感謝の気持ち
「入って」
ノック音にそう返事をすると、扉を開けて入って来たのは執事のクロイツ。いつもの燕尾服に身を包み端正に整えられた黒い髪はお辞儀をしたところで崩れることはない。
「失礼致します。朝食のご用意が済んでおりますので、ダイニングへとお越しくださいませ」
「わかったわ。ありがとう」
そう言ってすっと立ち上がると、クロイツの青い瞳が驚いたように見開かれている。その様子にさすがの私も疑問に思いながら首を傾げた。
「私の顔に何かついてるのかしら?」
髪をあげたから? 似合ってないとか? それとも制服が変なのかな? なんか服についてたりする?
色々と思いつく要素をあげるが、鏡の前に立つ私は至って普通だ。服にも顔にも何かゴミがついている様子もなく、かと言ってコメットにセットアップしてもらった髪型も悪くない。制服だってきちんと着こなしている。
「……いえ、なんでもございません」
「なんでもなくはないでしょ? 何かあったの?」
一度気になったらとことん気になってしまう性格だ。変なところがあるのなら言って欲しい。
「それとも髪型、似合っていないかしら……?」
私は好きなんだけど。ハーフアップの編み込み。上品じゃない? 私の顔に似合わないとか……?
自分の青白いロングの髪をひと房掴み、再び鏡と向き合った。すると、クロイツは言いにくそうに少しばかり目を伏せながらこう言った。
「いえ、とてもよくお似合いでございます。ただ……」
「ただ?」
「……スピカお嬢様からお礼を言われるのは、ここに勤めて幾年経ちますが、初めてでしたので……」
そう言ってクロイツは頭を下げた後、部屋を出て行った。
……なんだ、そっか。私って今まで偉そうな態度ばかり取るだけで、お礼すら言ったことなかったんだ。なんか私、直すところがたくさんありすぎない? 使用人達の事も名前で呼んだことなかったみたいだし、お礼すら言わないくせに不満は言う。
上げ出したらキリがないくらい、典型的に人に嫌われる性格してるなー。そりゃいくら顔がよくたって人はついてこないし、婚約破棄だってされるわ。いや、婚約破棄はされないと困るんだけど。私としては佐々木君を見つけて、佐々木君ともう一度付き合いたいのだから。
「私、本当に性格悪かったよね」
「いっ?! いえいえ、めっそーもないことにございます!」
私に振らないでと言いたげに、コメットは両手と顔面をブンブンと左右に振り回して否定している。けれどその反応はむしろこの状況では肯定しているのと同じだ。コメットは嘘をつくのが驚くほどに下手だ。それに比べて……。
「だからそうお伝えしたではありませんか」
はっきりとここで肯定してくれたのがミティアだ。白けた目を私へと向けながらそう言い、ミティアは古いシーツを手に持ち直して部屋を後にした。
クビになる覚悟がある人間とは、あんなにも心が強いものなのか……私は苦笑いをこぼさずにはいられないけれど、これで改善していくものが浮き彫りになるから、やはり今の私にミティアは丁度いい。
このはっきりと言われてもどこか心地がいいと感じている自分がいるけど、それはきっと自分の性格なのにそれを良いとは思っていないからなのかもしれない。
そして梨々香としての記憶を取り戻したことによって、私の今世での性格はかなりゲームの世界の設定的な悪者だから。だからこそ自分のことなのに、どこか他人事のようにも思えているのかもしれない。
「よし! 今からダイニングへ向かって、朝食をいただきに参りましょう」
お腹が減っては戦はできぬとはよく言ったものだ。私のお腹は不満でもこぼすようにグーッ、とお腹が鳴っていた。考え事をして頭をたくさん使ったせいか、すごくお腹が空いている。朝食が楽しみで思わず小走りでダイニングへと向かった。
◇◇◇
