へと急いだ。
「まだあそこにいてくれるだろうか?」
少し不安になりかけたが、はたして、夫はちゃんとそこにいた。
まだ膝に顔を埋めたままだ。
住民だろうか、観光客だろうか? 何人か気にして彼を覗き込む人もいた。
「ちょっと、人が見てるよ!」
私は彼の腕を掴んで立ち上がらせようとしたが、彼はなかなか立ってくれない。
手を添えて無理に顔を上げさせると、やはり夫は泣いていた。
申し訳ないが、私はその姿にふっと笑ってしまった。
情けないなぁと思いながら、同時に愛しさも感じていた。
「一生守ってあげなくちゃ……」何だかそう思えた。
「ごめんね。もう泣かないでよ」
「……いつもすぐ怒るんだもんな……でも、俺もごめん……」
「もういいよ。私が悪かったもの」
私たちは手を繋ぎ、大聖堂を見に行こうと、歩きだした。
その手は、十年以上経った今も、とりあえず繋がれたままである。