ダイニングに着くと入り口でクロイツは私を待ち構えてくれていた。クロイツが扉を開けてくれ、私はダイニングに足を踏み入れた。長いテーブルの上には既に一人分の朝食が用意されており、クロイツの案内に従って、料理の用意されている席に着いた。私が席に着くと、コメットがワゴンを持って部屋に入って来て、ティーカップに温かな紅茶を注ぎ入れてくれている。
「いただきます」
私は手を合わせてそう言うと、そばにいるクロイツとコメットが一瞬ピクリと動きを止めた。
ああ、またか……。
「私って、今までいただきますを言ったことなかったかしら……?」
こういうのは無意識だ。だから過去に言ったことがあるのかどうかは覚えていないけど、言っていないだろうなという想像はできる。すると案の定な答えがクロイツから返って来た。
「そうかもしれません」
そうかもしれないと濁す言い方をするところが大人というか、教養を持って家に仕える執事だと思った。
ミティアなら絶対ここは、「そうです」ってはっきり言うだろうし、コメットだったら「いえ、そんなことは……」と返されるところだろう。
以前の私はクロイツに対しても不満はあったけど、それでも他の使用人達とは違い何年もこの家で働いているのはそういう理由だと思う。
「ふふっ、それならこれからは改善しなければなりませんね」
私は少しずつ周りの様子にも慣れて来て、そんな周りの反応も、自分の悪役な性格の改善にも、なんだか楽しさを見出し始めていた。
それでは、と再び手を合わせた後、気持ちを切り替えて朝食に挑む。お腹が減ってるから今ならどんな料理でも美味しく感じるはずだ。スコーンとスクランブルエッグ、コンソメスープと少しのサラダにデザートのフルーツ。それが今日の献立だ。味が薄いと感じていたスピカとしての過去の記憶を思い出しながら、スコーンを一口サイズにちぎり、口の中に放り込んだ。
「……えっ、美味しい」
なんだ、普通に美味しいじゃん。スコーンは焼きたてなのかまだ温かく、外はカリッと硬いのに中はふわっとしている。甘みと塩気もほんの少しだけ感じる、シンプルなプレーンのスコーン。バターナイフでスコーンのそばに添えるように置かれている小さなガラス瓶の中に入っているジャムを取り、それを付けた後にもう一度スコーンを食べた。
「んんっ、おいし!」
ルビーのように赤いジャムは苺のよう。酸味と甘味がスコーンに凄く合う。
クロイツが驚いたように私の事をマジマジと見つめている。その理由はもう分かってる。
「あの、本当に美味しいのよ……?」
今までと反応が違いすぎて疑われてるのかと思い、そう言うと、クロイツはハッとして慌てるように微笑んだ。
「そのジャムは昨日庭に出来た苺を収穫したものから作ったものですので、きっとその言葉を聞けばシェフも喜ぶ事でしょう」
「えっ、ジャムまで手作りなの?」
「もちろんでございます」
私は再びジャムを付けてスコーンを食べた。今まで私はなぜこの料理を味がないとか、文句ばかり言って食べなかったのだろう……。
私は次にコンソメスープに向けてスープ用のスプーンを手に取り、それを一口飲んだ。すると、予想外にこれもまた美味しい。シンプルな味付けが朝の寝起きの胃を優しく覚醒させてくれる、そんな味わいだ。
私は噛みしめるようにして全てを食べほした。
「……クロイツ」
「はい」
「その……今まで残してばかりで申し訳なかったと、シェフに伝えて貰えるかしら? あと、本当に美味しい朝食をありがとう、とも伝えてちょうだい」
私がそう言い終える頃には予想通りの驚きに満ちた表情をしたクロイツが固まって立っている。しかし暫くするとハッとし、背筋を伸ばした後にいつもの穏やかな口調でこう言った。
「もちろんでございます。きっとシェフもお喜びになる事でしょう」
私はその言葉に満足をしながら、残った紅茶を飲んで、満足している腹部を撫でた。




